けしごむらいふ

ずいぶん長いあいだブログを更新していなかった。といってもたかだか3か月程度のことで、ネットの時間はやはり実時間より速いのかもしれない。いや、実時間も実時間で、3か月前がはるか昔のことに思える。といっても、何か特筆すべきことがあったわけではない。ただ仕事に追われ、気合いと根性で論文を書いて、あとは何だろう、普通に生きるために必要なことを片づけていた。時折、これはブログに書こうと思うようなこともあったのだけれど、いま思い出せるのは、消しゴムを新しくしたことだけだ。

何年も使ってきた消しゴムを買い替えた。古い方は、もうゴムが経年劣化してしまって、まだ十分に残っていたのだけれど、消そうと思っても黒鉛を引き延ばすくらいの役にしか立たなくなっていた。さすがにこれでは仕事の記録を取るのに困ることが増え、それでもさらに一年以上惰性で使い続けたあげく、ようやく買い替えたのだ。古い消しゴムは、もちろん捨てたりはしていない。いまは絶縁体代わりに、基盤の台に使ったりしている。

新しい消しゴムの消し味は素晴らしい。消しゴムって鉛筆で描いた文字を消せるんだ、という当たり前の事実に、いまだに毎回感動している。書こうと思っていたすべてのことを忘れて、このことだけをずっと覚えているというのも、思えば奇妙なことだ。

去年は仮想通貨と株と金に手を出して、すべて、この短期間ではという条件付きでは良いときに売り抜けた。いまはバイオ企業系の株だけを保持していて、それもそろそろ売っても良いかなと思っている。はじめから極度に安全マージンをとってのことだったから、ビギナーズラックなどと呼ぶほどでもなく、得たものなどたかが知れている。それでも、リアルに投資をしてみて、改めて自分の性格というものを見つめ直す機会にはなった。ありふれた言い方ではあるけれど、確かに、貨幣にはある種の真実があるし、ある種の真実を映しだす機能がある。

ぼくは小心者だから、保有している仮想通貨やら株やら金やらが上がったり下がったりするたびにどきどきして疲れてしまうし、同時に、売ったら売ったで、あのときもっと投資していればもっと儲かったのにとぐずぐずくやんだりもする。でも、そういったどうしようもない性格をさらに超えて、ほんとうにどうしようもないのは、何もかもすぐに忘れてしまうというこの性質だ。あっという間に、そういう、後悔やら執着心やらが消えていってしまい、あとにはルーチンワーク化した何かと、退屈くらいしか残らない。未練がないといえば聞こえはいいかもしれないけれど、要するに、飽きっぽいということだ。怖ろしいほどに飽きっぽい。彼女以外の何が手から零れ落ちても、最後には、ああそうかとぼんやり思ってお終いになる。

でも、書くことだけはいつでも残る。ここ一週間のあいだに、いま書いている論文をさらに一気に書き進めた。ここ三年間、ある大学の研究所の研究部会として仲間とやってきた研究の、ひとつの区切りになるものだ。一年に一回研究会誌を発行して、それに掲載する論文。正確には四年でひとつのフェーズが終わるように計画されているので、あと一年かけて、最終的なまとめとなる論文をもう一本書く必要があるけれど、それはあくまで総括的なもの。技術について、神について、そして(非常に広い意味でいえば)民主主義について、考えてみればこの三年間だけではなく、結局中退した最初の大学で唯一プログラミングだけはまともに講義を受けながら考え始めたことの、現時点における到達点になっている。まだ非常に大雑把な草稿の段階だけれど、でも、少なくともこれを書いたことを、後で拙いと思うにしても、恥だと思うことだけはないだろう。

次のフェイズでは――といってもまだ第四号があるからさらに先の話になるけれど――もっと日常的な、庭に出てくるカエルとか、雑草とか、風とか星明りとか、そういったことについての論文を書こうと思っている。幸い、研究仲間の厚意によって、あと三年は研究者を名乗っていられそうだから、まあ、焦らず進んでいこうと思う。期限が切れたら、野良哲学者として書いていけば良い。書くことだけは、幸いなことに、飽きることはなさそうだ。いや分からないけれども。

書くことといえば、最近、iA Writerというワープロソフトを手に入れた。KickstarterでWindows版開発のための投資を募っていて、面白そうだから支援してみた。それがつい先日ダウンロード可能になって、いま、このブログの文章もiA Writerで書いている(最終的にはWordPressにコピペする)。バージョン1.0.0とはいえ、まだまだ不具合がたくさんあるし、正直これは日本語で利用する場合、英語で書くのとは異なり、このソフトのシンプルなデザインの美しさがあまり活かされないように感じる。例えば文章の折り返しが行ごとに凸凹になるのは地味に醜いし、半角の「.」でしか文章の区切りを認識できないから、日本語の場合センテンスフォーカス(いま書いているセンテンス以外は薄い色で表示する機能)もほとんど意味がない。入力途中のフォントと実際のフォントが異なるのも格好悪い(フォントは固定されていて選べない)。数万文字を入力すると、徐々に反応速度が低下して、仕事では使いたくないレベルにまでなる。とはいえ、これはすべてありふれたバグや設計の甘さでしかないから、今後のバージョンアップでいくらでも対応できるだろう。全体的にいえば極めてシンプルで美しい。ひとには勧めないけれど、ぼくはとても気に入っている。

書くことに飽きるということはないだろうけれど、どうせなら、書いていて気持ちが良い方が気持ちが良いし、楽しいほうが楽しい。買い替えた消しゴムで書き損じた文字を消すとそれはそれはきれいに消えて、きょうもぼくは喜んでいる。