備付反射式存在方程式

最近、A.ガワンデ著『死すべき定め―死にゆく人に何ができるか』(原井宏明訳、みすず書房、2016)を読みました。これが素晴らしかった。中でも、第5章「よりよい生活」で紹介されている、1990年代、NYのとあるナーシング・ホームにおけるビル・トーマスの試みの紹介がとても良いのです。トーマスは彼が務めることになったナーシング・ホームの入居者たちが、何故これほどまでに絶望的な余生を送っているのか、素朴にも疑問に感じました。そしてそれを改善していこうという精神力とアイデア、そこに人を巻き込んでいく人間的魅力において、トーマスは非常に優れていました。彼が試みたことは、ホームに生命(動物)を持ち込むことでした。しかしそこには当然、衛生上の問題などのために、多くの規制がありました。そこで、何とかしてたくさんの動物を持ち込もうとするトーマスと所長のロバート・ハルバートとがやりとりをするのですが、それが何ともユーモラスなのです。

ニューヨーク州のナーシング・ホームに対する規制は、一匹の犬と一匹の猫だけを許可している。ハルバートはトーマスに、過去に二、三回犬を入れようとしたが、不首尾に終わったことを説明した。動物の性格が悪かったり、動物にきちんとした世話をするのが難しかったりした。しかし、ハルバートはもう一度試す気はあると話した。

それでトーマスは言った、「じゃ、犬二匹で試してみましょう」。

ハルバートは「規則では認められていません」。

トーマスは「まあ、それで申請を書いてみましょうよ」。

ハルバートもまた度量のある人間だったのでしょう。ここで彼はナーシング・ホームにおける衛生と安全性という、これはこれで極めて重要な目的との間で葛藤します。しかしそれでも、ハルバートはトーマスの心に影響されていきます。ハルバートはトーマスとのやりとりをガワンデに語ります。

私はこう考えはじめていたんだ、「あなた方ほどには私はこれに関わることはないのだけれど、とにかく二匹の犬を持ち込むことにしよう」。

トーマスは「じゃあ、猫はどうしましょう?」と言った。

私は「猫をどうしましょう?」と返して、「とにかく二匹の犬をもちこむと申請書に書くべきです」と答えた。

トーマス「犬好きじゃない人もいるから。猫好きの人とか」

私「つまり犬と猫の両方が要るとおっしゃる?」

トーマス「とりあえず、それを書き残しましょう、議論のテーマとして」

私「オーケー、猫も加えて書きます」

「ノー、ノー、ノー。うちの施設は二階建てです。二階のそれぞれに二匹ずつの猫でどうでしょう?」

私「州保健部には、犬二匹、猫四匹と提案しようと思いますが?」

トーマス「イエス、そう書いてください」

私「了解です。そんなふうに書きましょう。話がちょっと広がりすぎた気もしますね。空を飛ぼうとかいう話じゃないはずです」

トーマス「一ついいですか。鳥はどうなんでしょう?」

規制は明確だと私は答えた、「ナーシング・ホームでは鳥は認められていません」。

トーマス「しかし、鳥はどう?」

「鳥はどうですかね?」と私。

結局、ナーシング・ホームのスタッフはトーマスの主張に同意して申請書を書き上げ、これが補助金申請を通ってしまいます。このあとの騒動、そしてそれがナーシング・ホームに与えた影響については、ぜひ実際に読んでみてください。

また別の試みを行っている、あるホームにおける話も印象的で、特に、そこに入居しているマックオーバーという高齢の女性の話には胸を打たれます(ここはバンド・デシネの名作『皺』のラストシーンを思い出させます)。彼女は「加齢に伴う網膜変性のためほぼ失明していた」のですが、それでも著者に対してこのように言います。

「また会うときには、あなたが誰だかわからないでしょうね。あなたは灰色に見えるわ」。マックオーバーは私に話してくれた。「だけど微笑んでいるわね。それは見える」

基本的に、この本で語られるのは、人は如何にして人間としての尊厳を持ったまま死ぬことができるのか(生きることができるのか)ということです。著者のガワンデは外科医なのですが、外科医らしい客観的、科学的な視線を保ちつつも、暖かさの溢れる文章で、死にゆく様々な人びとを描いていきます。そして、そこではひとりの人間としての自立が重要であることを示します。

ぼく個人は、人間の自立、ということに対して、それほど重きを置いてはいません。むしろ死ぬ最後の瞬間まで自立した個人であることを強要されるのであるとすれば、それはそれで相当に異常で厳しいものではないかな、と思ったりもします。だから、ガワンデが自らの父を看取ったあと、その遺骨をガンジス河に流すシーンは非常に考えさせられる、また感動的なシーンでもあります。

