単に眼鏡を買った話

ひさしぶりに銀座へ行きました。といっても、ぼくがかつて銀座へ行っていた理由はただひたすら書店巡りのためだけだったので、いわゆる銀座的な銀座を知っているわけではありません。銀座的な銀座って何だ。ともかく、まずは昔の日本橋丸善に行き、いまはなきLIXILブックギャラリーを覗いて銀座の教文館の洋書フロアに立ち寄り(そういえばここでシリア語辞典を買ったなあ……シリア語! これも年を取ったら勉強したいものの一つです)、ぐるっと回って八重洲ブックセンターに行き……、という感じです。とても贅沢な散歩。偶には京橋の明治屋に寄って彼女に何かを買って帰ったり。いまは人間が怖くて、もうとてもできません。

できないよう、できないようと言いつつ、数少ない友人である彫刻家に連れられて銀座に行ったのです。土曜日だから、ということもないのでしょうが異様な混雑。「土曜日の銀座なんてめちゃくちゃ混んでいるに決まっていますよ」「いや混んでいないよ」と、明らかな誤認、欺瞞、あるいは虚偽の証言により無理やり連れられて行きます。脳内に流れるのはドナドナですが、売られていくのは死相を浮かべた人面中年子牛です。祟りしかない。

で、まあ、案の定彫刻家には「きみの人間に対する恐怖心はもう完全に心の病の域だよ」と言われつつ、銀座の次には外苑前に売られていく。いや売られはしませんが、ここで彼と眼鏡を買う予定だったのです。外苑前のシャレオツな眼鏡屋さんで眼鏡を買う人面中年眼鏡子牛。その日の朝、夢の中でイメルダ夫人ごっこをしていました。ピープルパワー革命、1986年ですよ、みなさんご存じないでしょう。ぼくはリアルタイムの記憶があります。夢の中のぼくはマラカニアン宮殿に踏みこみ、何故かそこにあるのは自宅の玄関の靴箱で、開けると履き古した登山靴が一足しかない。「一足しかないぞ!」とか言っているうちに目が覚めました。「セーターも一着しかないぞ!」「ジーンズも一本しかないぞ!」などと呟きつつ、いま現実に目の前にいるのはお洒落な眼鏡屋さんのお洒落な店員さんです。

人の眼を見ると頭痛を発症するぼくにとって眼鏡屋さんは鬼門なのですが、そういえば最近また一つ頭痛が起きる原因を発見しました。糠味噌をかき混ぜるときの自分の手を見ていると瞬間的に頭痛が始まるのです。しかし見なければ糠味噌がこぼれるし、頭痛が始まったときに目に指を突っ込もうとしても指は糠味噌まみれです。無論精神的にはとても元気なのですが、嘘じゃないです、ぼくは嘘なんてついたことありません、でもそう、いまはそれよりも目の前のお洒落な店員さんです。しかしお洒落なだけではなく、丁寧にぼくの話を聴いてくださりつつ、極めてプロフェッショナルで的確なアドバイスと診断をしてくれます。普段は石の下の暗がりで暮らしているぼくには敷居が高すぎるということを除けば、ほんとうに良い眼鏡屋さんでした。

いや過去形にするにはまだ早い。いままさにぼくは眼鏡を選んでいる状況なのです。ぼくは丸眼鏡が好きなのですが、実際にかけてみるとどうしても愛新覚羅溥儀になる。坂本龍一のラストエンペラーのテーマ曲が脳内だけではなく周辺一帯にまで鳴り響くレベルです。なので自分で選ぶのは諦め、その只者ではない店員さんのお勧め眼鏡を幾点か試しにかけつつ、彫刻家の批評も受けつつ、結局そのなかでいちばんのお勧めをそのまま買いました。もう何年も前、これまた彫刻家と一緒に眼鏡屋さん巡りをしたとき以来の新調。自分では決して選ばないデザインの……というよりもそもそも怖くって自分独りで眼鏡屋さんなんて入れませんから選ぶも何もあったもんじゃないのですが、しかしそうやって自分の枠を壊すというのは、なかなかに楽しい経験でした。

あと、今回ぼくはブルーライトカットはやめました。仕事柄一日中モニタを眺めていることが多いのですが、ブルーライトカットがあろうがなかろうが目が疲れるということは幸いありませんし、もし疲れそうならモニタの輝度を調整すれば良い。何しろ色調が変わりすぎて、写真の調整をするときにわざわざ眼鏡を外してチェックして、また眼鏡をして構図を確認して……、などと手間がかかるのです。「お恥ずかしいのですが……趣味で写真を撮っており……色味が変わって見えるのが辛くて……人生も辛くて……もう働くのも嫌で……」などとその店員さんに相談したところ、レンズそのものもなるべく自然な色に近くなるものを選んでくださいました。

まあね、写真とかいっても、ぼくの撮る写真なんてこんなもんです。

Piyokko Brothers

黄色が欲しくて彼女とじみじみガシャポンをしているのですが、何故か青と紫だけが増えていく。けれどもついに白が出ました。白くんはちょっとおしゃれをして牙が付きました。兎にも角にも自然色に近い視界が得られるのならありがたい。人生は辛いままですが、来週出来上がるという眼鏡だけは楽しみです。

ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

太宰治「葉」『晩年』所収、新潮文庫、p.7

太宰はやはり天才ですね。「葉」は、これを読めただけでもぼくはこの世に生まれた意味があったと思うくらいに好きな作品です。いやそれはともかく、だから、そう、これは一週間後にかける眼鏡であろう。一週間後まで生きていようと思った。でもぼくは太宰と違って凡人なので、できれば百年後くらいまでも生きていようと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。