[アーカイブ]ピカピカ(2006/06/16)

技術者として何かのモノを作るのは、それがソフトであれハードであれ楽しいものです。研究者として論文を書くのも、同人誌に小説を書くのも同じくらい楽しいです。けれどもそれらが自分の手のもとだけで終わるのであれば、本当の意味ではそのモノは完成しないのではないか。それはプログラマをしていたときから、あるいはそのもっと前、中退した大学で人形劇をやっていたときから感じていたことでした。いまは本について同じことを感じています。それを受け取ってくれる誰かの手に届いて初めてそれは完成する。あたりまえのことかもしれませんが、改めてそのことを実感しています。下記の投稿をしたのは16年前。でも、未だにぼくは自分が作った製品が実際に使われている現場を見たことがありません。それはやっぱり、ちょっと残念なことですね。

週の前半は仕事へ行き、後半は院へ通う。そううまく切り分けられれば良いのだけれど、現実にはなかなかうまくいかない。とりあえず嘘と体力で押し通すしかなく、そんな生活が気に入っているのも確かではある。

ずいぶん長い間、あるメーカーの工場内にある研究開発室で働いている。制御系の仕事は、少人数で数年間同じプロジェクトを続けることが多い。ウェブやらネットワークやらという華々しい世界からは遠いが、職人的な世界が肌に合えば居心地は良い(念のため。ウェブ系の仕事が華やかなだけだなどというつもりはまったくない。どこの世界も、喜びもあれば苦労もある。剥き出しの基盤ばかり毎日相手にしていると何となくそちらの世界が格好よく見えることもある、という程度の意味だと思ってくれれば嬉しい)。

週の初め、工場の中を歩いて研究室へ歩いて行く途中で、出荷を待つ製品が木枠の中でピカピカ輝いていた。大変な思いをして開発したソフトを載せた製品がこうして実際に出荷されて行くのを見ると、やはり感慨深いものがある。

ぼくはこの仕事についてから、一度も自分の作ったものが現場で動いているのを見たことがない。海外向けの製品では当然現地にまでは行けないし、国内向けであっても、どこかの企業のコンビナートなどで使われるのであれば、ただのソフトウェア開発者が現場にまで行くということはまずない。

自分の作ったソフトが巨大な機械を動かしたり、あるいは極微細な現象を計測したりするのを見るのは、とても楽しい。ぼくはやはり、この分野が性に合っている。でも、やはり道具は、使われた時点で初めて完成するのだと思う。ソフトを作り、ハードに載せ、試験をする。それは確かに楽しい。生産ラインに乗り、量産され、出荷を待つ。それは確かに美しい。けれども、それだけではない。それを実際に使う人々が、彼らの日々の労働の中で少しずつ使いこなし馴染んでいくとき、そこでようやくその製品は完成する。

いつかは自分の作ったものが完成するその最後までを見届けたい。大それた願いではないけれど、この分野で働いている限り、どうにも難しいようだ。

帰りに同じ場所を通ったときにはすでに全部出荷された後だった。いずれにせよ、暗闇の中では、もうピカピカ輝いてはいなかっただろう。