地下水脈355000年

すべての、自分が書く言葉を統一していくこと。しかもそれが自然に為されること。そんなことを考えながら、真夜中に次号の同人誌に載せるつもりの物語を書いている。でもそうではなくて、それは、いまぼくらが作っている研究誌の論文なのかもしれない。

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あれは何日前だっただろうか、YMOのM-16を彼女と聴いていて、ふたりで、あ、これ以心電信だね、と頷きあった。ずっと昔、まだ僕らが大学生だった頃、彼女と彼女の友人の女の子と僕の三人で、あれは中野の映画館だっただろうか、何故かプロパガンダを再上映していて、それを観に行った。すごく混んでいて、当時からいまに至るまで軽い女性恐怖症のぼくは、彼女の友人は無論、彼女からも少し離れて、最後尾の手すりに凭れながらスクリーンに映された若いころの三人を眺めていた。

M-16は、何かYMOの雑誌を買ったときに、おまけとしてついていたミニディスクに入っていた。それを買ったのも、たぶん大学のときだろう。人形劇で一緒だった子が、その雑誌の最後の方(だったと思う)に載っていたとりみきのマンガを読み、そこに登場するお父さんを見て、「これ、何だかクラウドリーフくんに似ているね」と言っていたのを覚えている。そのお父さんはとりみきのマンガによく出てくる感じで、小太りで和服を着ている。もっとも、記憶が漠然としているので、ぜんぜん違うかもしれない。ともかく、当時のぼくは、彼女のその感想を聞いて似てねえよ! と内心で抗議していたが、何しろ女性恐怖症だったので、むにゃむにゃ! と曖昧に答えた。でも、この年になってみると、いや無論外見ということではないのだけれど、何となくその子の言っていたことがちょっと分かるような気もしてきている。そのときの真意をその子に確認することは、来世にでもならない限りはもう不可能だ。だけれども、それでも、たかだかこの世界の物理的な断絶などを超えて、コミュニケーションは可能だ。

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少し前、とある研究会に出てきた。そのときのレジュメに書いたひとつの単語に、研究会のひとりのメンバーから猛烈な批判を受けた。彼はいま同人誌を一緒にやっている男で、というよりも彼に誘われてその同人誌に参加したのだけれど、何しろ非常に優れた詩を書く人間でもある。だから、僕もそういったときにはがっと反論してしまうけれど、後になって思えば、彼が言っていたこと、何が彼の逆鱗に触れたのかについては、なるほどと納得するところが大きい。というよりも、表面的には互いにぐわぐわと言い合っているときでさえ、根っこのところでは彼の指摘のまっとうさを理解している。いや、理解ではない、信頼している。だから、そういったときの激情や批判の応酬はとても楽しい。相手を茫洋と覆った無駄な言葉や礼儀の靄を殺すつもりで放った拳で削り取っていくその先に、確固とした魂のかたちが現れてくる。それを何年もかけてやっていく。相手がそのときまでそこにいようがいまいが、それとは無関係にぼくらにはそれができる。

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信念があるか、途轍もなく嫌なやつか、狂信者か、聖人かあるいは根本的に腐りきった人間か、そうでもない限り、「自由で開かれたコミュニケーション」など不可能だ。そんなものはあり得ない。ぼくは腐りきった糞野郎なので、真面目で立派な研究者仲間よりは、コミュニケーションというものについて多少は見通しが利く。そこではすべてが逆転している。その逆転が視えていない誰かに対して、ぼくは本音で語る言葉を持つことはできない。安易に「テロ」などという言葉を用いる連中をぼくは信用しないけれど、それでも、そういった言葉によって指示されるような何かしらの現象が増えていくなかで、なお改めて公共圏的言論空間の重要性を掲げる。それはそれで構わないし、場合によっては、そこにもやはり狂気にも似た理念への執着がある。そうであるのなら、ぼくはその言説に耳を傾ける。でも、そうでないのなら、民主主義などというのは、所詮は糞の戯言でしかない。そうしてその戯言は、他者に対する徹底した暴力性を伴う戯言でもある。その偽善性が問題なのではなく(どのみちぼくらはみな偽善者なのだ)、自分の浮かべるその偽善面に気づかない阿呆さ加減が問題なのでもなく(どのみちぼくらはみな愚鈍なのだ)、その全体にある悲しみを己自身で読み取ることのできない人類全体の歴史の、虚構としての方向性こそが問題なのだと、ぼくは思う。

