ブック/ライフ/タイム/スパン

ここしばらく、仕事でソフトウェア開発入門編のようなものの講習会をしていた。全4回なのでやる意味があるのかどうかという感じではあったし、そもそもハード屋さん向けの講習だったので、ぼく自身も講習生も、ともに何だかピントがずれているなあと思っていたかもしれない(その会社の戦略上、ハード屋さんにもソフトのことを多少理解しておいてほしい、ということがあったらしい)。それでも、ひさしぶりの本職での講師役は楽しかった。新しい知識も習得し直したので、総体的に悪くはなかったと思う。

そんなこともあったせいで、最近はずいぶんプログラムの腕を磨き直すことに時間をかけている。もうひとつ理由があって、それはいまの自分の研究上、それなりの技術力もないままに技術論はできないだろう、ということもある。スティグレール的に。技術論的なことに踏みこんでいるのに技術には暗いです、と開き直る哲学者は意外に……でもないか、非常に多い。でも、人間の在り方の根本には技術があると考えるのであれば、いやあ私は技術には疎くてねえ、などと呑気なことを言っている場合ではない。

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講習会の後半ではインターフェイスデザインについても少し話したのだけれど、ちょうど(大学の方での)講義で使おうと思って買っていたジョナサン・シャリアートとシンシア・サヴァール・ソシエの『悲劇的なデザイン』(BNN、高崎拓哉訳、2018)があったので、読み直してみた。これが面白かった。問題のあるデザインの実例が幾つも挙げられていたし、語り口が平易で、インターフェイスデザインに興味のある一般のひと、要するにぼくみたいな人間にもお勧め。というと何だか軽いけれど、デザインが人を殺すこともある、ほんとうに重要で、失敗したときにはとんでもない悲劇を生み出すものなんだよ、ということが良く分かる。20年近く前、まだ会社員だったころ、新人研修でインターフェイスデザインについて教えるのに、電気ポットの例を挙げて話をしていた。そこでボタンの配置を阿呆な感じにしてしまったとして、或る誰かがやけどをする、その痛みをほんとうに、ほんとうに真剣に想像してみよう、みたいなことをやっていた。当時は自分自身の知識も経験も浅かったけれど、こういうテキストがあると、とても助かるだろうなあ、と思う。

そういえば『悲劇的なデザイン』にはヤコブ・ニールセンが出てきていて、ニールセンの『ユーザビリティ・エンジニアリング原論』、これはいま段ボールのどこかに眠っているので情報が定かではないけれど、当時の新人研修では、それをかみ砕いて使っていたのを思い出す。自分の人生の客観的な時間軸に沿った経過と、そのときそのときで買って読んできた本がマイルストーンとして結ばれた本読みの人生の主観的旅程とは、少しばかりずれがあって、それが面白い。

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今度出す論文では、近代的合理性のようなものについてずっと批判的(批判的というのは、地獄へ堕ちろ! ということではなくて、対象の本質を分析的に扱うみたいな感じ)に論考しているのだけれど、合理性というのは結局透明性であって、それがガラスの都市というイメージにつながっていく、とか、まあそんなブルーノ・タウト的な言及がちょっと出てくる。それはケヴィン・ロビンスというカルチャラル・スタディーズにおける中心的な研究者の『サイバー・メディア・スタディーズ―映像社会の〈事件〉を読む』(田畑暁生訳、フィルムアート社、2003)の引用。これも凄く良い本です。で、ある日、読む本もなくなってしまって、段ボールを漁っていたら、ずっと昔に買ったパウル・シェーアバルトの『永久機関 附・ガラス建築』(種村季弘訳、作品社、1994)が出てきた。買った本はすべて覚えているけれど、意識しないと思いださない。でも、ああ、これまさにガラスだよなあ、と思って読み直してみると、やはり批判的に面白い。でもって1994年といえば(出版されたときに買っているので)ぼくはまだ田んぼから出てきたばかりで、都会の大学で英語ばかり喋る連中に囲まれてみんなお洒落でハイソサエテーでもう田んぼにカエル! とかぐったりしていた時期だ。当時はこの『ガラス建築』、何が言いたいのか良く分からなかったけれど、いまになってみると、凄くストレートに理解できる。シェーアバルトの夢や虚勢。たぶんこいつ嫌な野郎だったんだろうなあ、とは思う。でも、その作品は、なかなか、全否定できるようなものでもない。

