recognized reality

先日、彼女とふたりで、NHKの未来予想みたいな番組を観ていた。第二回か第三回か、ともかくシリーズもののやつだ。初回も少し観て、未来のライブはヴァーチャルなアレが何とかでどうとか言っていて、阿呆くさいCGの人形がうようよ蠢いていて、そのあまりに陳腐な「未来像」に怖気をふるってすぐに観るのを止めた。サカナクションが出るというので期待をしていたのだけれど、思うに、あれではライブにこだわる山口一郎さんもできあがった番組を観て愕然としたのではないかと思う。未来=ヴァーチャル。その古臭さに、思わず十数年前にタイムスリップしたのかと思った。そういった意味では、確かに時間と時代について考えさせられる番組ではあった。

それでも、とにかくぼくは忘れやすいし、講義に使えるような話の種が何かあるかしらと思って、その第何回かのもまた観てしまったのだ。ぼくはほんとうに忘れっぽい。とはいえ、根本的には陰惨な性格にもかかわらず能天気に生きているのはこの忘れっぽさのおかげなので、それはそれでありがたい。ともかく、この回もまた耐え難く酷かった。例によってヴァーチャルで、老人が孫やら子供やらとウィンドウ越しに会話をしたり食事をしたりで、繋がっていて、わぁハッピーハッピー。受け流して見なかったことにするにはあまりに地獄的な状況で、あの惨たらしさに対して、番組制作にかかわっていた連中はほんとうに何も感じなかったのだろうか。あまりの酷さに畳の上で転がり、彼女に「あぁあぁぁあぁあチャンネル変えて、チャンネ・ル・カエ・テ!」と叫んで、まるでこれではちょっとどうかしているひとのようだった。

驚くほど同一の感覚に基づいたものを、そういえば、彼女とぼくは、とある不動産会社の「未来の家の在り方」みたいなものの展示イベントでも見てきた。あれも相当に酷いものだった。日本に居る家族が、ヴァーチャルウィンドウ越しに海外に住む祖母の誕生日を祝うとかいう小芝居。ぼくらはともに偽装隠蔽の達人なので、他の参加者と一緒ににこにこしながらロールプレイに参加していたけれど、終わって密やかに逃亡し二人きりになってからげろを吐いた。

まったく、よくもこんな人間と何十年にもわたりつきあってくれるものだと彼女に感謝をしかけるけれど、考えてみればNHKの番組をカエテ・カ・エテ! と叫んでもなかなか変えてくれないのも、行きたくないよなあと言っても無理やり展示イベントに連れていくのも彼女で、これはいったいどうなんだろう。それでもまあ、経験は経験だ。ぼくはカタツムリが極度に苦手で、あれをカワイイものだと強要してくる教科書や新聞やあらゆるメディアに対して殺意を覚えるけれど、子どもだったころ、親に、「経験は経験だ」と言われて無理やりエスカルゴを食べさせられたことをいまでも狸のように執念深く覚えている。

自分の研究について言えば、ぼくは技術に対して肯定的でも否定的でもない。単に、それは避けがたいリアルだと思っているだけだし、そのリアルさを語る言葉をアカデミックな(すなわち糞のような)場で表現しようとしているだけだ。しかし敵か味方かに分けたがる人びとは、ぼくを技術肯定主義者か否定主義者に分類しようとする。そうじゃねえんだよ、とは思うけれど、最近、そろそろ諦めることを覚え始めた。リアルのなかに生きていない人間というのは確かに存在するし、ないものを伝えるほどの才能はぼくにはない。そこにリアルはあるよね、と、知っている誰かにこっそり話しかけて、そうだね、と答えが返ってきたりあるいは相手はたいていもう死んでいたり、それでお終い。それで良い。醜い人間とかかわるほどの時間を、ぼくは持たない。ほんとうは誰もそんな時間は持ってはいない。

いずれにせよテクノロジーとは何の関係もなくリアルはある。そうして、テクノロジーとは何の関係もなくリアルはない。どちらも地獄だけれど、同じ地獄であるのなら、ぼくは少なくともここが地獄であるということを忘れないでいられる地獄であって欲しいと思う。そしてそうであるのなら、そのときそれは地獄ではなく、単なるリアルになる。

道を歩いていても電車に乗っていても、スマートフォンを眺めてぽちぽちLineだがゲームだかをやっている人びとがいる。そのことを批判したりするひとたちがいる。それはそれでそうかもね、とは思う。スマートフォンを弄っている人びとの目つきには、正直なところ、確かに恐怖を感じることがある。でも、道を歩いているときに救急車がサイレンを鳴らしつつ走りすぎていく。そうすると、立ち止まってじっと眺めているひとがいる。そういった人びとの目つきも、ぼくは同じように怖い。それは、あらゆるものを貪欲に飲み尽くす口しかない、不定形の真白な化物をぼくにイメージさせる。そしてその化物のなかには、何もない。ただ、茫漠として空虚だ。決して神の風は吹かない。だけれど、そんなことはどうかしている人の言葉だ。自分でもよく分かっている。「救急車が通るときにさ……」と言うと、それがスマートフォンの話と何の関係があるんだよ、という顔をされる。ああ、こいつにはリアルがないんだな、と思う。真白な化物。

最近、外に出るたびに緊張と恐怖で体調を崩す。まあ、でも、それもそれでひとつのリアルではある。

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