親がどれだけ努力しても、オハイオの小さな町で子どもをまともなヒンズー教徒に育てるのは難しい。神が人の運命を決めるという思想を私は信じる気にはならないし、これからやることで死後の世界にいる父に何か特別なことをできるとも思わない。ガンジス川は世界の大宗教の一つにとっての聖なる場所かもしれないが、医師である私にとっては、世界でもっとも汚染された川の一つとして注意すべき場所である。火葬が不完全なままに投棄された遺体がその原因の一つである。そうしたことを知りながら、私は川の水を一口飲まなければいけなかった。ネットでバクテリアの数を調べておいて、事前に抗生物質を服用しておいたのだった(それだけしてもジアルジア感染症を起こした。寄生虫の可能性を見落としていた)。

だが、そのとき私は自分の役割を果たせることに感動し、深く感謝もしていた。一つには、父がそう望んだからであり、母と妹も同じだったからだ。そしてそれ以上に、骨壺と灰白色の粉になった遺灰の中に父がいると感じることはなかったのだが、悠久の昔から人々が同じ儀式を営んできたこの場所にいることで私たちを越えた何か大きなものと父を繋ぐことができたように私は感じた。[中略]

限界に直面したとき父がしたことの一つは、それを幻想抜きに見ることだった。状況によってはどうしようもなくなるときはあったが、限界を実際よりもよいと偽ることは決してなかった。人生は短く、世界の中で一人が占めるスペースは狭いことを父は常にわかっていた。しかし、同時に父は自分を歴史の繋がりの中の一つの輪と見ていた。あらゆるものをのみ込む川の上に浮かんでいると、悠久の時間を越えて無数の世代が手を繋いでいるような感覚が私をとらえ、離さなかった。父は家族をここに連れてくることで、父も何千年にわたる歴史の一部であることを私たちにもわかるようにしてくれたのだった――私たち自身もその一部だ。

これは、とても良く分かります。神を持たないぼくでさえ、このような感覚をどこかで共有しているからこそ、身近な人びとの死に対して、それでもなおそこに悲しみだけではない何かを抱くことができます。ぼくらは最後の最後まで自立を強要され得るような超人ではない。

だけれども、さらに同時に、こうも思うのです。人間のリアルな生において真の意味での自立を貫徹することなど不可能だと研究上の立場としては思いつつ、同時に、自立への狂気にも似た妄執に駆り立てられたまま死んでいく人びとの、その個人個人でありつつも人類という種でもある何者かが抱えた悲しみと愚かさは、つまるところ個人の自立も国家や民族への帰属も不可能だと考えるぼくのような人間もまた同じように抱えているものと何も変わらないのだ、と。

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先週の休日は、いま自分のメインの研究の場である研究会に参加するために、西日本へ行ってきました。そこで研究仲間と会い、今期の研究誌に掲載する論文について互いに話し合いました。そこでぼくは、来期の論文について、死と音について書こうと思っているんだ、と言いました。一緒に研究をしてきた仲間とはいえ、それだけで本意が通じるかどうかと言えばそれは分かりませんし、どのみち、それはぼく自身にとってもまだまだ直感的にしか見えていないものです。

とはいえ、やはり直感的にですが、死と音というテーマは、書くべきものであるという確信があります。そんなこんなで、いま、この二つに関連した書籍を集め始めているところです。というよりも恐らく、こんな研究をしているぼくをあくまで単なる焦点として、それらのものが集合し、ぼくという器においてそのようなテーマを書こうとしているのだと思います。

その次の休日には、浜名湖に行っていました。これはまた別の集まりです。会場となったところで、犬を飼っていました。雨がずっと降っていたので、ぼくは少し濡れたその犬と並んで座り、空いている時間にはぼんやり湖を眺めていました。耳が聴こえないというその犬は、時折ぼくの背中側に回り込んでは、ぼくのシャツを鼻で捲りあげ、背中をぺろぺろと舐めます。雨は強くなったり、弱くなったりを繰り返します。庭では小さな茶色いカエルが、時折思い出したようにぴょんと跳ね、どこかへ少しずつ向かっています。雨が降ってきたね、と、ぼくは犬に、鼻息で伝えます。彼は濡れた鼻をぼくの頬に押しつけ、唇を舐め、再び雨に目を向けます。

hamanako

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今回で、このブログに移行してからの総記事数が200になりました。遅いような、早いような。いや遅いですね。昔の記事を少し読み直してみると、ぼくという人間が驚くほど変わっていないことが分かります。と同時に、置かれている状況は悪化する一方であることも分かります。単にそれは、年を取った、というだけのことかもしれません。いずれにせよ、誰もが、書けるものを書くしかありません。ここからまたゆっくり書いていこうと思います。