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あとは……そうだ、今回の論文では、木だって木同士でコミュニケーションしているだろ、みたいなことを書いていて、何だかこう書くと自分が何の研究をしているのか、これを読んでくれているひとにはまったく伝わらないのではないかという気がしてくる。別にクスリをやっている訳ではなく、極めて単純に、コミュニケーションとかメディアという言葉を捉え直すことで、この世界や人間といったもの自体の概念をちょっとずらして理解することができるし、それって必要なことだよね、みたいなこと。

それはともかく、木同士のコミュニケーションよね、なんてことを言うための参考文献としてDavid Haskellの”The Songs of Trees”(Penguin books, 2017)を手に入れた。英語が出来なくて大学を中退したぼくは、直感とフィーリングとグーグル翻訳だけを友達に原著を読むのだけれど(でも彼はヘブライ語が読める)、読んでいるうちに、あれ、この作者、何か記憶に残っているなあと思ったら、つい最近彼女にプレゼントした『ミクロの森』(三木直子訳、築地書館、2013)の著者だった。これはAmazonで注文したので、ぼくが家に居るときに受け取り、彼女が帰ってくるまで段ボールを開けずにまっていた。単に、開けるときの楽しみを彼女に取っておこうという心優しい謙虚で愛に満ちた我が気高く美しい心がそうさせたに過ぎなかったのだけれど、これが自分の命を救った。彼女が帰宅して、段ボールを開け、本を取り出したところ、ぼくの苦手なアレに殻の付いたアレ、殻が背中に乗っているだけでカワイイ~なんて頭がどうかしているような評価を受けるアレの写真が裏表紙に載っていたそうな(伝聞)。俺にその本を近づけるな! と、プレゼントだとはとても思えないようなリアクションで彼女にそれを押しつけ、あとはとんずらした。

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客観的にいえば、特に良いこともなく、将来も見えず、この年になって将来が見えないって、もうそれ見えるようになる前に将来が尽きるんじゃないかという気もしつつ、でもまあ、ぼんやりと本に囲まれて、その連続性とネットワークのなかで、何となく楽しく生きている。

小さな丸い穴から空を見た

この一年近く書いていた論文を、ようやくほぼ書き終えた。一緒に研究をしている仲間に的確な批評をもらえたので、GWには集中して最終的な手直しをしようと思う。他にも書かなければならない原稿があるから、GWは集中して書くときにしようと思っている。それがいまから楽しみだ。昔、食事もほとんど取らず、風呂にも入らず、ひたすら何かをやっていた時期を思い出す。あれは確かに夏休みだった。けれども、そのとき「何を」していたのかだけ、記憶からまったく抜け落ちて、どうしても思い出せない。

ともかく、あと1.5週間を乗り切らなければならない。毎日毎日職場に向かうために27の儀式を行い精神を高めなければ家を出ることさえできない。だんだん精神が脆弱になっているし、これが50を超えたら、ぼくも出家の頃合いだろう。人がたくさんいるところは、恐いし、つらい。そういうときは、だから庭いじりをして心の平安を得る。ここしばらく、休日は彼女とふたりで庭に出て、畑仕事をしていた。でも、もうじきぼくの苦手な生物が出てくるだろうから、冬が来るまで土いじりは仕舞いになる。平穏な日々は終わりをつげ、悪夢と強迫観念と精神的外傷の毎日が始まる。毎年毎年、どうやって晩春から晩秋にかけて生き抜いているのか、これもまたまったく記憶にない。ともあれ、いまのところはまだぎりぎり、庭に出てぼんやり土を弄ったりしている。地面からコガネムシの幼虫がいまだに掘り出され、庭の隅に彼女が掘った穴に放り込もうとトタンの覆いを捲ると、暗がりに潜んでいたガマガエルが迷惑そうな顔をしているのにばったり出くわす。

