ただでさえ憂鬱なことが続いているときに、さらなる一撃を喰らうということはしばしばあります。血を吐く思いで学費を払い込んで家に帰ってみれば税金の督促状が届いていたり、雨の日に車に水を撥ねかけられてずぶ濡れになったと思ったら、突風が吹いて傘の柄で額を強打したり。いやまあそのくらいのことならどうということもありませんが、実際問題、これは人として我慢の限度を超えているだろうと思うときもあるでしょう。
そんなとき、決してキレてはなりません。いまさら新聞の一面を自分の雄姿で飾るような暴挙に走っては、せっかくこの年まで重ねてきた辛抱が水の泡です。キレやすい十七歳なら社会現象とも言えるかもしれませんが、キレやすい三十云歳にはいかなる言い訳も許されないのです。
そこで、そんなあなたにとっておきの方法をお教えしましょう。何を隠そう、常に憤怒にかられているこのぼくが、幾年にもわたって自分を抑えるのに成功し続けてきたという折り紙つきの方法です。名づけてニコラス・ケイジ・メソッド。ニコラス・ケイジ。みなさんもご存知の俳優です。バーディのアル、素晴らしかったですね。赤ちゃん泥棒も良かったですね。で、そのニコラス・ケイジを利用します。
いま、あなたが、我慢の最後の限界を超えたとします。その瞬間、時間を少し巻き戻して下さい。そしてあなたをニコラス・ケイジに置き換えます。耐え難い人生の雑事に耐えるニコラス・ケイジ。あの気弱そうな、けれどどこか危うさを秘めたヘラヘラ笑いのクローズ・アップ。あなたが耐えてきたあらゆる不幸を、ニコラス・ケイジが代わりに耐えています。困ったようにヘラヘラ笑っています。そして時間がいまに追いつき、ついに我慢がある一線を超えます。ニコラス・ケイジのヘラヘラ笑いに、ある種の輝きが溢れ出します。笑みを浮かべたまま、彼は狂気に突っ走ります。周りにあるすべてのものを、容赦なく破壊し始めます。
どうぞ、あなたの頭の中で、突き抜けてしまったニコラス・ケイジを、思う存分暴れさせてやってください。そしていままでの我慢すべてを怒りに転化し世界にぶつけるニコラス・ケイジを良く観察してください。あの気弱げな笑顔のまま、けれどその目はぼくらには見えない何かを見据え、どす黒く冷たい憤怒で満たされています。
やがてニコラス・ケイジは、あなたを置いて、怒りに全身を燃やし尽くしつつ、世界の果てに向かって走り去っていきます。それが、一線を越えてしまったあなたの姿です。
あなたは本当に、そんな風になりたいのでしょうか? どうか彼の笑顔を、思い出してください。あなたは決して、そうなりたい訳ではないはずです。耐え難い怒りはニコラス・ケイジに任せ、ぼくらはもう一度だけ、耐えてみようではありませんか。これが、ニコラス・ケイジ・メソッドです。
まさかとは思いますが、ここまでまじめに読んでくださった方がいらしたら、ぼくは言いたい。本当にごめんなさい。いやでも、ぼくは結構まじめに、このニコラス・ケイジ・メソッド、役に立つと思っています。
で、これ、ニコラス・ケイジでなくては駄目なんです。ジャック・ニコルソンでは最初からキレまくっています。ゲイリー・オールドマンでは最後まで狂気を貫くには気弱すぎます。クリント・イーストウッドでは狂気に取りつかれるまでもなくマグナムをぶっ放します。テレンス・スタンプでは悲しみが大きすぎます。チャールズ・ブロンソンとチャック・ノリスの違いがぼくはいまだに分かりません。
敢えて言えば、アル・パチーノとサモ・ハン・キンポーはかなり良い線行っています。まあその辺はお好みに合わせて改変してくださって結構です。要は限界を超えてしまった自分の姿を何者かに移し、あるいは映し、その蛮行を外から観察することで、キレることを未然に防ぐことさえできれば良いのです。
えっと……駄目ですか? そうですか……。ぼくは結構良いと思うんですけれど。