穴の開いた傘

いまはもう零時を過ぎ、明後日始まる後期の講義が、既に明日始まる後期の講義になっています。会社から帰宅後、レジュメを手直しして、印刷し、ホッチキスで留め、気づいたら深夜になっています。外では雨が降り続き、寝不足のまま明日も山積みの仕事を片づけるのかと思うと少々憂鬱なのですが、まあ、講義自体は楽しいことですし、どこかしらから体力と気力を前借しつつ、乗り切っていくしかありません。

いまはもう寝床に潜りこみ、真暗ななかでキーボードを叩いています。最近はストレスのせいか体調はいまひとつで、夜中から明け方にかけ、しばしば痛みで目が覚めてしまいます。いま、叩いている途中で眠ってしまい、例によって痛みで目が覚めました。痛みの少ない体勢になるように、座布団や枕を組み合わせて鋳型をつくり、そこに身体を流し込みます。自分が遙か古代の銅鐸にでもなったような気がして、思わず苦笑しながら、ふたたび眠ります。

いまはもう明け方です。さっきまで見ていた悪夢のせいで、いまだに心臓が激しく脈打っています。悪夢のなかでぼくは、路上に打ち捨てられた穴だらけの傘を拾いました。それが生き残るためのアイテムであることをぼくは直観していましたが、夢のなかでは不思議と、なぜ生き残らなければならないのかなどとは一切自分に問うこともなく傘をつかんでいました。たとえ悪夢であっても、そのシンプルさには心が休まります。

いまとなってはもう取り消しようのないものごとのつらなりの先に、いまのぼくがいます。暗闇のなかで不安定に揺れる鼓動と雨音の重なりに耳を澄ませていると、そんなものごとたちがじっと、ぼくを見つめているのが見えてきます。ぼくもじっと見つめ返します。多くのひとには糞のような愚かさと失敗ばかりの人生に見えるかもしれませんが、結局のところ自分の弱さは自分の弱さですし、自分の愚かさは自分の愚かさです。それはそれで、その全体を引き受けるしかありません。ぼくらはみな、責務としてではなくたんなる事実として、生きている限りにおいてどうしようもなくそれを引き受けています。

いまだにぼくは、案外能天気に、生き延び続けたりしています。ゲームでもあるまいし、この世界には生き延びるためのアイテムなど落ちているはずもありませんが、悪夢のなかで拾ったあの穴だらけの傘は、いつだって、かたちを変えて、ぼくの心のどこかに落ち続けているのでしょう。

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