楽しいことばかりです。嘘じゃなく。

めずらしく学会発表をしてきました。ずいぶんひさしぶりだなあと思って自分のresearchmapを見てみたら3年以上ぶりだったのでちょっとびっくり。コロナはまだこんな状況ですし、朝早くのマイナーな部会での発表だったので参加してくださった方は極わずかでしたが、それでも楽しくしゃべって議論をして、そこで突然コミュニケーションポイントがゼロに落ちたので帰ってきました。修理する権利について、いま書いている原稿の導入部みたいなことを話せたので、頭のなかをちょっと整理できた気がします。

それから、先日彼女と二人で「ふれあい下水道館」というところに行ってきました。何となく興味があり機会があれば行こうと思っていたところ。小さな建物ですが、地下深くまで降りることができ、いちばん下には現役で使われている下水道管があります。そして実際にその中に入ることができる。これはなかなかできない体験です。いえここに行けば、大雨とかで見学禁止になっていない限りいつでも観られるのですが、けれど皆さん、恐らく本物の、いままさに使われている下水道管のなかに入ったことってないでしょう? いやあ、ぼくはあるんですよねえ! と謎の自慢をしつつ、でもほんとうに面白いのでお勧めです。

こんな感じで中に入ることができます
2001年宇宙の旅みたいな赤ちゃんも居る

ここ最近は「毎日1,000文字書く」月間をしていて、これは頭痛が酷いときでも疲れて帰ってきてへとへとのときでもとにかく1,000文字書くという月間です。そのままだな。とはいえひと月やれば3万文字になるし、4か月で12万文字です。これだけあれば単行本一冊分くらいになるので、書く速度としては悪くはありません。前の単著なんて書くのに実質5年かかっていますし。問題は、頭痛と疲労と恐怖と憎悪のなかで幻覚を見ながら書いているので、あとで読み直すと自分でも良く分からないものになっているということです。だけれど、研究なんて訳の分からないものの方が面白いんです。学会発表とかはある意味エンターテイメントだから、良い意味で分かるものをやる。少なくとも本人はそのつもりでいる。それはそれでとても楽しいし、楽しんでもらえればほんとうに嬉しいのだけれど、でも本は、やっぱり魔がないとダメなんです。

あと、ここしばらく散歩のたびに寄っていたカメのたくさん居た池からカメが居なくなってしまいました。izooというところに引き取られたとのこと。いつか彼女と二人で見に行こうと思います。何匹かは個体識別ができると思うので、元気に過ごしているのを確認できればとても嬉しい。

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この数日間読んでいた本で、ある〝アーティスト〟の作品が分析されていました。ぼくは固有名詞を覚えるのが致命的に苦手なのでその〝アーティスト〟が誰だかまったく分からないままに読んでいたのですが、どうも一行一行がひっかかる。その分析にも無理があるし、そこから想像される作品自体も疑問符しか浮かばない。そしてしばらく読んでいると実際の作品の写真が出てきたのですが、それで得心しました。その〝アーティスト〟の作品、もう何年も前に彼女と二人で行った美術展にあり、そのときにも作品から漂ってくるあまりの自己愛の腐臭にうんざりしたのです。ぼくは人名や固有名詞は覚えられませんが、そういう光景は絶対に忘れません。無論、ぼくの感覚が正しいとか、そんな話ではありません。そんなことはどうでもいいのです。ただ、自分にとってこうであるという基準はやはりあって、それが(途轍もない作品に出合ってということではなく)ふらふらぶれるようだったら、研究者も本読みもやってなんかいられません。そういったある種の原器が自分のなかにまだ確固として在るのを確認できただけでも、その本を読んだ価値はありました。

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ある日、ある駅で電車が人身事故で止まっていました。ぼくが線路沿いを歩いていると、若い男が二人走ってきて、まさに事故を起こして停止中のその電車の先頭車両を見下す位置で立ち止まると「ベストポジションじゃん」などと言っていました。動画でも撮るつもりのようでした。分かりやすい地獄。でもほんとうは、何一つとして分かりません。この年になっても、何が何だか、まったく分からないままに生きています。