かくこととうことかくとうすること

時折途轍もない頭痛に襲われることがあり、きょうもそうだったのですが、そうするともう何もできません。考えるのも困難ですし、動こうにも足に力が入らない。こうなっては頭痛薬も効きません。だけれども、こういうときこそぼくの病的な傲岸不遜さが現れ、「なあに、こんなもの人類に対するハンデだ」などと呟いてヘラヘラしています。もちろん、本気でそんなことを考えていたら危ない人ですが、でも半分は本当です。例えばサン・テグジュペリが『人間の土地』で、砂漠で遭難しながらも「ぼくらこそは救援隊だ!」と言い放つその気高さ、その100億分の1くらいを、ぼくの歪みに歪んだ心根を通して表現するとそうなるのかもしれません。傲岸であれ何であれ、世界に対する強迫観念じみた妄執がないのなら、生きていたって面白くも何ともないじゃないですか。いずれにせよ『人間の土地』、これは何度でも書きますが、翻訳者の堀口大學による次の言葉はまさにその通りです。

世にも現実的な行動の書であると同時にまた、最も深遠な精神の書でもある『人間の土地』は、必ずや読者の心に、自らの真実、自らの本然に対する《郷愁》をふるいおこし、生活態度に対しよき影響を与えずにはおかないと訳者は信じるものだ。

サン・テグジュペリ『人間の土地』堀口大學訳、新潮文庫、p.207

絶対に読んだ方が良い本というものはあって、それは本当に奇跡としてこの世界に現れるものですが、少なくとも本を読める状況にあるのであれば(無論、それもまた奇跡なのですが)それは読んだ方が良い。「良い本だから読もうよ~」みたいな話ではなく、ある絶対的な基準点というのがあって、それを知っているかどうかが(もし知ることができるような状況にあるのなら、ですが)、そのひとの人生を絶対的に、真の意味で絶対的に変えるものになります。安部公房がエリアス・カネッティについて、いやカネッティにもいろいろありますが、とにかくこう書いています。

たとえばカネッティのことを考えると、読者の数なんて問題じゃないと思うな。もちろんカネッティの読者は少なすぎる、もっと読まれるべき作家だよ。でも読者の数とは無関係に、カネッティは厳然と存在する。絶対に存在してもらわないと困る作家なんだよ。そういう作家が本当の作家だよね。ぼく自身、カネッティを知らずにすごしてしまった場合のことを考えると、ぞっとするからな。

『死に急ぐ鯨たち』新潮文庫、1991年、p.114

この場合の「ぞっとする」というのは、生易しい意味ではなくて、「この私がこの私ではなかったかもしれない」という実存レベルでの恐怖感です。『人間の土地』のラスト、「精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる」(p.205)。これほど恐ろしい言葉があるでしょうか。要するにその本を読まなければぼくは粘土のままだったかもしれない。

サン・テグジュペリは人間として生きるための――何しろぼくはいまだにぼく自身を人間のふりを上手にし続けているナニカだという疑念を晴らせずにいるので――強力な指針になってくれています。

他方で、倫理とか価値とかとはまたまったく別にこの世界を見通すということ、そういった意味では安部公房もまたぼくにとって知らずに生きている自分を考えると「ぞっとする」作家のひとりです。中退した最初の大学において、生きている学生がぎっしり詰まった教室に行くのも恐ろしく、ぼくはひたすら部室や図書館にいました。そしてあるとき図書館でたまたま手に取ったのが安部公房全作品でした。いま出ている全集ではなくて、その前のですね。これは本当に衝撃でした。たぶん人生においていちばんの衝撃的体験といっても間違いではありません。何しろ、自分が漠然と考えていたことが、その100倍、1000倍もの精度で、はるかに深く遠くまで描かれていたからです。当時ぼくは人形劇のサークルに入っていて、そこで(人数が少ないサークルだったので)下手ながらも役者から大道具小道具照明音響まで何でもやっていました。でも一番好きなのは脚本で、ああ、俺は言葉を書くのが好きなんだなあと初めて気づきました。より正確には、自分が見ている世界を言葉で表現し形にするのが好きだったのです。既に大学からどころか人間社会からも脱落しかけていたぼくにとって、そしてそのあと本当に脱落するのですが、それでもぼくにとって世界はこう見えているのだということにかたちを与えるのは、必要だったし、たぶんそれがなかったら、そのままの意味で生きてはいなかったと思うのです。

けれども安部公房の本を読むと、自分の稚拙な言葉を超えた、でも確実に自分が表現したいと思っていた世界がそこにはあって、だからもう愕然としか言いようがないわけです。途轍もなく面白いし読まざるを得ないし、同時に、じゃあこれから俺はいったい何を書けば良いのか? という、圧倒的な・・・・・・何というか、呆然とするより他ない経験。それを乗り越えるのに、結局三年くらいかかったのではないかと思います。その間に死に物狂いで書き散らした数十万文字の何かは、いまでもどこかに積んであります。

ともかく、その時期を通り抜けたあと、ようやく、ぼくは初めて誰かの言葉を読めるようになったと思うのです。シンプルに物語を読むのは記憶を持つようになるはるか前から好きでしたが、そうではなくて、きみの世界を形作る言葉をぼくの世界を形作る言葉で読むということ、無意識レベルで常に格闘しながら翻訳して解釈して取り込んで自分の世界を変容させていくということ。

そのあと、まあいろいろごちゃごちゃしながら三十半ばくらいでしょうか、博士課程に行って哲学を学ぶようになるのですが、そこでアルフォンソ・リンギスやジュディス・バトラー、ジャン=リュック・ナンシーを初めて知って、物凄い影響を受けることになります。それ以降、世界の見方が確実に変わりました。でも、それが「読める」ようになったのは、あの格闘があったからです。うまく表現できませんが、単なる研究とか分析の対象としてではなく・・・・・・。すごく当たり前のことかもしれませんし、よく分かりませんが。

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何だかまじめな内容になってしまった・・・・・・。この一週間、いろいろあって餅とシリアルしか食べていなかった話とか書こうと思ったのですが、そんな感じです。最近は原稿もプログラミングも一生懸命やっているせいか、余波でブログの更新も珍しく早い感じ。この調子で原稿もまとまってくれると・・・・・・いいなあ。