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どこに行っても、声の大きい人間の発する言葉ばかりだ。毎年、毎月、毎日、毎秒、それは大きくなっていく。それがほんとうに疲れる。美しいという言葉さえ腐ってしまったこの時代にも、もしまだ美しい言葉というものがあるのなら、あるいはもし我々を繋ぎ得るような言葉が存在し得るのであれば、それはむしろ、聴き取ることのできない言葉だろう。

彼女は炭酸水が好きだ。何が良いのか分からないけれど、小さなグラスに炭酸水を注ぎ、それを飲む。そこから聴こえてくる幽かで素早い、別の宇宙からの信号のような音に耳を傾けながら、真夜中に、小さな、小さな物語を書いていく。

あ・ぎよぎよ・ううん・う

この三日間は家から一歩も外へ出ず、平穏な気持ちで過ごしていた。街へ出るたびに生きるか死ぬかという思いをする。それはぼくの半分で、残りの半分はこれまでの人生で鍛え上げてきた常識人たるぼくだ。だからもう片割れの自分が感じる恐怖心を、馬鹿にはしないが、それなりに割り引いてつき合うことにしている。ともかく、家に籠っているあいだは、毎日風呂場を洗っては水を張り、合計10時間以上水風呂に浮いていたと思う。水の匂いは心が落ち着く。

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ところでぼくは昔犬を飼っていた。飼っていたと言えるのかどうか、ぼくが幼稚園に通っていたころに我が家に来たので、当時のぼくでは碌に散歩もできはしなかったし、彼が恐くて、カーテンに身体を包んで隠れていたのを覚えている。そうして彼は、カーテンの裾から覗いているぼくの素足をペロペロ舐めていた。

もちろん、ぼくがある程度大きくなってからは普通に散歩に連れて行った。何しろ変わった犬だったから、可笑しな記憶もたくさんある。柴犬だったので、寿命はせいぜい十数年。ぼくが大学に行き、既に落ちこぼれ始めていたころ、老衰で死んだ。

ペットロスとか、そういう安っぽい言葉は嫌いだ。偏見だけれど(そもそもぼくは偏見の塊のような人間だ)、そんな言葉を軽々しく口にするのは、「大切な何かを失った自分」に焦点を当てたいからなのではないかと思ってしまう。喪失というのは、ほんとうになくなってしまうということだ。それを表現するのは、大抵の場合、人間の手には余る。

それでもともかく、記憶はある。柔らかいとはとても言えないような彼の背中の毛皮。散歩の途中でちょっと一息入れるときなど、ごしごし擦ってやると喜んでいた。ぼくの手にはずいぶん犬臭さが移った。臭いは、もっともコントロールしにくい、記憶を甦らす契機だ。ぜんぜん無関係なような臭いを嗅いだときに、ふと、あのときの犬臭さを思いだし、それを通して、漠然としたあの十数年の記憶の総体が空から降ってくる。あの手触りと匂い。それはどこかで、父のよく着ていたコーデュロイのジャケットをぼくに思いださせる。直接的には何の類似もないのに、記憶の働きというのは奇妙なものだ。

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彼女と時折散歩をする道があり、その途中にペットショップがある。一度、ふたりでそこを覗いたことがある。ペットショップは苦手だ。子どもの時分にドリトル先生を読んだことがあるひとならば、きっとその意味が分かるだろう。ぼくは本ばかり読んでいるような子どもだったし、彼女はぼくよりもはるかに本を読んでいるから、ドリトル先生でさ、と言えば、もうそれで通じる。でもそのときは覗いてみた。そういうときってあるものだ。

芝の子犬がしっぽをぱたぱた振りながら、柵越しにぼくの手を舐める。ぼくは対人恐怖症の上に、何故かしばしば他人に憎まれる。だけれども、犬にはあまり嫌われた記憶がない。たぶん身体から犬の匂いがしているからだろう。ぼくらはしばらく彼を相手に遊び、じゃあねと挨拶をして帰った。それ以来その店に入ったことはない。ペットショップは、やはり苦手だ。

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彼女と散歩に行くときは、大抵、ちょっと離れたところにあるスーパーに寄ったりする。普段は行かないような。そこで野菜や果物を買う。そうするとぼくは大抵、食べたあとに残った種を庭に植えようよと彼女に言う。育つかどうかは分からないけれど、育ったら何か嬉しいよね。まあうまく何かが育つと本気で思っている訳ではないけれど。