そこら中に在る日々の大三角形

最初に書くと、今回は楽しくもない話になってしまった。いや普段書いている内容が楽しいと思っているのかと訊かれるとアレなのだが。

必要に迫られ『ヴィジュアル・アナロジー』を読んだのだけれど、翻訳があまりに酷すぎて困った。なら原著にあたれよという話で、それはそれでその通りなのだけれど、それにしてもここまで酷い翻訳にはひさしぶりに出会った。どうやらこの訳者、一部では評価の高いひとらしい。どういうことなのか、ほんとうに困惑する。こういう文章を見ると(読むという言葉さえ使いたくない)、知的スノッブの糞詰り文章という生田耕作の言葉を思い出す。

同じ翻訳ということで言えば、『ニューロマンサー』の黒丸さんによる翻訳がかなり批判されていて、これもまた困惑する。好みじゃないと言われたら、そうなんだと笑って答えるだろうけれど、あの名訳を名訳と感じ取れないひととは、恐らく気が合わない。書いていて思ったけれど、どのみちぼくには友人がほとんどいないので、気が合わないやつが何人増えようがいまさら何の関係もない。黒丸さんはあまりに若くして亡くなったのが残念だ。

再び酷い翻訳の話に戻ると、ルディ・ラッカー(最近ではルーディー・ラッカーと表記するらしい)の『無限と心』も相当なものだった。ただ、あれは単に相当に読み辛いというだけで、『ヴィジュアル・アナロジー』のような不快さはなかった。いま改めて調べてみると、この翻訳者の訳書、『ゲーデル 未刊哲学論稿』と『数秘術』を持っている。いや、『数秘術』は誰かに貸したきり帰ってきていないな。返してもらうのは諦めているので、帰ってきてほしい。

いま、改めてさまざまな翻訳、それには例えばぼくにとって最も優れた翻訳者である堀口大學の文章も含まれるが、それらを想い起してみて分かることがある。良い訳文には、原文に対する理解は当然として、それへの愛や敬意があり、そうしてそれを読む読者に対する責任もある。と書くと何やら当然のことのように思われてしまうかもしれないけれど、それらの文章には、そういったことが文体を通して自然に表れている。

他人の話を聴けないひと、というのが、確かに存在している。それはとても残念なことだ。ただ、これはただ単純に他人の話を聴かない、ということを指しているのではない。自分で喋ってばかりいるのに、なぜか他の人びとの声に耳を傾け、自分の声の上にそれらの人びとの(発せられていない)声を乗せ得るひとが居る。それが如何にして可能なのか、ぼくには見当もつかないけれど。

逆に、ひたすら相手の話を傾聴しているように見え、その実、ただひたすら「傾聴している自分」に向けられた脳内の想像上の住人からの拍手喝采にのみ耳を澄ませているひともいる。こういうひとを前にすると、そのひと自身の声は物理的には聴こえないのだけれど、あまりの五月蠅さに耳を塞ぎたくなる。この場合、彼/彼女には必然的に翻訳の能力も致命的に欠けている。そうか、翻訳というのは、何も異言語間の仲立ちだけのことではなく、もっとシンプルに、他者と他者をつなぐメディアになり得るかどうかでもあるんだ。

太宰の『如是我聞』で、作者と読者の間に割り込み「イヒヒヒヒと笑って」作者と読者の交流を妨げる五千人中一人の選ばれし者とは評者のことだけれど、それはそのまま翻訳者にも言えるだろう。『ヴィジュアル・アナロジー』の訳者は大学改革は当然のツケなどと書いているが、その実何やら誇っているらしい自らの訳書こそが、人文系の「研究」とやらに対する人びとの呆れと諦めを加速させているひとつの典型例だということに気づかないのだろうか。

最初に書いた通り、研究者の端くれとして言えば、別段、翻訳がどうであれ、最終的には原著に当たれば良いので、正直なところどうでもいい。ただ、やはり研究者として言えば、そしてこれまで何度も書いてきたことだけれど人文系研究者として言えば、同じ「人文系研究者」である多くの人びとが持つ言葉に対する酷薄さ、ひたすら自己顕示としての暴力的独白としてしか言葉を使えない人びとの、単語の羅列(文体ですらない)から透けてみえるあの「目つき」の不気味さには、恐怖しか感じない。

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もうすぐ後期の講義が始まる。基本的にぼくは、学生さんたちのレポートに対しては一点でも本人が楽しそうに書いていること、ユニークなこと、ちょっとおかしくて異常なことがあれば、もうそれで万事オッケーだよ、と言ってきた。けれども今期は、せっかくだから、言葉を書くことの喜び、そこにある本質的な意味についても、少し一緒に考えていくような時間を持とうかな、と思っている。

地下水脈355000年

すべての、自分が書く言葉を統一していくこと。しかもそれが自然に為されること。そんなことを考えながら、真夜中に次号の同人誌に載せるつもりの物語を書いている。でもそうではなくて、それは、いまぼくらが作っている研究誌の論文なのかもしれない。