先日は近くでやっていた(といっても歩いて三十分くらいだろうか)何とか市というものに行き、猫の置物を買ってきた。小さな置物たちの傍に置き、しばらくして慣れたら、本格的に連中の仲間に加える予定。

そうだ、それから、水戸芸術館で開催しているポストヒューマン展に行ってきた。いま自分が研究しているテーマにかかわるので、研究だから、研究だから! と言い張って仕事を休んだ。どのみちフリーのプログラマなど社会不適応者が90%を占めるのだ(パーセンテージには個人差があります)。最近、生き残ることを最優先に設定したので、いままで以上に社会性が零れ落ちている。会社に行くだけでもありがたく思え! などとぶつぶつ呟きながら出社している。だけれどもその日は一日自由で、ポストヒューマンとやらをふんふん眺めてきた。

セシル・B・エヴァンス《溢れだした》2016
エキソニモ《キス、または二台のモニタ》2017
ヒト・シュタイエル《他人から身を隠す方法:ひどく説教じみた.MOVファイル》2013
エキソニモ《キス、または二台のモニタ》2017

ポストヒューマンもAIも、まあ、だいたいナンセンスで惨めな妄想か、企業の作りだしたありきたりの商機のひとつに過ぎない。カーツワイルは唾棄すべき阿呆だとは思うけれど、同時に、彼の内面のことを想うと、胸が痛む気もする。生きるっていうのは、実際怖いことばかりだよね。そういった意味では、ぼくも彼も、それほど大した違いはないのかもしれない。言葉に憎悪を込めることなく、GWは言葉に沈潜していようと思う。

けしごむらいふ

ずいぶん長いあいだブログを更新していなかった。といってもたかだか3か月程度のことで、ネットの時間はやはり実時間より速いのかもしれない。いや、実時間も実時間で、3か月前がはるか昔のことに思える。といっても、何か特筆すべきことがあったわけではない。ただ仕事に追われ、気合いと根性で論文を書いて、あとは何だろう、普通に生きるために必要なことを片づけていた。時折、これはブログに書こうと思うようなこともあったのだけれど、いま思い出せるのは、消しゴムを新しくしたことだけだ。

何年も使ってきた消しゴムを買い替えた。古い方は、もうゴムが経年劣化してしまって、まだ十分に残っていたのだけれど、消そうと思っても黒鉛を引き延ばすくらいの役にしか立たなくなっていた。さすがにこれでは仕事の記録を取るのに困ることが増え、それでもさらに一年以上惰性で使い続けたあげく、ようやく買い替えたのだ。古い消しゴムは、もちろん捨てたりはしていない。いまは絶縁体代わりに、基盤の台に使ったりしている。

新しい消しゴムの消し味は素晴らしい。消しゴムって鉛筆で描いた文字を消せるんだ、という当たり前の事実に、いまだに毎回感動している。書こうと思っていたすべてのことを忘れて、このことだけをずっと覚えているというのも、思えば奇妙なことだ。

去年は仮想通貨と株と金に手を出して、すべて、この短期間ではという条件付きでは良いときに売り抜けた。いまはバイオ企業系の株だけを保持していて、それもそろそろ売っても良いかなと思っている。はじめから極度に安全マージンをとってのことだったから、ビギナーズラックなどと呼ぶほどでもなく、得たものなどたかが知れている。それでも、リアルに投資をしてみて、改めて自分の性格というものを見つめ直す機会にはなった。ありふれた言い方ではあるけれど、確かに、貨幣にはある種の真実があるし、ある種の真実を映しだす機能がある。

