例えば、いまどこかで起きている出来事に対して何ができるのかというのは、職業とか年齢とかあらゆる属性を超えて、誰でも考えることだと思います。ぼくの場合は半分研究者ですので、自分の研究テーマを通して何ができるのか、何をできているのかというのは常に頭のなかにあります。これが例えば創薬で、具体的なある病気を治す薬を開発するぜ! とかだとけっこう明快かもしれません(実際には途轍もなく複雑で一進一退で無関係な雑事に足を引っ張られることばかりなのでしょうが)。けれども思想系になると、なかなかはっきりすっきり、これはこの世界の役に立っているぜ! という感じにならないかもしれない。というかなったら危ない。思想改造か、みたいな。でもやっぱり根底には凄まじい強迫観念はあると思うのです。多くの人がそうであるように、何とかしなきゃという強迫観念。もちろん、ぼくが尊敬すると或る研究仲間のように実際の問題のなかに飛び込んで行ってそこで戦うという人も確かに居るし、別段思想系だからといって直接行動につながらないということではありません。でもどうしてもそれができないタイプも恐らく居て、それは格好つけとか斜に構えるとかではなくて、思想の表現のスタイルなのではないかと感じています。例えば彫刻家に、表現したいことを音楽でやってみて、というのは(人によってはそれが新たな表現方法につながるかもしれませんが)一般的には無茶な要求です。でも強迫観念はある。自分はいったい何をやっているのか? 何かをやれているのか? そしてそれには両面あって、自分のなかでは確信があるにしても、その確信は世界に対しては実際何の保証にもならない。そんなとき、外からの反応があるというのは、結構、誰にとっても救いになるのではないでしょうか。承認欲求とかの話ではありません。強迫観念は迫られるものではなく迫るものが主だからこそどうしようもないのであって、前に書いた「ぼくらこそが救援隊だ」というサン・テグジュペリの言葉は、あれはヒロイズムとかではない。徹底して自己なんてものを超越した、繰り返しますが誰もがきっと心に抱え続けている責任のお話だとぼくは思います。
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そんなこんなで、話がつながるのかどうか、いえつながっているのですが、自著広告です。湘南T-SITEの蔦屋書店にて開催中(02/12~03/31)のフェア「ソーシャルメディアとデジタルテクノロジーを考える」で、ありがたいことに私の本を採り上げてもらっています。
これ、ぜひ上記のリンク先をご覧ください。選書のセンスが非常に良くて、現代社会を考えるうえでメディアとテクノロジーは不可欠の要素だと思いますが、それらについての新しい面白い本がたくさんあります。ぼくも半分は持っているのですが、うーん、現地に行って手に取って購入したいです。とてもお勧めなので、こういうところに自分の本を混ぜてもらえるのはとてもありがたく、嬉しいことです。
ぼくの本については「「デジタル・ネイチャー」などという言葉に我慢ならない方々にとっては「スカッ」とする内容となっています。」とのこと。私自身の人間性はスカッと爽やかの対極にあるようなオブセッションの塊人間で陰鬱で陰惨なのですが、でも、何か嬉しいですね。書いてよかったなと思えます。
湘南に行かれることがあれば、お立ち寄りいただければ幸いです。