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あれは何日前だっただろうか、YMOのM-16を彼女と聴いていて、ふたりで、あ、これ以心電信だね、と頷きあった。ずっと昔、まだ僕らが大学生だった頃、彼女と彼女の友人の女の子と僕の三人で、あれは中野の映画館だっただろうか、何故かプロパガンダを再上映していて、それを観に行った。すごく混んでいて、当時からいまに至るまで軽い女性恐怖症のぼくは、彼女の友人は無論、彼女からも少し離れて、最後尾の手すりに凭れながらスクリーンに映された若いころの三人を眺めていた。

M-16は、何かYMOの雑誌を買ったときに、おまけとしてついていたミニディスクに入っていた。それを買ったのも、たぶん大学のときだろう。人形劇で一緒だった子が、その雑誌の最後の方(だったと思う)に載っていたとりみきのマンガを読み、そこに登場するお父さんを見て、「これ、何だかクラウドリーフくんに似ているね」と言っていたのを覚えている。そのお父さんはとりみきのマンガによく出てくる感じで、小太りで和服を着ている。もっとも、記憶が漠然としているので、ぜんぜん違うかもしれない。ともかく、当時のぼくは、彼女のその感想を聞いて似てねえよ! と内心で抗議していたが、何しろ女性恐怖症だったので、むにゃむにゃ! と曖昧に答えた。でも、この年になってみると、いや無論外見ということではないのだけれど、何となくその子の言っていたことがちょっと分かるような気もしてきている。そのときの真意をその子に確認することは、来世にでもならない限りはもう不可能だ。だけれども、それでも、たかだかこの世界の物理的な断絶などを超えて、コミュニケーションは可能だ。

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少し前、とある研究会に出てきた。そのときのレジュメに書いたひとつの単語に、研究会のひとりのメンバーから猛烈な批判を受けた。彼はいま同人誌を一緒にやっている男で、というよりも彼に誘われてその同人誌に参加したのだけれど、何しろ非常に優れた詩を書く人間でもある。だから、僕もそういったときにはがっと反論してしまうけれど、後になって思えば、彼が言っていたこと、何が彼の逆鱗に触れたのかについては、なるほどと納得するところが大きい。というよりも、表面的には互いにぐわぐわと言い合っているときでさえ、根っこのところでは彼の指摘のまっとうさを理解している。いや、理解ではない、信頼している。だから、そういったときの激情や批判の応酬はとても楽しい。相手を茫洋と覆った無駄な言葉や礼儀の靄を殺すつもりで放った拳で削り取っていくその先に、確固とした魂のかたちが現れてくる。それを何年もかけてやっていく。相手がそのときまでそこにいようがいまいが、それとは無関係にぼくらにはそれができる。

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信念があるか、途轍もなく嫌なやつか、狂信者か、聖人かあるいは根本的に腐りきった人間か、そうでもない限り、「自由で開かれたコミュニケーション」など不可能だ。そんなものはあり得ない。ぼくは腐りきった糞野郎なので、真面目で立派な研究者仲間よりは、コミュニケーションというものについて多少は見通しが利く。そこではすべてが逆転している。その逆転が視えていない誰かに対して、ぼくは本音で語る言葉を持つことはできない。安易に「テロ」などという言葉を用いる連中をぼくは信用しないけれど、それでも、そういった言葉によって指示されるような何かしらの現象が増えていくなかで、なお改めて公共圏的言論空間の重要性を掲げる。それはそれで構わないし、場合によっては、そこにもやはり狂気にも似た理念への執着がある。そうであるのなら、ぼくはその言説に耳を傾ける。でも、そうでないのなら、民主主義などというのは、所詮は糞の戯言でしかない。そうしてその戯言は、他者に対する徹底した暴力性を伴う戯言でもある。その偽善性が問題なのではなく(どのみちぼくらはみな偽善者なのだ)、自分の浮かべるその偽善面に気づかない阿呆さ加減が問題なのでもなく(どのみちぼくらはみな愚鈍なのだ)、その全体にある悲しみを己自身で読み取ることのできない人類全体の歴史の、虚構としての方向性こそが問題なのだと、ぼくは思う。

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どこに行っても、声の大きい人間の発する言葉ばかりだ。毎年、毎月、毎日、毎秒、それは大きくなっていく。それがほんとうに疲れる。美しいという言葉さえ腐ってしまったこの時代にも、もしまだ美しい言葉というものがあるのなら、あるいはもし我々を繋ぎ得るような言葉が存在し得るのであれば、それはむしろ、聴き取ることのできない言葉だろう。

彼女は炭酸水が好きだ。何が良いのか分からないけれど、小さなグラスに炭酸水を注ぎ、それを飲む。そこから聴こえてくる幽かで素早い、別の宇宙からの信号のような音に耳を傾けながら、真夜中に、小さな、小さな物語を書いていく。

