The days of 136 degC and 5km/h

CPU温度が136℃になっていました。あまりに騒音が凄いので切っていたファンのひとつを復活させたのですが、案の定うるさい。うるさいというより、もはや周囲の音が何も聴こえない。まるでマシンのなかで、三百人の反抗期の若人が暴走行為に励んでいるようです。しかもそんなに反社会的活動に勤しんでいるにもかかわらず、あいかわらずの136℃。しかし考えてみれば当たり前でして、そもそも連中の乗っているバイクなんてものは市場経済システムのなかで生産された、資本主義のひとつの成果であり象徴のようなものです。そんなんできみ、反体制、反社会を気取るのか、莫迦ではないのか? という話でして、だからCPUの冷却効果だって望めるはずがありません。ぼくは本当に嫌いなんですよ。与えられたもので、与えられた場所で遊んでいるだけなのに、それがシステムへの反抗だ、みたいにのほほんと思い込んでいる連中が。走れよ、自分の足で。お前たちが見下している大人たちが作った社会でこそ初めて生産可能となった靴を履かず、服を着ず、裸で、洗っていない髪を振り乱し、言葉でない言葉を叫びつつ舗装された道路ではないどこかを走れよ。とそこまでいってしまえば、もはやそれは判りやすく二元化された世界観を超え、要するに生きること、それ自体が顕れてきます。CPUの冷却効果です。

ちょっと怒りますけれども、だからさっきからCPUが136℃のままなんですけれども、要するにそれは単なる通過儀礼以上のものではなく、それがまさに「通過」である以上、彼ら/彼女らは最初から社会に対する根源的かつ本質的な「反」など欠片も持ち合わせてはいなかった。本当の「反」というのは、ただの反発などではなく、反れ、逸脱し、どこかへ行ってしまったきり行方不明となってしまうようなものでしかあり得ません。

そういうわけで、話はまったくつながっていないのですが、ぼくは超のつく安全運転主義者です。超安全ウンテニスト。平均的な人間の歩行速度である5km/h以上では自転車を運転しません。速度を出すのは嫌い。そんなんで「格好良い自分を演出」とか「社会のルールに逆らう俺格好良い」とか、本当に阿呆ではないでしょうか。もうこの時点で、相棒に「悪い言葉遣いをしたらダメ、絶対!」と容赦ない制裁を喰らっているところですが、安っぽい反抗ごっこに対する憎しみというのは我ながら不思議なほど根深く強くありまして困ったものです。けれども、金属の塊である自転車と自分の肉体だけで、かなりの重量になります。それで5km/hというのは、まあ、予想外の何かに遭遇したときに対応可能なぎりぎりの範囲です。ぼくは目は悪いのですが動体視力は良いほうなので、道を這う蟻んこだって数mm単位のあざやかなハンドル捌きで避けて走れるレベルです。

けれども土砂降りに遭遇したのです。こういうときはさすがに困ります。さっさと大学へ戻りたい。けれど雨のときこそ用心しなければなりません。みんなヒャーなんていいながら速度を上げて顔は下げて突っ込んでくる。危ないですね。ぼくが最初にいた大学は自転車のマナーがあまりにひどく、学生たちの通り道に「自転車はマナー良く乗りましょう」とかいう看板が立てかけてある。恥ですね。恥辱です。おっとCPUの温度が136℃です。さっきから一向に下がらない。だから土砂降りの雨も良いのですが、雨に煙る向うから時速5km/hの自転車が近づいてくる。しかも背筋を伸ばして顔をまっすぐ前に向け、辺りを睥睨しながら近づいてくる。何のホラーだよ、と思いつつも時速5km/hです。ずぶ濡れで、でも何だかひどく愉快です。

ひどく愉快で、ようやくCPUの温度も下がり、マシンの調子も良くなってきたようです。いちおう今日締め切りの論文がありまして、だいたい1万文字+αなのでそれほど分量はないのですが、まだ3000文字程度しか書いていません。大丈夫なのでしょうか。きっと大丈夫です。安っぽい反抗は反吐が出るほど嫌いです。ルールが与えられたのであれば、そのルールの中で、かつルールを逸脱するほどに勝てばよい。判りやすい敵、判りやすい反抗の対象なんて、在るはずもありません。自転車の航行速度は、5km/hで十分です。進路の先にいる小さな虫を避ける極わずかな足捌きに、ぼくにとっての反抗が存在します。

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