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人間は言語という渦巻き機械から生み出され、その遠心力によって自然から乖離し続けてきた。その不自然さが人間の自然で、でもどこかで、そうでない生があるのではないかなと、いまだに願っている自分もいる。

ある一線を超えないような人生を送れればなあ、と思う。けれども、それが難しい。途轍もなく、難しい。

露出狂サクラメント

連休の初日、銀座の貸し会議室まで出かけていき、混ぜてもらっている同人誌の編集会議に参加してきました。残念ながらそれぞれに仕事を持ち、遠くで暮らすひともいるので、全員参加という訳にはなかなかいきません。それでもやはり、信頼できる仲間と集まり言葉について遠慮なく容赦なく語れるというのは、とても楽しいことです。

今回の同人誌は、寄稿も含めて論考の質が非常に高く、そこらの学会誌などよりはるかに質の高いものになっています(まだ初校の段階ですが)。若手でも最高の人材が書いているから当然ですが、何しろ一言一言が鋭く重い。それ故、読み手にも相応の覚悟が要求されます。

他方で、自分は物語を毎回掲載しているのですが、そちらの文体はどんどん透明で静かになっていくのを感じています。もともと個性の薄かった自分の文体から、ますます色が抜け落ち、どこにでも、どの時代にもある見慣れた景色のようになっていきます。まあ、それはそれで、同人誌のなかにそういうページがあっても悪くはないだろうと思っています。

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今年もまた所属学会のジャーナルを作成しました。ぼくはほんとうにこの作業が嫌で、ちょっと、何かを病みそうな気配が年々濃厚になっています。そういえば彼女には表紙を褒められました。学会のひとには表紙の写真はもう撮りたくないとお願いしていたのですが、リアクションのないまま、今回も自分で撮影したものを使いました。「まるでメモリアルホールのパンフレット」という彼女の感想により、今回で4冊目なのですが、密かにこれをメモリアルシリーズと呼んでいます。今号の表紙の写真については、彼女から「いよいよメモリアルを極めたね(笑)」と言われたので、ぼくもいよいよあの世的な何かに開眼したのかもしれません。

とにもかくにも、ジャーナル作成は苦痛です。愛のない言葉を校正するというのは、明らかに「拷問及び他の残虐な、 非人道的な又は品位を傷つける取扱い 又は刑罰に関する条約」に反するのではないかと思います。いま巷間では人文系の学問への風当たりが強いですが、だけれども、総体的に言ってそれは自業自得じゃない? というのが正直な感想です。人文系研究者も、人文系不要論者もすべて含めて、自業自得でしかない。薄ら笑いを浮かべながらそう言うと、真面目な研究者には怒られます。まったく申し訳ない限りですが、だけれども、愛のない言葉を書く人文系研究者など、ぼくにはその存在が如何にして可能なのかさえ分かりません。

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あとせいぜい1、2年の間に決めなければならない話ですが、現状のような不安定な生活から足を洗える機会がありそうな感じです。何しろ社会不適応者ですからそのお話もありがたいとは思いつつ一長一短であり、そもそも正社員をやっていたころの自分を思いだすと完全に神経症になっていたと、いま思います。ただ、大学を中退してから会社に入り、おかしくなるまで働いて実際にちょっとどうかしてしまって、そういったことがあったから、いまのふてぶてしくすべてを呪って恬として恥じない自分がいる。だから良かった、とかいうことではありません。そんなことを言ったら、少なくともそのような状況を生み出した現在の社会システムの何かしらを肯定することになるし、そうであれば、そういったものに押し潰されてさよならをした誰それさんに対して、生き残った人間として限度を超えた恥知らずになってしまう。

だからそうではなくて、その経験を通して自分が自分で思っているような、繊細で高邁な人間ではなく、ただただひたすら鈍重で醜悪で俗悪な糞野郎だということを知ることができたという点においてのみ、それは意味がありました。糞なんだから仕方がない。でも、生き残るために、それ以上に重要な知識はありません。そうじゃないでしょうか?

