人相が悪いじゃないか

そろそろ非常勤でやっている後期の講義の準備をしなければなりません。いまぼくは(出すあてもない)本の原稿を二つ書き進めていて、いえもうこれ本当に面白いんすよ、と独りでニヤニヤしながら書いたり考えたり読んだり妄想したりノーベル賞を取ったりしています。でもぼくはノーベル賞が嫌いなので賞金だけ欲しい。くれませんかね。いやともかく、せっかく面白いので講義内容に反映させたいのですが、これがなかなか難しいです。いちばんの問題は時間が足りなすぎるということですね。たとえば例年最初にメディアの歴史を辿るのですが、これだってきちんとやろうと思ったらそれだけで一コマ使い切ってしまいます。

そしてもう一つは、良いドキュメンタリーを観てもらいたいということ。90分は微妙でドキュメンタリー一本流せるかどうかですが、観せたいものは四本も五本もある。でもそれをしたらもう講義する時間がなくなってしまいます。しかしぼくなんかが、はっきり言って浅い人生経験しかないし生きるか死ぬかも体験したことがないような人間なんかが「倫理~」とか白目を剥きながら百の言葉を重ねるよりも、良いドキュメンタリーのワンシーン、そしてそのワンシーンを感じ取るためにはそこだけ切り取ってはダメでその前後のすべてを観なければならないのですが、そのワンシーンを観る方がよほど意味があります。いえぼくだって自分の喋りに大きなものを賭けているしそれは誇りをもってやっています。だからゼロイチではないけれども、やはりそのワンシーンの力は絶対にある。

ドキュメンタリーを観るときにぜひ受講生のみんなに意識してほしいのは、出てくる人びとの顔、表情、声、目つき、それに注目するということです。これは前にも書いたかもしれないけれど、そこに人間のすべてが出てしまう。ぼくが講義で流すのは環境問題とかそういうテーマのものが多いので、特にそれが如実に表れる。悪が、他者の苦痛に対する愚鈍さが滲み出ている。そういう人間って確かに居るのです。もちろんそれは多かれ少なかれ誰にでもあるものかもしれない。でもそうじゃないんです。人間としての一線を超えた、その一線は定義できないけれど間違いなくある。超えてしまったそのひとの目を見て、ああそうだ、確かにここには倫理が無い、無いというのは本当の虚無と暗黒がそこに在るということですが、それを感じてほしいのです。

それはめちゃくちゃ怖いことです。突然オカルトじみたことを言いますけれど、ぼくはけっこう、かなり怖いものを見てきた人間です。幽霊とか化け物とか。でもそういうのって別に怖くないんです。それは世界とぼくの関係性のゆらぎのなかで生じるもので、居るけれど居ないもの、居ないけれど居るものでしかない。いや怪しいことじゃなくてですね、幽霊が居るって、例えば科学的に考えてあり得ない。それはそうです。いや私は見たんだから居る。それもそうです。そのどちらも否定してはならないほど真剣で深刻で切実だけれど、でも完全には同意できない。ぼく自身はもっと自由でいたいと思っています。あーなんか居るなー、そうか、いま世界は、ぼくは、世界とぼくの関係はそういう状態を生み出すようなところにあるんだなー、と、ただそれを感じとるだけでありたい。何の話だ。そうそう、だからそういうのって別に怖くない。ここしばらくそういうのを見ることもなくなってしまって、それはもしかするとぼくの老いなのかもしれないけれども。

でも人間の目の怖さは、ほんものの怖さです。これはちびります。毎回講義でドキュメンタリーを学生さんと一緒に観ながらちびっている。あ、ちびっているのはぼくだけですよ。他人と目を合わせられないぼくが言うのもあれですが、でもその目って後ろからでも見える。避けようのないものです。大丈夫ですかねこの人。大丈夫です。ぼくはおそらく今世紀最高の人間強度を備えた人間なので大丈夫、大丈夫。そしてその怖さには二重の意味があって、そういう人間が確かに存在している、一線を超えてしまって何か訳の分からない深淵に落ちてしまった向うが在るということに対する恐怖でもあるし、同時に、それは絶対に誤魔化せない、隠せないものだという恐怖でもある。それはいつだってすべてを透過してぼくらの眼前に迫ってくる。

だから最近ますます外に出るのが怖くなっているのですが、実際問題朝家の外にごみを出すのさえ怖いのですが、だって外に人間が居るじゃないですか。いやほんとうにぼく自身の精神は驚くほど安定しているし呑気なんですけれども、タイトルの「人相が悪いじゃないか」、これ太宰の「如是我聞」です。「葉」と並んで間違いなく日本の近代文学史上の到達点の一つ。人間が極限において悪と対峙する話であり、悪としての醜についての話でもある。そして「葉」とは違って希望はない。だから太宰は死ぬしかなかったのだけれども……、いやでも、「葉」のラストにだって太宰の死は既に刻まれていますよね。「どうにか、なる」。気が狂いそうになるほど切実な祈り。

そんな本を書きたいと願っています。