ホットドッグで食べていくぜヤンキースタジアム。正直自信はないけれど。

実際にはヤンキースタジアムなんて行ったことないのですが、彼女とふたりでお昼を食べているとき、なぜか一日にどのくらいの本数を球場で売れれば生業として成立するかという話になりました。そこで、まず一般的にはニューヨークでホットドッグを食べるとなると幾らくらいするのかなあと思って調べたところ、意外に高いのです。で、高いと怒っている記事がけっこうあったりする。そりゃそうですよね。ああいう食べ物って、チープな方がおいしい。安くて太いだけのソーセージに、これまた安くてチープな味のトマトケチャップと真っ黄色なマスタードをたっぷりかける。ピクルスだけはきちんとしたものを使う。他のものは安くたっておいしいし、安いからこそのおいしさがあるけれど、ピクルスだけは安いのって掛け値なしにまずいから。でもってそれらを焼き立てで表面がパリパリの、あと一歩で焦げるくらいに焼き立てのホットドッグ用のパン(あれ何て呼ぶのでしょう)に大胆に挟んでかぶりつく。真っ白なYシャツにブチャーッ!! なんてケチャップをこぼしてしまったりして、しかもそれが隣の席のひとだったりして。ともかく、そういう、チープだからこその味ってあると思います。ピザとかもそうです。やたら高級ぶっているものよりも、あくまでぼく個人の好みとしては安い方が良い。彼女と暮らすようになってから、食材とかに拘るようになって、といっても高級食材という意味ではなく、なるべく添加物のないものということですが、けれども、ホットドッグを作るときに使うソーセージなんて、もう添加物目いっぱい使っていますみたいな方が合っている。むしろ添加物100%で肉0%。いやそれは極端ですが、うわあ、もうほんとこんな添加物まみれのソーセージ食べたら……みたいな方がおいしい、気がする。

そもそもどうしてそんな話になったのか。ぼくは、何かで食べていくということがいまだに良く分かっていません。職業的な研究者にはおそらくならないだろうし、いまさらどこかの正社員になるとも思えない。笑顔と「ヨロコンデー!」しかしゃべらないコミュニケーション能力によってこの年までフリーで生きてきましたが、それをこの先いつまで続けられるかも分かりません。毎日スーツを着て満員電車に乗って出社してというのは超人的な偉業にしか思えないし、とはいえ不安定な収入でこのままどこまで生きていけるのか、自信があるわけでもありません。どうしたものか。

ケイスにも最初からわかっていたことだが、闇取引きの力学では、売り手買い手ともケイスを本当には必要としていない。仲介人の仕事とは、自身を必要悪に転じることだ。〝夜の街〟の犯罪がらみの生態系の中に、ケイスは自分のための怪しげな隙間を嘘で切り開き、ひと晩ごとに裏切りでえぐっていかなくてはならない。(ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』黒丸尚訳、新潮文庫、1986年、p.24)

この年になると、ケイスの状況がひどく切実に感じ取れるようになります。無論、ぼくはケイスの倍くらいの年齢だし、別段闇取引をしているわけでもありません。でも、その本質のところ、この社会に自分が潜り込めるだけの隙間を嘘でこじ開け、喰っていくという点では変わらないように思います。

先日、古いデータが必要になり、どこか奥底に仕舞っていた外付けHDを取り出して探していたら、卒論が出てきました。最初の大学は中退しているので、その後会社勤めをしてそこも辞めて入りなおした大学の卒論です。ついつい読んでしまったのですが、これがなかなか良い出来で、思わず昔の自分のセンスにびっくりしました。「わあ!」なんてびっくりしているだけなので、明らかに昔のぼくより退化している。かどうかはともかくとして、一生懸命書いていたんですね。その一生懸命具合が面白くも懐かしい。

でも、それよりずっと前、中退した大学では、ぼくは何を勉強したらよいのか、そもそも勉強って何なのかがまったく分からなくなっていました。表向きは情報科学を学び、多少はプログラムというものを理解できるようになっていたので、中退後に喰わざるを得なくて就職した先もソフトウェア会社でした。自分の能力は必ずしも求めるものとは一致せず、別段、プログラマになりたかったわけではないのですが、考えてみればあの大学で最低限のプログラミングの技能を身に付けていなければ、その後の生活も研究もあり得なかったでしょう。ぼくがプログラミングを学んだ先生はぼくのことなどまったく覚えていないことに全財産を賭けることができますが、アルメニアから来ていたあの教授――いまは大使をしているらしい――には、ぼくはいまでもこっそり、深く深く感謝をしています。ぼくのinformationの発音は、だからいまでもアルメニアっぽい。まあ嘘ですが。でも、良い思い出というのは、いつだって嘘にまみれたものばかりです。

研究は、修士まではコンピュータを用いたシミュレーションベースのものでしたが、博士からは一転して自然言語のみで勝負する世界に移りました。それでも、いまでもぼくの生活を支えている根本はプログラミングのささやかな技能だし、研究上のテーマも、死とかミミズの死についてとか、そんなことを言いつつも、やっぱり情報技術についてのものだといえます。最初の大学にいたとき、ぼくはなぜ勉強をするのか、コンピュータについて、情報科学について学ぶとはどういうことなのか、さっぱり分からないまま混乱し、そしてそれほど苦労もなく適応して知識を深めていく(ように見えた)周囲の学生たちに恐怖していました。結局、いまでもぼくは混乱したままです。情報技術っていったい何なのか、プログラムを組むってどういうことなのか。混乱したまま、でも、だからこそそれについて考えることもできるのだと、すっかりふてぶてしくなり無精ひげまで生えてしまったいまのぼくは、そんな風に思っています。

すべては中途半端で、明日、果たして自分はまだ社会のなかでどこかに位置づいて、何かの対価として収入を得て、食べていられるのか。どうにも自信はありません。それでも、どうにかこうにか会社にたどり着き、どうにかこうにか不具合を調査し修正しドキュメントをまとめ、やれやれなんて思いつつひさしぶりに仕事帰りに海沿いを歩いたりしていると、その不安定さのすべてが重なり合った奇跡的な交点の、これまた奇跡的に安定したいま・ここの完全さを感じ取ったりもするのです。

仕事帰りに父の遺したCONTAX TVS IIで撮った写真。デジタルに慣れてしまったいまではほとんど呪物のようなカメラですが、でも、かわいい見た目も含めて気に入っています。数日前、仕事が一段落して食堂まで飲み物を買いに行ったとき、ひさしぶりに虹を見ました。最初はとてつもなく巨大な虹の一部で、少し目を離してから見てみると、今度は小さく、そして普段とは逆向きに地平線に対して凸になった虹になっていました。職場のなかなので写真を撮るわけにもいきませんでしたが、記憶に残せるので、別段、構いません。いずれにせよその不思議な光景は、いつかぼくの論文のどこかに現れるのだろうと思っています。