いまさら、そんな自分がどこかの組織に属して働くなどということができるだろうかというのは、相当に疑問です。あるいは逆に、変な理想や信念のあった昔のぼくとは違い、案外平気で、鼻歌交じりでやっていくのかもしれません。分かりませんが、とにかく、喰っていくためには何もかもが仕方ありません。仕方がある、と言えるときが来るとすれば、それはそれで、自由な道が最終的にひとつは残されていることになります。でも何しろぼくは糞野郎だからなあ。

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研究者を続けるか会社組織に潜り込むかあるいは自分で会社を作ってしまうか、そのいずれを選ぶにせよ、所詮は糞のような道しかありません。だけれども、こんなことも思います。居なくなってしまった人びとへの責務がいままでの自分を駆り立ててきたということは、ある一面においては確かでしょう。それでも、同人誌や研究会誌に誘ってもらい、少なくともそれを書いた時点で恥じることのない文章を書くことを通して、少しずつ、それで良いのかもしれないなあ、と思うようになってきています。自分の文体が透明になっているのを感じるのも、恐らくこのことと無関係ではありません。

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少しずつ、出口も入口も減っていきます。最後にはただ出口の一つだけが残される。だけれど別に暗い話ではなく、それはそれで、七転八倒する自分の姿というのは、奇妙にユーモラスで面白いものです。それは突き放しているということではなく、ぼくがぼくである前後の人生のすべてを貫く魂のようなものがぼくを見下ろすその広大な俯瞰のなかにある愛のようなものなのです。そんな言葉をもし書けたら良いですね。このひと大丈夫でしょうか。けれども、頭が良いだけの人びとにに何を言われても、選ばれし糞であるぼくとしては、中指を立てつつ地獄へ堕ちろとただ答えるのみなのです。

シジフォス・カマドゥーマ

何故かは分からないのですが、洗面所にカマドゥーマが出てきます。ここ三晩ほど連続して、毎回複数匹なので、どこかに経路ができてしまったのかもしれません。基本的にフォルムの明確な虫は何とか対応できるので、クァムァドゥームァが居ても、ぎょえっ、と思うくらいでぽいと外に放り出します。洗面所に戻ってくるとまた居るので、またぽいと外に放り出し、戻ってくるとまた居ます。シーシュポス! 夏は、いろいろ生き物が発生し、困ったものです。特にぼくの住んでいるところは近くにまだ自然が残っているため、多くの昆虫が巨大化しており、これもまた大変なことです。

けれども、写真に撮る対象としては昆虫は良いですね。あとはキノコ。この二つを撮っているときがいちばん幸せです。あれ、何か侘しいな・・・・・・。まあいいか。最近、誘われて山歩きに行ってきました。といっても、丘登山家で有名なぼくのことです。登山といったところで、せいぜい御岳山とかにふぅふぅ登って下りて温泉に入って出てネクターを飲んでうまーっ! とか叫んで、まあそんな程度のもの。それでも、この時期の山は、何だかいろいろなキノコがあり、それだけでも楽しいのです。

kinoko

何のキノコかは分かりませんが(彼はキノコが好きだと言いながら、知識は何もないのです)、今回はとてもかわいらしいキノコを写真に収めることができました。

ちなみにその日は平日で、本来なら当然出社しなければなりません。ですがここ最近、自分の研究もすべて捨て置き、バグ取りと学会活動に時間を割いていたのですから、一日くらいは好きに動くことにしました。天地が滅びる訳でもなし、滅びて困る訳でもなし。アトラスでもないぼくにそこまでの責任はありません。というかそもそもこの男、責任感そのものがない。そのくせ論文では「他者に対する絶対的な責任が云々」などと書いて平然としている。いや良く見るといつでも何だかにやにやしている。

ともかく、電車に乗って出発地点の日向和田駅を目指します。朝のラッシュにぶつかるので、迷惑にならぬよう、なるべく荷物は少なく、普段の小さな肩掛け鞄で行くことにしました。一眼レフはマクロ一本に絞り、あとは着替えのTシャツと万能に使える手ぬぐい、雨具と食料、大量の水。あれ、けっこう大荷物だな・・・・・・。まあ出来の良いカメラバッグであればいろいろコンパクトに詰め込めるので、そんなものを抱えて通勤客に紛れて目的地に向かいます。丘登山家たる彼は普段から登山靴ですし、出社の際にも絶対にスーツなど着ないので、まるでこれ、普段の出勤時と同じ姿です。サラリーマンでもなく登山客でもない。いつも中途半端な姿で、この世の片隅を徘徊しています。

忙しい忙しいと言いつつ、最近はめずらしくがんばって公募に幾つか出したりもしています。別に結果はどうでも良いのですが(もちろん、安定した職は欲しいですけれども)、あのあれ、何て言いましたっけ、あ、履歴書ですね、それから研究業績書みたいのも、たまには書いておかないと、いざ急に必要なときに手間がかかることになってしまいます。だから、ときおり公募に出すついでにアップデートしておくと良いのですね。

