ベーコン展を観てきました。特に衝撃を受けるということもなかったのですが、それなりに観る価値のある(金銭換算して価値がある、ということではありません)絵が幾つかあったと思います。酷かったのはキャプションで、どのみちぼくはほとんど読まないのですが、時折目を通すと妙に押しつけがましい「解説」が書いてあったりして、これには少々辟易しました。作品としては、タイトルは分かりませんが、犬を描いたものはやはり良かったですね。あと、土方の舞踏の映像を流しているのも、ベーコンに影響を受けているからというにはあまりに唐突な感じがしますが、普段そうそう目にするものでもないので、それはそれで面白かったです。
壁に、ベーコンの言葉が書いてありました。17歳のときに犬の糞を見て、その瞬間、人生ってこういうものだと思ったのを克明に覚えているよ、みたい内容でした。どうにも、その展示方法のいやらしさが鼻につくのですが、ベーコンが言っていること自体はよく分かります。まあ、彼ほどの画家だからこそなるほどと感心されるわけでして、ぼくなんかが言っても苦笑いをされるだけですが、けれども、それは半分は、極めて同意できる感覚だと思います。なぜ半分かといえば、全部がその言葉で表現できてしまうのであれば、彼だって17歳を過ぎてまで生き延びて、わざわざ絵を描く必要などなかったからです。そうして、その犬の糞のただなかを生きて通り抜けてきたからこそ、”I remember it very, very clearly.“という言葉に意味が与えられる。意味があるのは、犬の糞の方ではないと、ぼくは思います。
ぼくが美術館に行って衝撃を受けたといえるのは、シーレくらいです。ベーコンは、正直なところ、それほどではありませんでした。下らない、ということではまったくなく、単純に、ぼくと波長が合わなかったということでしかありません。少なくとも、(展示のことはさておき)観て不快になるということがないというだけでも、それが優れた芸術であることが分かります。不快さとは、己に囚われ過ぎて己が破れ、どこかに向かって何かが流出していってしまうような、そういう、「どうしようもなく超えてしまった何か」がない(にも拘らず芸術を名乗る、あるいはだからこそ芸術を名乗る)ものに対して抱く感情です。ベーコンは、偉そうな言い方になってしまいますが、それが芸術かどうかはともかくとして、やはり芸術であったように感じました。
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ベーコンの作品の良いところは、ガラスで覆われたものが多いことです。ガラスの表面に、展示室のなかが映ります。普段、ぼくは、美術館に行っても、絵を観ている相棒をしか観ていなかったりします。きょうは、絵を観ている相棒を観ているぼくもまたガラスに映り込んでいて、ぼくは絵を観ている相棒を観ているぼくを観ているぼくを観たりして過ごしていました。彼女よりも頭ひとつぶん背の高い、ぼさぼさ髪でぼんやりした顔をした誰かさんが、ガラスの向こうからぼくを観ています。
金曜日は遅くまでやっているので、彼女のペースで常設展まで観て回り、美術館を出るころには、もう辺りはすっかり暗くなっています。美術館の外には、木でできた遊具のようなものが設置してあります。これも何かの作品のようです。どこかに説明はあるのかもしれませんが、最初から、そんなものを探すつもりはありません。相棒とふたりで、高いところに登ったり、ブランコに乗ったりしました。
平日、働きもせず、美術館に行く。ただそんなことのためだけに、まっとうな人生を棒に振ったりするわけです。いえもちろん、棒に振らなくたってそんなことはできるのですが、そういうことではない。何だかんだで、まっとうな人たちと話すのは、とてもしんどいことです。最近、とみにそれを感じています。