宇宙の修理とメンテナンス

カネゴンが眺めています。

というわけで『現代思想 特集=メタバース』(2022年9月号)が発売されました。ぼくは「宇宙の修理とメンテナンス」というタイトルで載せてもらっています。郡司ペギオ氏の論考など面白いものが幾つもありますので、書店で見かけたらぜひぜひ。ぼくの原稿の冒頭はこんな感じです。

メタバース。当然ここではユニバース(宇宙)が意識されている。もし私たちが何らかの信仰を持っているのなら、この宇宙を創ったのはその信仰体系における神かもしれない。ではメタバースを作るのは誰なのか。技術に支配された現代社会において、いうまでもなくそれは技術を従え神であるがごとく振る舞う私たち自身だ。それをボードリヤールに倣って世俗的な神(démiurgie mondaine)と呼んでも良い。このメタバース(宇宙)にはすべてがあり、私たちはそこで為したいことのすべてを為せる。私たちが自由を求める存在であるなら、不自由しかないユニバースからメタバースへの脱出もまた歴史的必然だといえる。

だが果たしてこの世俗的な神は本当に無から有を創り出せるのだろうか? 無論そのようなはずはない。そこには他者に対する抑圧と搾取が隠されているし、その欺瞞の上に居座りコントロールされたAIたちにどれだけ賛美されたところで、存在に対する不安と渇きが解消されることもない。本稿では近年注目されている「修理する権利」と、そして歴史学者保苅実による「歴史のメンテナンス」という概念を参照しつつ、メタバースが真の意味で宇宙になるための条件を考察する。

という感じで、メタバースメタバース言うけれど他者をリソースにしていることに対して無自覚でいたらダメだよねとか、じゃあどうしたらメタバース(という名称は本当にダサくていやなのですが)が真の意味でぼくらの生の場になるのかなとか、そんなことを書いています。他の方とはかなり明確に関心の対象が異なっているので、良くも悪くも独自性はあります。いやあるかな。あー、そこにないならないですね。

あと何だろう……。雑誌を覗き込んでいるのはカネゴンですね……。そうそう、カネゴンもそうなのですが、映画『銀河鉄道の夜』のサウンドトラックのカセットテープが実家の奥深くから発掘されたのです。数十年ぶりにそれを聴いたのですが、音がゆわんゆわん揺らいで、でもそれが何とも言えずに良いんですよ。皆さんにも聴いていただきたいくらい、別の世界がそこに立ちあがります。なんかそんなことをだらだら話していたいんですよ。ぼくはやっぱりアカデミズムというのでしょうか、何だか分かりませんがあの表現しにくい独特の雰囲気が苦手で、もういよいよ学会発表とかやる気がなくなってきてしまっています。「メタバースって響きがやばいよね、ザッカーバーグやばいよね、銀河鉄道のサントラ良いよね」みたいなことだけだらだら喋っていたい。ダメですかね。いや部屋で独り言を言っている分には誰の許可を得る必要もなく、定職もないままに研究者ですぅなどと意味不明な供述を繰り返すのも自由です。いまの生活はほぼ全面にわたりばくちですが、そうとしか生きられないのでもうこれは仕方がないことだし、それはそれでけっこう満足しています。

そんな感じで、けっこう好き放題に書いていますが、自分では良い論考になったと思っています。自画自賛ということではなく、なぜ自分が研究しているのか、そのオブセッションは影みたいに出せたのではないかということ。よろしければ、ぜひ。

http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3718