で、そんな公募のうちのひとつの結果がそろそろ来るかな、というとき、一通のメールが届きました。タイトルを見ると「内定につきまして」。彼はね、正直「お、これは来たかな、来たよね、もうバグ対応塗れの人生から逃れたってことで良いよね!」と思いましたよ。ほんの0.5秒ほど。この0.5秒というのが、彼がいまだにこの社会に対して抱いている甘い認識の程度を示している。でもすぐに「そんな訳ないだろ」と冷静に考えなおす。それでもなお期待にぶるぶる震える手でメールを開く。すると「クラウドリーフ先生、以前は就活の相談に乗っていただきありがとうございました。この度ようやく内定を得ることができ・・・・・・」と書いてある。「ウエーへへへ!」と奇声を発して、隣の上司に輝くような笑みを向けます。ぼくの奇癖に慣れた上司は落ち着き払って「クラウドリーフくん、このバグも対応しておいてね」と新しいリストを送ってよこします。「ウエーへへへ!」

この三連休は、一日は研究会に出て潰れ、一日は所属している学会のオンラインジャーナルの校正で潰れ、一日は来週ある研究会用の原稿作成で潰れました。あとは洗面所に居るクゥムゥドゥームゥを外に放したくらいでしょうか。山に登ってキノコを撮っているときがいちばん幸せな人生でした。そんなことを呟きつつ、また明日から終わりの見えないバグ取りに励もうと思います。

彼の抜き手はあらゆる防御をすり抜け

母校でちょっとした集いがあり、それに参加してきました。無論、普段の彼なら、そんなパーチーなんぞには近寄りもしません。だけれど、ある日、その大学の学長から電話があったのです。これまた無論、普段の彼なら、電話なぞには絶対出たりはしません。ですが、そのときはちょっと魔が差してしまったのでしょう。取り返しのつかない事故というのはそういうときに起きます。電話に出ると、何月何日にちょっと大学来られる? と学長が言います。職でもくれるのかな? くれるのかな? と思ったら(そんな訳はない)、ある集いをやるんだけれど、人数少ないし頭数合わせに来てよ、とのこと。がっかりしょんぼりしながら、それでもひさしぶりにお会いできる先生方もいらっしゃるしと気持ちを切り替え、当日はとぼとぼと大学へ行ってきました。

しかし、実際のところはとぼとぼなどあり得ません。彼はいま活動量計をつけているのですが、あとでデータを眺めると、常に小走り状態で記録されています。胡乱な目つきをした職業不詳の男性が足音も立てずに高速移動を続ける。ニンジャ! そう思いながらも大学最寄りの駅に着きます。予定より少し早い時間に着いてしまい、こういうとき、彼の臨機応変さのマイナス方向への振り切りっぷりが露呈します。駅近くのビルにある本屋や喫茶店で時間を潰すということができないのです。だって知らないところ怖いもん。知らないところとか言って、彼はその駅を最寄りとする二つの大学に通い、その合計は8年を超えています。何故8年以上も? 理由はない。警察の取り調べに彼はニヒルにそう答えます。ともかく、時間を潰すこともできず、歩いて行くことにしました。大学までは30分。ちょうど時間の調整ができるでしょう。ヒタヒタ、ヒタヒタ、ヒタタタタタッ、ニンジャ!

大学内の会場に着くころには、もう汗だくです。まずはトイレに隠れて顔を洗い手を洗い、昨晩仕事帰りに1000円カットのお店でイギリスのEU離脱と日本の参議院選挙についてなぜか延々話しかけられながら(例によって「あっあっあっ」とナイスな頷きだけを返しつつ)ざっくり切られた髪もついでに濡らして整え、それでも汗は引かず、それでも、それでもなおメロスは行かねばならぬ。何しろトイレを出たらもう会場の受付なのだから逃げようがありません。でもきみはまっぱだかじゃないか。

