先日、少々用があって立川へ行った。彼女と待ち合わせ、用事を済ませた後にしばらく街を歩く。ミリタリーリフレなどという広告が出ていて、ひさしぶりに外に出ると、世界はほんとうに摩訶不思議なものごとに満ちている。ふとディスクユニオンがあることに気づき、ふたりで入る。昔、新宿にヴァージンレコードがあったときは、仕事帰りに散歩がてら立ち寄り、ふたりで安いCDをジャケ買いしては、外れたり予想外に良い音楽にあたったりして楽しんでいた。そんなことを思いだす。彼女はあるCDを1枚、ぼくはぼくで、パット・メセニーのイマジナリー・デイを買った。パット・メセニーはライヒの演奏をしていたことで知っている。家に戻り、ふたりで彼女の買ったCDを聴く。聴きながら、イマジナリー・デイの奇妙なジャケットをつらつらと眺める。すると彼女が、これは暗号なんじゃないの? と言う。なるほどなるほどと思い、ふたりで頭を寄せ合って解読をした。
CD本体が解読盤になっていて、ページ先頭の色に合わせて回転させると、記号をアルファベットに戻すことができる。それぞれの記号が可愛らしくも美しい。
同封されたブックレットの1ページ目。
試しに解読してみた。
Back to the imaginary day…
All sound was perceived as music.
Music as the spoken language.
The fabric of music dressed the human soul.
Imagination was the currency of existence.
Soul power was measured in sound.
Hearing way intrinsically the same as listening.
All of human history…(以下疲れて止めた)
さらにためしに翻訳してみた。英語力ゼロの私による超訳。
想像力に満ちていた時代を思いだすんだ・・・
すべての音が音楽であったあの時代
人の口に語られる言葉としての音楽
音楽は衣服としてひとびとの魂を美しく彩っていた
想像力は存在するものにとっての通貨だ
魂の力は音によって量られる
「聞く」ということは、本質的に「聴く」ことと等価だ
すべての人類の歴史が・・・(以下略)
何だかすごくニューエイジっぽい感じがする。今朝はだいぶ憂鬱なことがあり気持ちが沈んでいたけれども、本質的に(良い意味で)ばかばかしいこういう遊びを見ると、少し元気が出てくる。元気が出てくると文体も変わる。文体が変わると気持ちも明るくなってくる。まあだいたい、人間なんてそういうものかもしれない。
ともかく、ぼくの英語力はだいぶ酷い。半笑を浮かべながらでなければ、とてもではないけれど翻訳などできない。だいたい、英語で話すことを強制されるとストレスでコロリと倒れる。倒れたぼくの周りを都会の人びとは足早に歩き過ぎていき街の寒さが身に凍みるがそれなら森に帰れという話だ。そろそろ森に帰ろうとは思っているがしかしまだその時ではないので、彼女とTOEICを受けることにした。というよりも、強制的に受けさせられることになった。泣きながら彼女に対価を要求しても、自分のためでしょと極真っ当な反論を受けてコロリと倒れる。
諦めが良いのと、諦めれば病的な粘着気質によって作業を始めるのがぼくの良いところだ。いまは空き時間をみてはちびちびとTOEIC対策として単語を暗記する日々。使っているのは『新TOEIC TEST出る単特急金のフレーズ』という単語帳。”Tex Kato stars in the film”。十日間かけてだいたいこれは覚えた。しかしそんなTex Katoのキャリアも、”Tex’s career came to an abrupt end”ということになる。いったい彼に何が起きたのか。すべてが謎のまま人生は過ぎていく。
ここしばらくは、一切論文を書くのをやめている。学会やら研究会やらに出ることも止めた。プログラミングの仕事がずっとピークだし、訳の分からない無報酬の押しつけ仕事も山積みだし、病院にも行きたいし税の申告もしなければならないし講義のシラバスは作らなければならないし、まったく暇はないけれど、そんなんでも、俺の生活は俺の生活だと思って心静かに英単語を覚えつつ過ごしている。