in the

気に入っていたナショジの鞄が擦り切れてしまって、さすがにこれで外に行ったら悪目立ちをしてしまうレベルになってしまいました。彼女がつくろってあげやうと言ってくれているのですが、さすがにいまお願いできるような状況ではないし、ぼくが自分でやったらたぶん滅茶苦茶になってしまいます。しばらくは引退させていたkenkoのカメラバッグを引っ張りだして使うしかありません。とはいえ、これもお気に入りだし頑丈なので問題はないのです。

ともかく、裁縫については不器用さが直接現れてしまって苦手なのですが、それ以外のものについては意外に器用です。細かな作業が苦にならないし、地道な作業も楽しい。だから、大抵のものは自分で直してしまいます。いや偉そうに言うほどではないな。鍋とかパソコンとか、そんなものばかり。ぼくはソフト屋さんですが、組み込み系で彼是20年近くやってきたので、多少はハードも弄れるし、もともと子供の時分から工作は好きでした。

人形劇をやっていたころは、何しろ部員も少なかったので誰もがいろいろな仕事を兼務していました。ぼくの場合は、脚本、役者、縫いぐるみ以外の人形作り、そして大道具小道具の制作。これがけっこう好きだったのです。近くにJマートという、ああいうの何て言うんでしょうね、そうだホームセンターだ、ホームセンターがあって、そこに行くのが楽しかった。彼女と、あるいは他の仲間たちと自転車に乗って、どっででどっででとJマートまで行きます。木材の匂い。関係のない素材とかも眺めてしまったりして、考えてみれば、ぼくの青春時代の数%はJマートで費やされたかもしれません。最後には自分専用の作業台まで買って、部室に置いていました。

当時のぼくは何しろ頭の悪い若造だったから、すっかり工具から離れてしまったいまの方が、恐らく工作の腕は上がっていると思います。そういうことってあるじゃないですか。やっているときよりも、やめた後のほうが腕が上がる。不思議なものですけれど。でも、それでもやっぱり、当時のぼくの方が面白かったのではないかな、という面もあって、いまのぼくの方が上、というのは、たぶん単純に設計のスマートさとか、無駄な端材を出さない効率の良さとか、そういったある種静的な部分の話なのです。でもそうではなくて、あのときの無心さ、というよりも何かに追い詰められていた一心さからこそ生まれた何かというのもきっとある。それは、いまはきっと、もうできないことです。あの時代、あのときの仲間、あの時の空気全体があって、初めて可能だったもの。もっとも、ぼくはセンチメンタリズムは嫌悪する人間ですので、別段戻りたいと思う訳ではなく、ただ、当時の自分の若さを思うと、他人事のような微笑ましさを感じるのです。

その時に作ったものは、もう何も残っていません。だいたいばらして、次の公演の舞台装置に流用したか、あるいは人形焼(供養)のときに一緒に燃やしてしまったか。工作道具も、大学を中退したとき、全部部室に残してきました。部室棟は変わりましたが、あの部自体はいまでも活動しているので、もしかすると、当時ぼくが錬金術によって作りだした私費で購入した様々な道具類が、埃を被っているか、あるいは現役で使われているかするかもしれませんね。

でも、幾つかのものは、いま、ぼくの手元にあります。極々小さなもの。その一つが、紫檀の端材(印鑑くらいの大きさです)を、徹底的に磨き上げたもの。一週間くらいは磨いていたかもしれません。最後にはプラスティックとかを研磨するための、あの番号がやたら大きい水やすりで、いつまでもいつまでも磨いて、指には幾度も水ぶくれができては破けていました。人形劇の仲間たちはみな、まあクラウドリーフくんだからね、という感じで放置してくれていましたが、いま思えば、やはり多少は病んでいたのかもしれません。分かりませんが。何しろいつもへらへらへらへら、下らないことばかりを言っては皆で笑っていましたからね。まあ、誰もがいろいろな側面を抱えているという、ただそれだけのことでしょう。

ともかく、二十数年前の人生の0.00何%かを使って磨き上げたそれは、いまでもずいぶん、つるつると紫色に光沢を放っています。おかしな形をした無意味なオブジェ。でもなんだか、その滑らかな曲面の持つ寂しさには、昔のぼくらの姿こっそり映っているようにも思え、思わず透かしてみてしまったりするのです。

コメントを残す