会場に入り、同期の知り合いは一人も居ないことを確認します。まあそんなこったろうとは思っていた。既に彼の顔には死相が浮かんでいる。だが、とにもかくにもお世話になった先生方に挨拶をしなければならぬ。ところがなぜかこの大学、先生に挨拶をすると、みな握手を求めてくるのです。欧米人なのでしょうか。しかし帰国子女たるわたくしも、握手を挨拶とすることに抵抗はありません。すっと手を出します。全速歩行してきた汗と場違いなところへ紛れ込んでいるという明白な自覚による冷や汗で、手はもうヌルッとスルッと相手の手の中に滑り込んでいきます。しかしある理由から人格者揃いの先生方は、眉一つ動かすことはありません。「クラウドリーフくん元気だった?」「送ってくれた論文読んだよ」「誰にも読んでもらえない論文があったらまた送ってよ」「誰にも読んでもらえないんでしょ」暖かい数々の言葉に、彼の冷汗の総重量は体重のおよそ2.5倍に達します。「私はクラウドリーフではありません。タイから来た留学生のスヌルット・テニギリナクシュです。日本は物価が高いですね。職をください」本音を交えつつにこやかに挨拶をします。「サヤッダラッチリッビリッ」それはマレー語です。「私は下痢をしています」違ったかもしれない。彼の頭の中には、断片的で混乱した記憶しかないのです。

それでもやはり、学生時代にお世話になった先生方にひさびさにお会いするのは、とても嬉しいことです。ぼくのような半端な人間が研究者をやっていられるのは、間違いなく、この人びとに学問云々を超えて教わったことによります。最初の大学で完全に落ちこぼれていたとき、エリート揃いの教授陣がぼくを見るときのあの目つきを、当時のぼくは決して忘れませんでした(いまとなってはどうでも良いことですし、むしろ彼ら/彼女らを哀れに思います)。そういった意味で、先生方が退官なさった後も変わらずに気迫と熱意とユーモアをもって燃えさかっているのを見るのは、それだけで十分意味のあることでした。

そのなかのおひとりに名刺をお渡ししたとき、住所も書いておくれ、と言われ、慌てて鞄からペンを取りだします。パーティーの後に彼女に会うつもりで、貰い物の海苔とお茶を持っていたのですが、それが鞄からごろりと転げ落ち、グワラングワランと転がります。ようやく取り出したペンは何故か薄く、自分で専用シートに印刷した名刺はつるつるしており、まともに文字も書けません。知り合いの同期もなく、先生方とお話をしていない間は、ひたすら手持ち無沙汰で気配を殺しています。ニンジャ! そんなこんなのすべてが、悪い意味で燃えさかる恥ずかしさとして身を苛みます。でも、どうでも良いことです。この年になっても治らない人見知りとか緊張癖とか、まあそんなことは、所詮、俯瞰してみれば人間の微笑ましいみっともなさでしかありません。

ひさびさの休日、尊敬する先生方と神の話をしたりして帰ってきました。いまぼくが関わっている学会ではそんな話はまずできないので、何だか改めて自分の研究の根源にあるものを確認できたように思います。

角膜レトロフューチャー

休みのない日々を過ごしていました。自分の担当しているプロジェクトが山場を迎えており、家に帰れず急遽会社近くのホテルに泊まる、そういったことが続くと、何だかちょっとげんなりしてしまいます。とはいえ、いざホテルを取ってしまえば、翌日早朝から仕事であっても気は楽です。コンビニでおにぎりを買うついでに、真夜中の工場地帯を徘徊します。服はヨレヨレ、髪はボサボサ、目つきは胡乱。どう見ても不審者ですが、中身も不審者なので、それはそれで正しい在り方です。心貌合一。『枯葉色グッドバイ』の椎葉さんのように生きなければなりません。そういえばぼくも、喋り方が変だと、昔はずいぶん言われました。とにもかくにも職質にひっかかることもなく、無事ホテルに戻り、ガサガサとコンビニおにぎりを開封しながら持ち歩いている論文を読みます。寝る前にトイレに行くと、トイレの前には全身が映るくらいの大きさの鏡があります。どうして用を足している自分の姿を凝視しなければならないのか。そんな疑問に悩まされつつ、あとはさっさと歯を磨いてベッドにもぐりこみます。翌朝からは再び終電までプログラム。その間には延々無駄な打ち合わせ。けれども、それはそれで、労働者としてはごくありきたりな姿でしかありません。

