夜の渋谷のアウトサイダー・アート

昨日は45分ほどの会議に出るために往復6時間弱かけて職場に行って帰ってきました。さすがにそれだけではつらいので、(研究のためではない)趣味の本を読みながら。昨日読んだのは『ミック・カーン自伝』(リットー・ミュージック、中山美樹訳、2011)。例によって業腹なのですがamazonリンク。本当にamazonって嫌なのですがリンクがきれいにはれるのですよね……。

これとても良い本です。特にJAPANが好きではなくても読んでいて面白い。内容はデヴィッド・シルヴィアンに対する怒りと諦め、自らの女性関係や当時の音楽シーンにおける交友関係などなど、ゴシップ的に読めば読めるのかもしれませんが、そういった次元にとどまるものではありません。これ本当に面白い本なので、また改めてご紹介しようと思います。

で、もうお家に帰ってきたらヘトヘトな訳です。べとべとさんなら「お先にお越し」と言うところですが、へとへとさんなのでそこにはただぐったりした中年男性がいるだけです。侘び寂びえぐみ。しかしその日はそれで終わりではなくその後渋谷に行かなくてはならない用事がありました。渋谷。30年近く昔、彼女に――彼女というのはそのときにつき合っていたナントカとかいう意味ではなくいまのパートナーのことですが――ほとんど無理やり連れられてずいぶん行きました。セゾン美術館とか、あと美術書の専門書店とかもありましたよね。訳が分からないままに色いろつき合って、それでもその経験は確かにいまのぼくの大きな部分を形作っているのかもしれません。そのころから既にしてぼくは人間がダメで、というよりもぼくという人間がダメなのですが、あの渋谷の混雑は辛かった。当時は彼女にええかっこ見せようと踏ん張れましたが、いやいまだってそうですけれども、もうあれです、えぐみ。とにかくずいぶんといろいろなものを観ました。

そんな渋谷も行かなくなって数十年、近所のお店でさえ一度足が遠のくともう一生行けないくらいです。渋谷なんて無理でしょう。しかしとても面白そうなミーティングにお声をおかけいただいたので、これはもう死ぬる思いで行かねばならぬ。ぼくらこそは救援隊だ! などと譫言を言いながら、思い出した、しかも昨日は朝から頭痛がひどく、痛さのあまり眼が覚めたくらいです。そういうときはまっすぐ歩くだけで超人的な努力が必要になります。それでも吉祥寺から井の頭線に乗ってだいぶ超人になりつつ神泉で降りて、そういえば昔は神泉って電車の一部しかホームに止まらないくらい小さな駅だったよななどと思い出しながら、目的地はFabCafe Tokyo。とてもおしゃれなカフェです。何だか最近こういうお洒落なところばかりに行くことになっているな……。ぼくの本来のモードは石や落ち葉の下とかなんですけれども。

FabCafe Tokyoは神泉からはすぐ近くです。しかし何しろ渋谷で、夜で、カフェで、窓ガラスの向こうに見える店内は明るいライトでぴかぴかです。お洒落なひとたちがmacとか広げて何かしています。ほんとうはここで集合だったのですが、外から見た瞬間「あ、これ俺には無理なやつだな」と悟り、そのままスイングバイして加速しながら飛び立っていきました。ぼくはそうやって最初の大学を中退したのですが、だけれども、もうそれも四半世紀昔の話。すっかりえぐみの深まったいまのぼくは、そのまましばらく渋谷の街を歩きながら強烈な自己暗示をかけ悟りを開いたふりをして、時間前にはFabCafeに戻っていきました。いや喫茶店で待ち合せというだけなんですけれども。

FabCafeではアールグレイを頼み、といってもアールグレイが何かも分からないのです。グレイと名前がついているのできっと宇宙人でしょう。ぼくは利口だから分かるんだ。スイングバイしながら宇宙の果てを目指すボイジャー。頭痛は悪化の一途を辿り目は霞み、意識は朦朧としています。それでもその後のミーティングはとても楽しく参加できました。ぼく以外の人びとはみなプロフェッショナルかつ優秀で、そういった人の話を聴けるだけでも渋谷に行った価値がありました。とはいえぼく一人が楽しんでいても仕方がありません。昨日のミーティングからは何か面白いものが生まれる感じですので、それはまた改めてご報告できればと思います。

とにもかくにも、渋谷はやっぱりダメでした。昔からそうでしたが、ダンゴムシとアリだけが友達のようなぼくにはハードに過ぎるしハードルが高すぎる。けれども完全に気配を殺しながら凄まじいまでに混沌とした人の流れに沿って浮遊していると、ふとそういった表面的なものごとがすべて剥がれ落ちその向こう側が浮かび上がり、そこには30年前彼女と歩いた地形がほとんど変わらず透けて見え、そしてそんな幻視をしているぼくというダメ人間そのものもまた変わらず、そのことのおかしみにふいに心が軽くなったりもするのです。

昔、生きることに混乱したまま訳の分からないことを彼女に喋っていたぼくは、研究者として多少の訓練を受けたとはいえ本質は変わらず、四半世紀を過ぎたいまでも訳の分からないことを言ったり書いたりしています。若く優れた人に交じって「ほへえ」などと相槌を打ちつつ、もうここまでくればぼくという存在自体がアウトサイダー・アートだよねなどと開き直り、夜の渋谷のなか、のたのた歩いて帰っていきました。