あ・ぎよぎよ・ううん・う

この三日間は家から一歩も外へ出ず、平穏な気持ちで過ごしていた。街へ出るたびに生きるか死ぬかという思いをする。それはぼくの半分で、残りの半分はこれまでの人生で鍛え上げてきた常識人たるぼくだ。だからもう片割れの自分が感じる恐怖心を、馬鹿にはしないが、それなりに割り引いてつき合うことにしている。ともかく、家に籠っているあいだは、毎日風呂場を洗っては水を張り、合計10時間以上水風呂に浮いていたと思う。水の匂いは心が落ち着く。

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ところでぼくは昔犬を飼っていた。飼っていたと言えるのかどうか、ぼくが幼稚園に通っていたころに我が家に来たので、当時のぼくでは碌に散歩もできはしなかったし、彼が恐くて、カーテンに身体を包んで隠れていたのを覚えている。そうして彼は、カーテンの裾から覗いているぼくの素足をペロペロ舐めていた。

もちろん、ぼくがある程度大きくなってからは普通に散歩に連れて行った。何しろ変わった犬だったから、可笑しな記憶もたくさんある。柴犬だったので、寿命はせいぜい十数年。ぼくが大学に行き、既に落ちこぼれ始めていたころ、老衰で死んだ。

ペットロスとか、そういう安っぽい言葉は嫌いだ。偏見だけれど(そもそもぼくは偏見の塊のような人間だ)、そんな言葉を軽々しく口にするのは、「大切な何かを失った自分」に焦点を当てたいからなのではないかと思ってしまう。喪失というのは、ほんとうになくなってしまうということだ。それを表現するのは、大抵の場合、人間の手には余る。

それでもともかく、記憶はある。柔らかいとはとても言えないような彼の背中の毛皮。散歩の途中でちょっと一息入れるときなど、ごしごし擦ってやると喜んでいた。ぼくの手にはずいぶん犬臭さが移った。臭いは、もっともコントロールしにくい、記憶を甦らす契機だ。ぜんぜん無関係なような臭いを嗅いだときに、ふと、あのときの犬臭さを思いだし、それを通して、漠然としたあの十数年の記憶の総体が空から降ってくる。あの手触りと匂い。それはどこかで、父のよく着ていたコーデュロイのジャケットをぼくに思いださせる。直接的には何の類似もないのに、記憶の働きというのは奇妙なものだ。

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彼女と時折散歩をする道があり、その途中にペットショップがある。一度、ふたりでそこを覗いたことがある。ペットショップは苦手だ。子どもの時分にドリトル先生を読んだことがあるひとならば、きっとその意味が分かるだろう。ぼくは本ばかり読んでいるような子どもだったし、彼女はぼくよりもはるかに本を読んでいるから、ドリトル先生でさ、と言えば、もうそれで通じる。でもそのときは覗いてみた。そういうときってあるものだ。

芝の子犬がしっぽをぱたぱた振りながら、柵越しにぼくの手を舐める。ぼくは対人恐怖症の上に、何故かしばしば他人に憎まれる。だけれども、犬にはあまり嫌われた記憶がない。たぶん身体から犬の匂いがしているからだろう。ぼくらはしばらく彼を相手に遊び、じゃあねと挨拶をして帰った。それ以来その店に入ったことはない。ペットショップは、やはり苦手だ。

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彼女と散歩に行くときは、大抵、ちょっと離れたところにあるスーパーに寄ったりする。普段は行かないような。そこで野菜や果物を買う。そうするとぼくは大抵、食べたあとに残った種を庭に植えようよと彼女に言う。育つかどうかは分からないけれど、育ったら何か嬉しいよね。まあうまく何かが育つと本気で思っている訳ではないけれど。

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人間は言語という渦巻き機械から生み出され、その遠心力によって自然から乖離し続けてきた。その不自然さが人間の自然で、でもどこかで、そうでない生があるのではないかなと、いまだに願っている自分もいる。

ある一線を超えないような人生を送れればなあ、と思う。けれども、それが難しい。途轍もなく、難しい。

露出狂サクラメント

連休の初日、銀座の貸し会議室まで出かけていき、混ぜてもらっている同人誌の編集会議に参加してきました。残念ながらそれぞれに仕事を持ち、遠くで暮らすひともいるので、全員参加という訳にはなかなかいきません。それでもやはり、信頼できる仲間と集まり言葉について遠慮なく容赦なく語れるというのは、とても楽しいことです。

今回の同人誌は、寄稿も含めて論考の質が非常に高く、そこらの学会誌などよりはるかに質の高いものになっています(まだ初校の段階ですが)。若手でも最高の人材が書いているから当然ですが、何しろ一言一言が鋭く重い。それ故、読み手にも相応の覚悟が要求されます。

他方で、自分は物語を毎回掲載しているのですが、そちらの文体はどんどん透明で静かになっていくのを感じています。もともと個性の薄かった自分の文体から、ますます色が抜け落ち、どこにでも、どの時代にもある見慣れた景色のようになっていきます。まあ、それはそれで、同人誌のなかにそういうページがあっても悪くはないだろうと思っています。