民間企業で働いたこともないひとが「労働」を語り、コンピュータをまともに使えないひとが「情報技術」について語る。ぼくはどうも、そういったことへ違和感を感じてしまいます。もちろん、絵を描けなければ美学を語れない訳でもなく、小説を書けなければ文学が語れない訳でもありません。ただ、そこには研究者としての誠実さが必要です。そして、誠実な研究者はたくさんいますし、ぼくがいまでもつき合えているのは(というよりもぼくのような人格破綻者とつき合ってくれているのは)そういった研究者たちです。彼らが誠実であるように、ぼくもまた研究に対して誠実でなければなりません。でも、学会とか大学組織とか、そういったものは、もう無理です。ムリムリ。

ムリムリ言いながらも、先日、とある学会に参加してきました。別段発表をするわけでもなく、単なる記録係です。まったく興味のない大会に仕事の時間を潰してまで行き、挙句に年会費と大会参加費まで支払うという意味が良く分からないことをしつつ、唯一楽しみだった研究仲間の一般研究発表は聞き逃すという、良いとこ無し太郎な感じでした。その上、大会二日目の朝は会場へ行く途中で道に迷い、渋谷の街を延々徘徊することになりました。渋谷の街はまったく好きになれません。一歩歩くたびに精神が削られていくのを感じます。それでも、迷ったときの鉄則に従い少しばかりの高台に辿りつき街を見下ろすと、自分のかかずりあっていることどもの余りな愚かさとこの街の醜悪さに象徴される文化などと呼ばれているものの奇怪な愚鈍さとのすべてが混然一体となり遠ざかり、それはそれとして、死後の魂からの俯瞰のような、ある種の平穏を感じました。

結局、当然のことながら大会参加から得るものなど何もなく、疲労を抱えたまま再び労働の日々に戻り、それでも自分なりのかたちで研究は続けています。誠実でなければなりません。誠実というのは、怖ろしい言葉です。いえ、あらゆる言葉が、本来は怖ろしいものです。言葉はぼくらを殺す。だけれども、それがなくては、たぶんぼくらは生きていられない。最近は無意識のうちに笠智衆の真似をしつつ「困った、困った」と呟いています。

研究とはいっても、別段、論文を読んで論文を書いて、というだけではありません。そんなことを言っているからクラウドリーフくんはだめなんだよ。でもまあ仕方がない。原著至上主義者や海外の学会での発表、海外の研究誌への論文掲載のみが研究であったり業績であったり、それはそれでひとつの考え方ですが、ぼくにとってそれは哲学研究であって哲学ではない。言うまでもなくそれは哲学に対するイメージであり個人的な感想であり、効用を保証するものではありません。それでも、ぼくにとっての哲学は、もっと自由で、もっと恐ろしいものです。そんな訳で、どんな訳か自分でも分からないままに、数週間ぶりの自由な一日、横浜美術館に行ってきました。「複製技術と美術家たち」に行くためです。たまたま彼女が居らず、けれどようやく取れた休みの日が展覧会終了の一日前であったため、実に十数年ぶりでしょうか、ひとりで美術館へ出かけました。自分が社会的な人間としてはもう相当にダメであることを実感しましたが、それでもざっと展示室を廻り、パンフを購入し、這う這うの体で帰途につきました。展覧会自体は何だか無理筋な感じで、「複製技術」という本来なら一本通っているはずの筋がまったく見えてきません。あとになってよくよくパンフを見返すと、「富士ゼロックス版画コレクション」とあります。なるほど、コレクションありきでストーリーを作ったのでしょう。でも、展示されている作品は良いものがたくさんありましたし、それで十分です。

仕事はまったく終わらないままです。困った、困った。でも、この前出した雑誌の書評会を、仲間の研究者が開催してくれます。また、他の研究会で、尊敬できる若手研究者の発表のコメンテーターとして声をかけてもらいました。どちらも、とてもありがたいことです。真摯に研究をしていかなければなりません。そんな訳で、どんな訳か自分でも分からないままに、次の休みはいつになるか分かりませんが、そのときには庭で取れた梅で、梅ジュースを作ろうと思っています。

命は、そのようでなければ

いま書いている論文は、メディア史を語りなおすみたいなことが目的なのですが、その一環として宗教史や美術史を勉強しなおしています。そのためにだいぶ新しい本を手に入れて読んでいるのですが、日本基督教団出版局から出ている『死者の復活―神学的・科学的論考集』がなかなか面白い。もっともだいぶ特殊な内容なのでお勧めするわけではありません。今回のブログタイトルは、N.ヘルツフェルド「サイバネティックス的不死対キリスト教的復活」の一節(p.274-275)です。ちょっと引用してみましょう。

