think like singing

ほんとうにひさしぶりの休日を過ごしていました。今年は査読論文を書きますとあちこちに宣言しており、実際、頭の中には無数の木の実が乱雑に散らばっているのですが、まだまだ芽を出して木となり言の葉をつけるまでには至りません。そういうときはじっと自分の心の中を覗く時間が必要です。日に当て水をやる感じ。けれども相棒がいま味噌づくりに挑戦中で、大豆を煮ているのです。そうして彼女がどこかに行ってしまったので、代わりにぐつぐつぐつぐつ、煮えていく豆を見守り、適当なところで引き揚げ、今度はそれをぐりぐり潰します。そんなことをしているうちに休日は終わりました。

いえ、そういえば他にもしていたことがあります。いま家の中にはどこからか羽蟻が侵入してきて、普通の蟻も侵入してきて、それを食べようとする蜘蛛も発生していて、なんやかんや、大変な騒ぎです。見つけるたびに外へ放り出すので、近所から見るとしょっちゅう胡散臭い中年男性が出てきては玄関先でティッシュ(蟻をそっとつまんでいる)をはたき、また家の中に戻っていく、五分に一度はそんな行動を繰り返している。ホラー気味の鳩時計か、と自分でも思いつつ、それはそれで有意義です。ちょっと表現が難しいのですが、フローリングの板と板の間ってちょっと窪んでいますよね、そしてその窪みと壁の接点のところから蟻が入ってくる。だからそこを壁の白に合わせて白いペンキで塞ぐと、隣の板と板の隙間のところから入ってくる。蟻が相手なのにいたちごっこ。でもやっぱり、そういうバカげた日常も楽しいのです。

そうそう、そういえば他にもしていたことがあります。あれ、けっこう遊んでいるな。たまたま、Youtubeで自転車競技の動画を見つけたのです。それは急な坂の多い街中の細い道をものすごい勢いで下っていくというもの。運動神経は前世に置いてきたぼくのような人間には、そのテクニックはもはや魔法のようなものです。怖すぎるのでうらやましくはありませんが、やはり天才であることは確かです。そしてこういう動画を観ていていつも思うのは、世の中には無数のジャンルがあって、それぞれに無数の天才がいるということなのです。ぼくは普段ぼんやりと本を読むか、ぼんやりとプログラミングをしているか、ぼんやりと論文を書いているかしかないので、ときおり異なるジャンルを見るとびっくりします。びっくり。子供みたいだ。

そしてさらに、他にもしていたことがあります。いやこの男遊んでばかりだな……。ひさしぶりにこのブログを更新するついでに、いや逆ですね、ぼくの好きなブログを見ようと思ってそのついでにこのブログを書いているのですが、それはともかく、ぼくの好きなブログ、大半が消えています。これは本当に残念なことだし、寂しいことです。いえ、ブログだけではなく、好きな小説家もここ何年も新作を書いていなかったり、その小説家のブログも数年前から更新が途絶えていたり、好きだったバンドのオフィシャルサイトを見てみたら信じられないことに解散していたり、そういうのって、本当に不思議です。あれだけ優れた言葉を、音楽を生み出していたひとたちが、あるとき消えてしまって、もうどこにも探すことができない。もちろん作品は残っているし、本気になればそのひとたち自身を探し出すことだってたぶんできます。ストーカー的な意味ではもちろんなくて。でも、やっぱりそれは違うんですよね。そういうことではない。

またまたその上、きょうは査読報告書を提出したのですが(良かった、遊んでいるだけではなかった)、その査読対象の論文中でダナ・ハラウェイが引用されていました。以前に読んでいた論文ですが、改めて読み直してみると、そこでダナ・ハラウェイは、ラヴクラフトをSF作家だと書いている。ぼくはこういうのは好きではありません。ラブクラフトはSF作家ではないだろう……。いうまでもなく、SFを低く見ているということではありません。それどころではない。ちょっと脱線しますが昨日たまたま彼女とオールタイムベスト5のSF小説は何か、という話をしていて、ぼくはギブスン『ニューロマンサー』、神林長平『魂の駆動体』、ストガルツキー『ストーカー』、ディック『暗闇のスキャナー』、そしてイーガン『ディアスポラ』を挙げました。いやもっといくらでも挙げたいのですが(最近では小川哲氏の小説は素晴らしいですね)、とにかくSFは好きだし、ぼくの思考と感性の多くを形作っているし、だから繰り返しますが低く見るとかではなくて、でもラヴクラフトがSF作家って、それはダメだろう……、と思うのです。

ぼくはそういう、物語に対する無神経さは嫌いですし、そういう人文学者は信用できないのです。物語とは畢竟言葉によって作られた世界なのだし、言葉に対して残酷な人文学者なんてあり得ません。そして残念ながら、前にも書きましたが、そういう人文学者って少なくないのです。それはとても怖いことですし、悲しいことです。

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あるとき彼女とふたりで近くの図書館に行き、帰りにちょっとした山道を歩いていたとき、小さく茶色い、とてもかわいらしい小鳥が草藪のなかにいるのを見つけました。くちばしをいつまでもパカッと開けていて、ちょっとアホな子っぽい感じが何とも言えません。ガビチョウでした。それ以来、その道を何度歩いてもなかなか見かけなかったのですが、その日、山を越えた向こうにある公園の池を二人で眺めていたら、二羽のガビが水浴びをしていました。現実的にはあらゆる問題が山積みの人生ですが、でもなんだかそれだけで、ぼくらはしばらくの間、幸せに生きていけるように思えたりするのです。

そんなことの一つ一つが、ぼくの頭の中にある小さな木の実です。いまは夜中で、明日、というかきょうはもう仕事の日。でも眠りにつくまでは休日だとジョン・レノンも歌っています。いやそれはぼくの脳内レノンかもしれない。ともかく、だからそれまではぼくも、頭の中の木の実をそっと眺めつつ、次に書く論文の姿を思い浮かべたりしています。