Stay normal

ある日、雑務を片づけるために神保町を歩いていました。土曜日の昼過ぎ、道はなかなかに混んでいます。ぼくは何しろ地味で目立たないという才能の持ち主ですので、どんなに混雑している通りでも、ひとにぶつかることなく、ひとの進路を妨げることなく、空気のように歩いていきます。すると向こうから、何かの圧力のようなものが近づいてくるのに気づきました。人びとがその圧力に押されるように左右に分かれていきます。見れば、夏場であるにもかかわらず、おそらく彼の一切であろう衣服を厚くまとったホームレスの男性が、何やら呟き時折喚きながら歩いているのです。道を往く恋人同士、休日出勤の会社員、あるいは近くの大学の学生たちは、みな目を背けるか露骨に嫌な顔をするかあるいは完全に無視をするか、いずれにせよみごとなまでになめらかに、彼を中心とした空白を作りつつ流れていきます。

良くある光景、といえばそれはその通り。けれども、彼の眼をふと見たとき、そこに浮んでいた世界との断絶に、やはり言葉を失わざるを得ないのです。

言うまでもなく、眼は、受動的であると同時に能動的でもある器官です。それは、ぼくらの魂と世界をつなぐ、もっとも直接的でもっとも透明な通路です。けれども、彼の眼は既に、何も受け取らず何も与えない、ただ真黒に燃え上がる怒りの熾火をその向うに見せる分厚いガラス窓でしかありませんでした。それはとても寂しく悲しい光景です。

けれども、こんな言い方が許されるのであればですが、ぼくは、彼を見やるある人びとの眼に浮ぶ嘲笑、軽蔑、唾棄あるいは侮蔑のほうにこそ、よりいっそう深く徹底した断絶を感じます。

ぼくは、別段ヒューマニストでもモラリストでもありません。むしろ相当に低い人間性を持っていることを自覚しています。他人のことなど、基本的には知ったことではありません。自分にとって大切なひと以外と交流するほど人生に余裕があるわけでも、彼ら/彼女らの苦境に手を貸せるほどの才能を持っているわけでもなく、そもそもそれだけの関心をさえ持ってはいません。

それでも、ぼくは、自分と、異臭を放ち無意識のうちに罵詈雑言を垂れ流しながら歩く彼との間に、原理的な差異などまったくないことを知っています。ぼくはいつでも、容易にそちらに踏みだすことができたし、それは恐らく、いまでも変わらないのです。ぼくはたまたま、鈍感で愚鈍で倣岸で、そしてさらに/にも関わらず友人に恵まれていたに過ぎません。彼に対する侮蔑の視線が、もし自分もまたそうなり得ることへの不安の裏返しとしてではなく純粋な蔑視であるとするのであれば、ぼくはその自らは安全であるという無根拠な自信こそ理解できません。

***

昔、ぼくは本ばかり読んでいるような子どもでした。あまりひとと話すこともなく、いつでも本を通して、その登場人物たちと会話をしていました。特に翻訳文学が好きだったので、気がつけば、どこか翻訳調でしか喋れないような人間になっていました。

それに気づいたのは、ずっとずっと後になってからのことです。あるとき知り合い、そしてすぐにとても大切な友人となったひとに、ぼくの話し方のおかしさ(それは異常さということではなく、可笑しさとしてでしたが)を指摘されたのです。そのひとと話すたびに、ぼくは彼女に、そんな話し方をするひとはいないよ、と笑いながら(これもまた、嘲笑う、ではなく、笑うでしたけれども)言われたものです。

そしてまた、当時のぼくは、ある独特なボディ・ランゲージを使っていました。これもまた、他人とまともにつきあったことがないが故のものだったのかもしれません。いまにして思えば我ながら確かに相当奇妙なものでしたが、そのときのぼくとしては極自然にそうなってしまっていたわけで、やはりそれをそのひとに指摘されるたびに困惑し、笑ってごまかすしかありませんでした。

それはきっと、ある種のリハビリだったのではないかと思うのです。そのひとに根気良く、優しく笑いながら指摘され、ぼくは少しずつ、目立たない、普通の人間になっていきました。

普通というのは、けれども、決してありきたりなことでもありふれたことでもありません。むしろそれは、途轍もない幸運と透徹した意志によってこそ、はじめて可能となるものです。いえ、きっとそれだけはまだ足りず、ぼくらはどれだけ努力をし、注意をしても、容易に普通ではないところへと逸脱していってしまいます。ましてや、自分という立ち位置に安穏とし惰眠を貪るような者には絶対に為し得ることではありません。ぼくらは容易に逸脱し、そしていつか、眼が分厚いガラスの牢獄となり、その向うで永劫の火に燻る魂を閉じ込めることになる。普通であるということはそれだけで奇跡であり、従ってバタイユの言葉を真似ていうのであれば、「ただ生きる、そのためには神であることが必要」なのです。

彼とすれ違い、ほんの数歩進んだとき、ぼくの後を歩いていた若者たちが、口々にその匂いや見た目について、口さがなく罵倒していました。心から楽しそうに。ぼくは少し歩を緩め彼らを先に行かせ、その足下を眺めます。堅く舗装された歩道などどこにもなく、見えるのはただ、綱渡りの綱のように危うく崩れた瓦礫の上を、そうとも気づかず、あるいは決して認めずに歩んでいく彼らの姿です。

そしてもちろん、ぼくの足下もまた、何ら変わるところはありません。

――普通でいるということは、やはり、恐ろしく難しいことだね。ぼくは頭のなかで、いつものように、もうそこでしか会話をすることができない無数の人びとのひとりとなったそのひとに語りかけます。――その話し方、変だよ。あたたかなそのひとの声が、ぼくを、この世界にそっと、つなぎとめてくれます。

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