科学と技術の中心的目的は客観的、物理的な世界を理解しかつ制御することである。[…]そのような世界においては、サイバネティックス的不死は「より多くの時間」となり得るだけである。物理的宇宙の限界ということを考えれば、それは終わりのない時間ではなく、またわれわれはそれがそうあって欲しいと望むだろうと私は推定することもできない。[…]地上の命は天国でも地獄でもない。それは、大きな苦難が大きな喜びと並んで存在する中間の領域である。Alle Menschen müssen sterben.全ての人は死なねばならない。命は、そのようでなければ、その味わいを失うだろう。

他にも興味深い論考がいくつもあるので、ゆっくり読んでいこうと思います。

そういえば最近は銀座に近寄ることもなく教文館に寄ることもなくなったのですが、まだあるのでしょうか。あるといいですね。上の階にある洋書フロアとか、とても良い雰囲気なので、機会があればぜひ立ち寄ってみてください。ちなみにぼくは外国語どころかそもそも人語も良く分からないのですが、昔はずいぶんうろうろしていました。あそこでシリア語辞典を買ったのも良い思い出です。いまとなっては鈍器以外の使い道はないけれど。

先々週くらいだったか、仕事を少し早めに上がった日、そのまま延々一時間ほど電車に揺られ、東京に出ました。丸善で資料本を買い、やはり仕事を終えた彼女と落ち合い食事をして、ふたりで八重洲のブックセンターに行きます。特に何を買うということでもなく徘徊し、気になるタイトルをチェックしていきます。徘徊とはいってもふたりでそのペースは異なり、彼女はあらゆるものに引っかかってしまうひとで、一方ぼくは、ただ自分の注意を強烈に引き寄せるものだけに焦点を絞ります。そこで『イメージ、それでもなお―アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真』(G.D=ユベルマン、平凡社)に心惹かれ、しかしそのときは手持ちのお金が足りなかったので――クレジットカードで買い物など、ぼくのようなアナクロな人間には怖ろしくてできません――後日、手に入れました。これもまた優れた本で、印象的な文章が幾つもあります。34ページから引用してみましょう。

写真を撮るのは技術的には非常に簡単なことだ。そして多くの様々な理由にかこつけてそれをすることができる。善き理由、悪しき理由、公的であれ私的であれ、公言するにせよしないにせよ、暴力の積極的な助長として、あるいは暴力に対する抗議として、等々。単なるフィルムの切れ端――歯磨き粉のチューブに隠せるほど小さな――が、現像や複製、そしてあらゆるサイズへの拡大を、無限に生み出すことができるのである。写真はイメージそして記憶と結託している。したがって写真は卓越した感染力を備えているのだ。

その後、いま書いている論文の資料集めをしているときに、バイオメトリクスについても書くので、『指紋論―心霊主義から生体認証まで』(橋本一径、青土社)を買いました。これもとても面白い。それで、しばらく会社の行き帰りで読んでいてふと筆者の紹介欄を読んでみると、訳書になにやら覚えのあるタイトルがあります。『イメージ、それでもなお』。ちょっと驚きました。無論、橋本一径さんという方が非常に優秀なので自然と目につくとか、あるいは考えてみれば専門ジャンルがぼくのそれと重なってるので当然、ということなのかもしれません。でも、そういう偶然なのか必然なのか、ともかくそういうのって、不思議で楽しいですよね。もっとも、そんなことで不思議がるのはぼくくらいのもので、普通のひとは著者や訳者を最初からしっかり把握しているのかもしれません。

きょう、紀伊国屋の南口店が閉店になるというニュースを聞きました。そもそもぼくの年齢だと南口店は新しい印象があるのですが、それでもできてから20年近く。でもよく覚えています。開店してからしばらくした頃、当時は別のところで働いていた彼女が仕事を終えるのをビルの前で待ち、ふたりで散歩をしてときには新宿まで出て、途中の道では空いていれば紀伊国屋でも覗こうよなどと言いつつぶらぶらしているうちに閉店時間を過ぎ、ということがしばしばありました。

つい最近紀伊国屋に立ち寄ったとき、人文系の棚の荒みぐあいに驚きました。閉店のニュースを聞いたとき、その情景を思いだし、むべなるかな、という気がしました。本のあるところへ行けば、自分にとってほんとうの意味で必要な本を見つけ出すことができる。それが、数少ないぼくの才能のひとつです。でも、それももう、すぐに時代遅れで無用のものとなるのでしょう。