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今年もまた所属学会のジャーナルを作成しました。ぼくはほんとうにこの作業が嫌で、ちょっと、何かを病みそうな気配が年々濃厚になっています。そういえば彼女には表紙を褒められました。学会のひとには表紙の写真はもう撮りたくないとお願いしていたのですが、リアクションのないまま、今回も自分で撮影したものを使いました。「まるでメモリアルホールのパンフレット」という彼女の感想により、今回で4冊目なのですが、密かにこれをメモリアルシリーズと呼んでいます。今号の表紙の写真については、彼女から「いよいよメモリアルを極めたね(笑)」と言われたので、ぼくもいよいよあの世的な何かに開眼したのかもしれません。

とにもかくにも、ジャーナル作成は苦痛です。愛のない言葉を校正するというのは、明らかに「拷問及び他の残虐な、 非人道的な又は品位を傷つける取扱い 又は刑罰に関する条約」に反するのではないかと思います。いま巷間では人文系の学問への風当たりが強いですが、だけれども、総体的に言ってそれは自業自得じゃない? というのが正直な感想です。人文系研究者も、人文系不要論者もすべて含めて、自業自得でしかない。薄ら笑いを浮かべながらそう言うと、真面目な研究者には怒られます。まったく申し訳ない限りですが、だけれども、愛のない言葉を書く人文系研究者など、ぼくにはその存在が如何にして可能なのかさえ分かりません。

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あとせいぜい1、2年の間に決めなければならない話ですが、現状のような不安定な生活から足を洗える機会がありそうな感じです。何しろ社会不適応者ですからそのお話もありがたいとは思いつつ一長一短であり、そもそも正社員をやっていたころの自分を思いだすと完全に神経症になっていたと、いま思います。ただ、大学を中退してから会社に入り、おかしくなるまで働いて実際にちょっとどうかしてしまって、そういったことがあったから、いまのふてぶてしくすべてを呪って恬として恥じない自分がいる。だから良かった、とかいうことではありません。そんなことを言ったら、少なくともそのような状況を生み出した現在の社会システムの何かしらを肯定することになるし、そうであれば、そういったものに押し潰されてさよならをした誰それさんに対して、生き残った人間として限度を超えた恥知らずになってしまう。

だからそうではなくて、その経験を通して自分が自分で思っているような、繊細で高邁な人間ではなく、ただただひたすら鈍重で醜悪で俗悪な糞野郎だということを知ることができたという点においてのみ、それは意味がありました。糞なんだから仕方がない。でも、生き残るために、それ以上に重要な知識はありません。そうじゃないでしょうか?

いまさら、そんな自分がどこかの組織に属して働くなどということができるだろうかというのは、相当に疑問です。あるいは逆に、変な理想や信念のあった昔のぼくとは違い、案外平気で、鼻歌交じりでやっていくのかもしれません。分かりませんが、とにかく、喰っていくためには何もかもが仕方ありません。仕方がある、と言えるときが来るとすれば、それはそれで、自由な道が最終的にひとつは残されていることになります。でも何しろぼくは糞野郎だからなあ。

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研究者を続けるか会社組織に潜り込むかあるいは自分で会社を作ってしまうか、そのいずれを選ぶにせよ、所詮は糞のような道しかありません。だけれども、こんなことも思います。居なくなってしまった人びとへの責務がいままでの自分を駆り立ててきたということは、ある一面においては確かでしょう。それでも、同人誌や研究会誌に誘ってもらい、少なくともそれを書いた時点で恥じることのない文章を書くことを通して、少しずつ、それで良いのかもしれないなあ、と思うようになってきています。自分の文体が透明になっているのを感じるのも、恐らくこのことと無関係ではありません。

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少しずつ、出口も入口も減っていきます。最後にはただ出口の一つだけが残される。だけれど別に暗い話ではなく、それはそれで、七転八倒する自分の姿というのは、奇妙にユーモラスで面白いものです。それは突き放しているということではなく、ぼくがぼくである前後の人生のすべてを貫く魂のようなものがぼくを見下ろすその広大な俯瞰のなかにある愛のようなものなのです。そんな言葉をもし書けたら良いですね。このひと大丈夫でしょうか。けれども、頭が良いだけの人びとにに何を言われても、選ばれし糞であるぼくとしては、中指を立てつつ地獄へ堕ちろとただ答えるのみなのです。

シジフォス・カマドゥーマ

何故かは分からないのですが、洗面所にカマドゥーマが出てきます。ここ三晩ほど連続して、毎回複数匹なので、どこかに経路ができてしまったのかもしれません。基本的にフォルムの明確な虫は何とか対応できるので、クァムァドゥームァが居ても、ぎょえっ、と思うくらいでぽいと外に放り出します。洗面所に戻ってくるとまた居るので、またぽいと外に放り出し、戻ってくるとまた居ます。シーシュポス! 夏は、いろいろ生き物が発生し、困ったものです。特にぼくの住んでいるところは近くにまだ自然が残っているため、多くの昆虫が巨大化しており、これもまた大変なことです。

