人間の顔

もうこれで冒頭の書き直しが4回目なのですが、なかなか楽しいお話を書きだすことができませんね。今回はうまくいくでしょうか。何となくうまくいく気がします。楽しいことがいまのところ何ひとつ思いつかないのですが、大丈夫です。要は研究のことも仕事のことも家のことも書かなければ良い。そうだ、濡れたジーンズのことでも書きましょう。

昨日はとある会合に出ました。しかし着ていく服がありません。いつも同じことを言っている気がしますが……。仕方がないので、夜中寝る前に、脱いだ服とジーンズを洗うことにしました。夏なんですから一晩あればジーンズだって乾くでしょう。無論、乾きませんでした。しかし、平熱が38℃に近い私です。多少濡れている服だって、着てしまえば、家を出て駅につくまでのあいだに乾いてしまうことでしょう。麻のシャツは乾いていたので、湿ったジーンズに脚を無理やり通し、その感触の気味悪さにうへぇへぇと薄く笑いながら、気分も中身もすっかり変質者です。駅に着くころにはジーンズはすっかり乾いていましたが、その晩家に帰ってから見てみると、白いPHSは青く、ポケットティッシュも青く染まっていました。青いポケットティッシュでかんだ鼻も、すっかり青くなっています。指先も脚も青く、目の下は疲労で青黒く落ち窪んでいます。まるでパンダが見る悪夢に登場するパンダのようです。

自分が2枚目でないことなど、34年前にはすでに気づいていました。それにしてもこれは酷い。そういえば、彼女とつい最近、自己イメージについて話をしました。ぼくはもともと、フィールドワーカーになりたかったのです。バイクに跨って中南米を疾走するフィールド系哲学者。訳が分かりませんね。けれども、あるとき彼女の部屋でくつろいでいたとき、ぼくの苦手な虫が出てきました。ほんの3、4センチしかない、どうということもない虫です。けれどもそれを見ただけで、ぼくの精神は完全に変調をきたします。きたしているところにまたもう1匹、同じ種類の虫がのこのこやってきます。――終末の世は来たれり! ぼくは叫びます。虫などまったく意に介さない筋金入りのフィールドワーカーである彼女を見ると、ぼくには到底、魑魅魍魎としか思えないような昆虫が跳梁跋扈するジャングルを駆け巡ることなどできそうもないことを実感します。それでも、しばらくするとそんなことは忘れ、なーに俺だっていざとなればフィールドを疾走する哲学者になれるのさ、などと呑気に想像したりします。

ぼくはけっこう、陰惨な人間です。だけれども、それも所詮は自己イメージの話です。客観的に眺めれば、つねにぼんやり、少し間抜けに笑っている。たぶん、そんなのが、ぼくなのです。書き直して消してしまった文章に、自分の持つ暴力性に対する恐怖感を書いていました。けれどもまあ、実際のところ、そんなに恐怖を感じる必要はないのかもしれません。羊の皮を被った狼などではなく、自分の中身が狼なのではないかと怯えているだけの羊。毛を刈ってしまえば、その下にあるのは……。いえ、やっぱりそこに見えるものは、きっと人間の顔をした、最大の恐怖の対象なのでしょう。

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