ぼくは小心者だから、保有している仮想通貨やら株やら金やらが上がったり下がったりするたびにどきどきして疲れてしまうし、同時に、売ったら売ったで、あのときもっと投資していればもっと儲かったのにとぐずぐずくやんだりもする。でも、そういったどうしようもない性格をさらに超えて、ほんとうにどうしようもないのは、何もかもすぐに忘れてしまうというこの性質だ。あっという間に、そういう、後悔やら執着心やらが消えていってしまい、あとにはルーチンワーク化した何かと、退屈くらいしか残らない。未練がないといえば聞こえはいいかもしれないけれど、要するに、飽きっぽいということだ。怖ろしいほどに飽きっぽい。彼女以外の何が手から零れ落ちても、最後には、ああそうかとぼんやり思ってお終いになる。

でも、書くことだけはいつでも残る。ここ一週間のあいだに、いま書いている論文をさらに一気に書き進めた。ここ三年間、ある大学の研究所の研究部会として仲間とやってきた研究の、ひとつの区切りになるものだ。一年に一回研究会誌を発行して、それに掲載する論文。正確には四年でひとつのフェーズが終わるように計画されているので、あと一年かけて、最終的なまとめとなる論文をもう一本書く必要があるけれど、それはあくまで総括的なもの。技術について、神について、そして(非常に広い意味でいえば)民主主義について、考えてみればこの三年間だけではなく、結局中退した最初の大学で唯一プログラミングだけはまともに講義を受けながら考え始めたことの、現時点における到達点になっている。まだ非常に大雑把な草稿の段階だけれど、でも、少なくともこれを書いたことを、後で拙いと思うにしても、恥だと思うことだけはないだろう。

次のフェイズでは――といってもまだ第四号があるからさらに先の話になるけれど――もっと日常的な、庭に出てくるカエルとか、雑草とか、風とか星明りとか、そういったことについての論文を書こうと思っている。幸い、研究仲間の厚意によって、あと三年は研究者を名乗っていられそうだから、まあ、焦らず進んでいこうと思う。期限が切れたら、野良哲学者として書いていけば良い。書くことだけは、幸いなことに、飽きることはなさそうだ。いや分からないけれども。

書くことといえば、最近、iA Writerというワープロソフトを手に入れた。KickstarterでWindows版開発のための投資を募っていて、面白そうだから支援してみた。それがつい先日ダウンロード可能になって、いま、このブログの文章もiA Writerで書いている(最終的にはWordPressにコピペする)。バージョン1.0.0とはいえ、まだまだ不具合がたくさんあるし、正直これは日本語で利用する場合、英語で書くのとは異なり、このソフトのシンプルなデザインの美しさがあまり活かされないように感じる。例えば文章の折り返しが行ごとに凸凹になるのは地味に醜いし、半角の「.」でしか文章の区切りを認識できないから、日本語の場合センテンスフォーカス(いま書いているセンテンス以外は薄い色で表示する機能)もほとんど意味がない。入力途中のフォントと実際のフォントが異なるのも格好悪い(フォントは固定されていて選べない)。数万文字を入力すると、徐々に反応速度が低下して、仕事では使いたくないレベルにまでなる。とはいえ、これはすべてありふれたバグや設計の甘さでしかないから、今後のバージョンアップでいくらでも対応できるだろう。全体的にいえば極めてシンプルで美しい。ひとには勧めないけれど、ぼくはとても気に入っている。

書くことに飽きるということはないだろうけれど、どうせなら、書いていて気持ちが良い方が気持ちが良いし、楽しいほうが楽しい。買い替えた消しゴムで書き損じた文字を消すとそれはそれはきれいに消えて、きょうもぼくは喜んでいる。

ゴミ捨て場の銀河

とても忙しいひと月だったけれど、終わってみればもうすべては過去だ。哲学をやっていますなんて、それで大学にポストを持っているのでもなければ社会的落伍者の烙印のようなものかもしれないけれど、それでも、哲学研究ではなく哲学をやっているんだぜと気軽に言えるのは、自分の人生をリスクに曝しているからでもある。そして自分のテーマでいえば大抵のことは研究に結びつけることができるし、だから、意外にこの人生は楽しい。仮想通貨やら株やらに手を出して、無論、それはぼく自身の本来のモードではないし、だからこそ失敗する前に離脱することもできる。そもそもぼくが欲しいのは一兆単位の資金で、だからぼくのように凡庸な個人レベルのマネーゲームになんて端から興味はない。それでも、実際にやってみるとそれはそれでいろいろな発見がある。最近は時間について考えるようになった。すべては過去なのだということを、マネーゲームはよく教えてくれる。いま書いている論文とは直接関わりはないのだけれど、コアとなるものの周囲数兆キロをぼんやりと囲む塵がなければ、ぼくらは馬の頭のかたちすら知ることはないだろう。