けれども、写真に撮る対象としては昆虫は良いですね。あとはキノコ。この二つを撮っているときがいちばん幸せです。あれ、何か侘しいな・・・・・・。まあいいか。最近、誘われて山歩きに行ってきました。といっても、丘登山家で有名なぼくのことです。登山といったところで、せいぜい御岳山とかにふぅふぅ登って下りて温泉に入って出てネクターを飲んでうまーっ! とか叫んで、まあそんな程度のもの。それでも、この時期の山は、何だかいろいろなキノコがあり、それだけでも楽しいのです。

kinoko

何のキノコかは分かりませんが(彼はキノコが好きだと言いながら、知識は何もないのです)、今回はとてもかわいらしいキノコを写真に収めることができました。

ちなみにその日は平日で、本来なら当然出社しなければなりません。ですがここ最近、自分の研究もすべて捨て置き、バグ取りと学会活動に時間を割いていたのですから、一日くらいは好きに動くことにしました。天地が滅びる訳でもなし、滅びて困る訳でもなし。アトラスでもないぼくにそこまでの責任はありません。というかそもそもこの男、責任感そのものがない。そのくせ論文では「他者に対する絶対的な責任が云々」などと書いて平然としている。いや良く見るといつでも何だかにやにやしている。

ともかく、電車に乗って出発地点の日向和田駅を目指します。朝のラッシュにぶつかるので、迷惑にならぬよう、なるべく荷物は少なく、普段の小さな肩掛け鞄で行くことにしました。一眼レフはマクロ一本に絞り、あとは着替えのTシャツと万能に使える手ぬぐい、雨具と食料、大量の水。あれ、けっこう大荷物だな・・・・・・。まあ出来の良いカメラバッグであればいろいろコンパクトに詰め込めるので、そんなものを抱えて通勤客に紛れて目的地に向かいます。丘登山家たる彼は普段から登山靴ですし、出社の際にも絶対にスーツなど着ないので、まるでこれ、普段の出勤時と同じ姿です。サラリーマンでもなく登山客でもない。いつも中途半端な姿で、この世の片隅を徘徊しています。

忙しい忙しいと言いつつ、最近はめずらしくがんばって公募に幾つか出したりもしています。別に結果はどうでも良いのですが(もちろん、安定した職は欲しいですけれども)、あのあれ、何て言いましたっけ、あ、履歴書ですね、それから研究業績書みたいのも、たまには書いておかないと、いざ急に必要なときに手間がかかることになってしまいます。だから、ときおり公募に出すついでにアップデートしておくと良いのですね。

で、そんな公募のうちのひとつの結果がそろそろ来るかな、というとき、一通のメールが届きました。タイトルを見ると「内定につきまして」。彼はね、正直「お、これは来たかな、来たよね、もうバグ対応塗れの人生から逃れたってことで良いよね!」と思いましたよ。ほんの0.5秒ほど。この0.5秒というのが、彼がいまだにこの社会に対して抱いている甘い認識の程度を示している。でもすぐに「そんな訳ないだろ」と冷静に考えなおす。それでもなお期待にぶるぶる震える手でメールを開く。すると「クラウドリーフ先生、以前は就活の相談に乗っていただきありがとうございました。この度ようやく内定を得ることができ・・・・・・」と書いてある。「ウエーへへへ!」と奇声を発して、隣の上司に輝くような笑みを向けます。ぼくの奇癖に慣れた上司は落ち着き払って「クラウドリーフくん、このバグも対応しておいてね」と新しいリストを送ってよこします。「ウエーへへへ!」

この三連休は、一日は研究会に出て潰れ、一日は所属している学会のオンラインジャーナルの校正で潰れ、一日は来週ある研究会用の原稿作成で潰れました。あとは洗面所に居るクゥムゥドゥームゥを外に放したくらいでしょうか。山に登ってキノコを撮っているときがいちばん幸せな人生でした。そんなことを呟きつつ、また明日から終わりの見えないバグ取りに励もうと思います。

彼の抜き手はあらゆる防御をすり抜け

母校でちょっとした集いがあり、それに参加してきました。無論、普段の彼なら、そんなパーチーなんぞには近寄りもしません。だけれど、ある日、その大学の学長から電話があったのです。これまた無論、普段の彼なら、電話なぞには絶対出たりはしません。ですが、そのときはちょっと魔が差してしまったのでしょう。取り返しのつかない事故というのはそういうときに起きます。電話に出ると、何月何日にちょっと大学来られる? と学長が言います。職でもくれるのかな? くれるのかな? と思ったら(そんな訳はない)、ある集いをやるんだけれど、人数少ないし頭数合わせに来てよ、とのこと。がっかりしょんぼりしながら、それでもひさしぶりにお会いできる先生方もいらっしゃるしと気持ちを切り替え、当日はとぼとぼと大学へ行ってきました。

