最近、歯医者に通っています。どうということのないお話。でも、歩いて50分、往復で1時間40分程度かけて通っているとなると、なかなかちょっとしたものではないでしょうか。ぼくは歩くのが好きなので、こういう大義名分のある散歩は楽しい。そして道を歩いているときほど、何かを考えるのに適した時間はありません。いやそうでもないな、お風呂とかもありますね。ともかく、歩いていると様ざまな音が聴こえてきて、風も吹いていて、環境哲学が専門ですなどとのたまっている私からすれば、のたのたと道を歩く自分自身を含めた周りのすべてが考えるということのフィールドになります。
歯医者へ行く途中で公園を抜けるのですが、先日はふたりの子供が、卒業式の答辞のまねっこなのでしょうか、「楽しかった」「修学旅行」とか、そんな感じで交互に叫んでいました。それがちょっと面白かったのですが、「がんばった」「運動会!」「今年は中止だったけどな!」と一人が突っ込んだら、もう一人が「ムッキャー!」って笑いました。「ムッキャー!」です、ほんとうに字の通りに。何だかすごくかわいくて、思わずぼくも笑ってしまいました。
もうひとつ、これまたやはり道すがら、和食のファミレスがあるのですが、そこにおじいさんと青年がふたりで入りかけながら、おじいさんが「育ち盛りの青年なんだからたくさん食えよ!」と言っていました。「育ち盛りの青年」。なかなか聞かない言葉です。これがまた何とも言えずに良い感じの、なんだろう、おじいさん的セリフで、これもすごくほほえましく、ぼくはとても良い気分で歯医者に行き、歯をガリガリガリガリ!!!
それでも生きて帰ってきて、途中で商店街に寄ってお肉屋さんで買い物をしました。ここはちょっと耳の遠いおばあさんが店員さんなので、毎回ぼくは叫ばなければなりません。「お勧めコロッケとー!」「シュウマイ10個とー!」「ツミレ10個とー!」などなど、商店街中に今晩のおかずが知れ渡ります。
とにもかくにも、外を歩くのは楽しいです。でも同時に、怖いことでもあります。その日は歯医者が遅い時間だったので、帰りはもう真っ暗です。白いセーターに白い買い物袋で、暗さ対策はばっちりです。それでも、スマホを見つめたままの自転車が突っ込んできたりします。忍者の末裔であるぼくは身軽に華麗に避けますが、でも、それはとても恐ろしいことです。それは事故に遭うのではないかという恐怖ではなく、そういった、自分の外の世界を遮断した人の存在そのものに対する恐怖です。
外の世界は恐怖でいっぱいで、でも、外ではない世界なんてどこにもありません。恐怖を感じることは当然のことですが、同時に、恐怖を否定して閉じてしまうこともまた、世界に恐怖をもたらします。
研究者として何かを書くとき、特に人文思想系であれば書く以外に表現のしようがありませんが、けれども、スマホを凝視して自転車に乗る人のように閉じた言葉を使う、そういう研究者が、意外に少なくなく存在します。そしてそういう人たちに共通するのは、映画も観ない、小説も読まない、音楽も聴かないということです。いえ、訊いてみると、いやいや自分は映画も観るし小説も読むし音楽も聴くと答える。でもそれは批判のために、あるいは研究のために見ているに過ぎない。自転車に乗りながらスマホを見つめる人が何を見ているのかぼくには分かりませんが、要するにそこには、そこにある音や物語に対する愛がない。ただ自己だけがある。そういう残酷なやりかたは、ぼくは好きではありません。
でも、気をつけないと、ぼく自身の言葉もそうなってしまうかもしれない。既にそうかもしれない。悪い意味でのアカデミズムに汚染されていない形で自分の思想を書きたいけれど、それはやはり途轍もなく難しいことです。
だけれども、たいていの物事は、ひとつの何かで割り切ることはできません。途轍もなく難しいことが、同時にとんでもなく容易なことだったりもするし、その逆もある。それらがみな同時に在る。「育ち盛りなんだからお勧めコロッケたくさん食えよ! ムッキャー!」みたいな、いつか、そんなかたちで自分の思想を表現できればと思っています。
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そんなわけで、気がつけば三か月近くブログを更新していませんでしたが、どうしようもなく山積みだった諸々の仕事も、終わらせられなかったものも含め積み上げすぎ崩れたので、またのんびりここも再開していこうと思います。そういえばいま非常勤で講義をしているコマで、「ぼくはSNSってやっていないんだよねー」と言ったら、SNSをやらないことで困ったことってありますか、という質問がありました。「ぼく友達いないから困らないの」とも言えないのでアレでしたが、でもやっぱり、ぼくにはブログというスタイルが性に合っているようです。いましばらくおつきあいいただけましたら、何よりも云々。