数少ない、尊敬できる研究者仲間にしつこく声をかけ、新しい研究活動をしようよと誘っていました。誘うだけ誘って、人望ゼロのクラウドリーフさんには具体的に何もできることがないというのがクラウドリーフさんの人間性の最悪さを良く表しています。でも、誘った相手は非常に人間的な魅力がある男なので、彼を通じて思いもしないようなジャンルの研究者と知り合えるかもしれず、それが楽しみです。でも実際に知らないひとに会う段になったら、コミュニケーション能力に重大な欠陥のあるクラウドリーフさんは、恐らく冷や汗100%の非清涼飲料水的何かに変ずるのであろうなあ、といまから嘆息してもいます。
嘆息といえば、相棒に連れられてジーンズを買いに行きました。ぼくの後ろ姿のあまりの格好悪さに、さすがの彼女も驚愕したようです。長いつき合いなので、彼女が冗談で言っているのかほんとうに呆れているのか、だいたい10%程度の確率で分かります(全然分かっていない)。まあともかく買いに行ったのですが、ジーンズ、っていうか、スキニーっていうのを買わされたんですけれども、これってジーンズの一種なんですかね。まったく不明ですが、ともかく、裾上げというのを数年ぶりにしてもらいました。もうそのくらいファッションモンスタ。プログラマなので長音使わない。ビニルハウス。でもあれですよね、服を売ってるくらいだから、売っているひとだって、こう、ファッションに拘りがあるじゃないですか。知らないけれど。そんなひとに裾上げしてもらうって、もうそれだけで拷問ですよね。ああもう俺牛の糞だよな、前世もそうだったもんな、来世もそうなんだろうな。そうして受取証に書いてある股下何cmという記載を見て愕然とします。足みじかーい! 腸ながーい! 野菜消化しやすーい!
そんなこんなで農耕民族の誇りに目覚めつつも、数日後にスキニーとやらを無事受け取り、さっそくぴっちぴちのふくらはぎをひけらかしつつ会社に履いて行こうとして彼女に止められます。えー、平気だよー。えへへ。可愛く笑い、強引に彼女のディフェンスを突破して出社しようとします。っていうか、もう最近はそれでずっと通っているのですが、どんなもんでしょうね。周りのひとは皆(当然ですが)スーツなので、クラウドリーフさんの社会的寿命もそろそろ尽きるのではないかと思えるのですが。
* * *
先日、相棒の高校時代からの友人と三人で遊びに行きました。途中から頭痛が始まってしまったため、もう最後の方は意識も記憶もほとんどなかったのですが、それでも、古くからの友人と居て自然体で過ごす彼女を見るのは、それだけで心が和むものです。研究のため・・・なのか何なのか、またICCに行ってきたのですが、作品を眺めている彼女の立ち姿を眺めていると、まあだいたい、それだけでも生まれてきた甲斐はあったかな、という気がしてきます。彼女たちふたりで立っている姿を見ると、ちょっと、高校時代の彼女たちの姿が見えてくるような、実際はもう頭痛で視界も歪んでいるのですが、そんな気がして、微笑ましくなったりもします。
昨日はひさしぶりに頭痛が激しくなってしまい、帰宅後にすぐ倒れ、夜中に起き上がってしばらく作業をしていました。今朝は今朝で早くから動き始め、三月末には出す予定の研究雑誌の表紙を作っていました。ほんとうは掲載論文のほうを完成させなければならないのですが、ここ一年の研究成果をすべて注ぎこんだもので、ちょっと間合いを置いてから読み直さないとなのです。表紙は、自分でも納得のいくものができました。来週末には雑誌発行前の最後の打ち合わせがあるので、それまでに自分の論文説明用にレジュメを作らなければですが、少し一安心というところです。この研究会は、ぼくが哲学をやっていると言える唯一の根拠を与えてくれる、シリアスでシビアでシベリア(お菓子)な集まりなので、楽しさ半分、魂削れる半分です。けれども、この研究会の仲間も研究を共にしていると言える数少ないひとたちで、それはぼくのような社会不適応者には過分な幸運です。
ICCの展示は相変わらず糞が9割という感じでしたが、RGB|CMYK Kineticは良かったです。あれを一時間ほどぼんやり眺めているだけでも、入場料の価値は十分にあるでしょう。ぼくらの世界を超えた別の次元に在る何かの投射体としてのぼくらの一瞬で儚い生を感じつつ、その次元にさえやがて静寂が訪れる。その全体をいまここに居るぼくが目を瞑って眺めている。たぶん、そんなときにこそ、ぼくはいちばん、自分が自分の為すべき研究を追いかけていることを実感するし、その光景の全体のなかに彼女が居ることをほんとうに幸福に思うし、そこから生み出される言葉を研究として理解してくれる仲間が居ることをほんとうに幸運に思うのです。
大変なことばかりだけれど、まあ、何とかなるさ。