しかし、実際のところはとぼとぼなどあり得ません。彼はいま活動量計をつけているのですが、あとでデータを眺めると、常に小走り状態で記録されています。胡乱な目つきをした職業不詳の男性が足音も立てずに高速移動を続ける。ニンジャ! そう思いながらも大学最寄りの駅に着きます。予定より少し早い時間に着いてしまい、こういうとき、彼の臨機応変さのマイナス方向への振り切りっぷりが露呈します。駅近くのビルにある本屋や喫茶店で時間を潰すということができないのです。だって知らないところ怖いもん。知らないところとか言って、彼はその駅を最寄りとする二つの大学に通い、その合計は8年を超えています。何故8年以上も? 理由はない。警察の取り調べに彼はニヒルにそう答えます。ともかく、時間を潰すこともできず、歩いて行くことにしました。大学までは30分。ちょうど時間の調整ができるでしょう。ヒタヒタ、ヒタヒタ、ヒタタタタタッ、ニンジャ!

大学内の会場に着くころには、もう汗だくです。まずはトイレに隠れて顔を洗い手を洗い、昨晩仕事帰りに1000円カットのお店でイギリスのEU離脱と日本の参議院選挙についてなぜか延々話しかけられながら(例によって「あっあっあっ」とナイスな頷きだけを返しつつ)ざっくり切られた髪もついでに濡らして整え、それでも汗は引かず、それでも、それでもなおメロスは行かねばならぬ。何しろトイレを出たらもう会場の受付なのだから逃げようがありません。でもきみはまっぱだかじゃないか。

会場に入り、同期の知り合いは一人も居ないことを確認します。まあそんなこったろうとは思っていた。既に彼の顔には死相が浮かんでいる。だが、とにもかくにもお世話になった先生方に挨拶をしなければならぬ。ところがなぜかこの大学、先生に挨拶をすると、みな握手を求めてくるのです。欧米人なのでしょうか。しかし帰国子女たるわたくしも、握手を挨拶とすることに抵抗はありません。すっと手を出します。全速歩行してきた汗と場違いなところへ紛れ込んでいるという明白な自覚による冷や汗で、手はもうヌルッとスルッと相手の手の中に滑り込んでいきます。しかしある理由から人格者揃いの先生方は、眉一つ動かすことはありません。「クラウドリーフくん元気だった?」「送ってくれた論文読んだよ」「誰にも読んでもらえない論文があったらまた送ってよ」「誰にも読んでもらえないんでしょ」暖かい数々の言葉に、彼の冷汗の総重量は体重のおよそ2.5倍に達します。「私はクラウドリーフではありません。タイから来た留学生のスヌルット・テニギリナクシュです。日本は物価が高いですね。職をください」本音を交えつつにこやかに挨拶をします。「サヤッダラッチリッビリッ」それはマレー語です。「私は下痢をしています」違ったかもしれない。彼の頭の中には、断片的で混乱した記憶しかないのです。

それでもやはり、学生時代にお世話になった先生方にひさびさにお会いするのは、とても嬉しいことです。ぼくのような半端な人間が研究者をやっていられるのは、間違いなく、この人びとに学問云々を超えて教わったことによります。最初の大学で完全に落ちこぼれていたとき、エリート揃いの教授陣がぼくを見るときのあの目つきを、当時のぼくは決して忘れませんでした(いまとなってはどうでも良いことですし、むしろ彼ら/彼女らを哀れに思います)。そういった意味で、先生方が退官なさった後も変わらずに気迫と熱意とユーモアをもって燃えさかっているのを見るのは、それだけで十分意味のあることでした。

そのなかのおひとりに名刺をお渡ししたとき、住所も書いておくれ、と言われ、慌てて鞄からペンを取りだします。パーティーの後に彼女に会うつもりで、貰い物の海苔とお茶を持っていたのですが、それが鞄からごろりと転げ落ち、グワラングワランと転がります。ようやく取り出したペンは何故か薄く、自分で専用シートに印刷した名刺はつるつるしており、まともに文字も書けません。知り合いの同期もなく、先生方とお話をしていない間は、ひたすら手持ち無沙汰で気配を殺しています。ニンジャ! そんなこんなのすべてが、悪い意味で燃えさかる恥ずかしさとして身を苛みます。でも、どうでも良いことです。この年になっても治らない人見知りとか緊張癖とか、まあそんなことは、所詮、俯瞰してみれば人間の微笑ましいみっともなさでしかありません。

ひさびさの休日、尊敬する先生方と神の話をしたりして帰ってきました。いまぼくが関わっている学会ではそんな話はまずできないので、何だか改めて自分の研究の根源にあるものを確認できたように思います。