すっかり疲れてしまい、仕事を抜け出してゴミを出しに行く。以前はしばしば食堂まで行き自販機でお茶を買ったりしていたけれど、最近はすっかり対人スキルが摩耗してしまっているので、いったん実験棟に入ると、もう出てこない。けれど職場の敷地の片隅にあるゴミ捨て場には人気がないので、時折、やおら実験室のゴミをまとめると捨てに行ったりする。その日はもうすっかり日も暮れ暗くなっていて、モニタの見過ぎで疲れ切った目に、電灯もないゴミ捨て場は宇宙のように真暗だ。荒れたアスファルトの上には小さなゴミが散らばっていて遠くの街灯を反射して、暗闇の中で小さくきらきら瞬いている。ぼくは銀河に浮いているようだった。平衡感覚を失い、それでも倒れることなくゆらゆら浮いている。実際には、疲れ切って目の落ちくぼんだ中年男性が、ゴミ袋を片手にゴミ捨て場で茫然自失しているだけ。だけれど、この世界がどうであるかなんて、半分は世界のリアルさと、残りの半分は自分の主観とでできている。他人から見たぼくの姿など関係ない。神経症気味だった二十歳の頃でもあるまいし、いまさら気にはならない。しばらく宇宙遊泳をして、再び実験棟に帰っていった。

プログラマをしているときはあまり喋ることはない。もちろん、打ち合わせや会議は別だ。フリーでやっていくときに必要なのは、能力よりもむしろ、信頼性とコミュニケーション能力、そして愛想の良さだ。いや技術だろうというひともいるかもしれないけれど、それはよほど高い技術力を持っている場合で、代替可能なレベルであれば技術力よりも重要な要素がある。いまのところ、それでどうにか食べていられる。どうやら自分の身を喰いつくしているに過ぎないような気もしているけれど。ともかく、これが講義となると喋らないことには始まらない。その緩急が激しすぎ、講義が終わるとがっくり落ち込む。今年はもう首を切られても構わないと思い、自分にとって面白いテーマばかりを扱うことにした。無論、講義全体の構成は一応きちんと考えてはいるけれど、いわゆる教科書的な要素は徹底的に排除している。そんなものは教科書を読めばよい。たまたま友人にそれを見てもらえる機会があり、きみにはこれが天職だね、と言われた。ここしばらくで、その言葉がいちばん嬉しかった。とはいえ、それはあくまでぼくにとっての天職で、社会的次元の話はまた別だ。天職だけで生きていければそれはさいわいなのかもしれないけれど、残念ながら、そこまでの才能はない。でも、それで何の問題もない。

自分には何の価値もない、という主観的絶対的認識が何十年にもわたってぼくを規定してきた。だけれど最近は、その認識の根底にあった激烈さ、峻烈さが消え、ただ淡々とその事実を受け入れている自分が居る。それは老いとか何とか、そういう下らない話ではなく、ぼく自身の才能に、ようやく自分自身で気づき始めたということなのだと思っている。生きるのは楽しい。ゴミ捨て場だろうが何だろうが、それはこの宇宙の一点だ。

ハードワイヤード・シングルタスクマン

防災用品を充実させようとamazonで諸々注文し、時間指定をして家で待っていた。きょうは彼女が出かけているので、ぼくひとり。こういうとき、自分の性格的な問題が如実に現れる。ニョジツ。「荷物を待つ」というタスク以外、何もできなくなってしまう。暖かいパーカーを洗濯してしまったので、厚めのTシャツを着たまま、ジーンズに裸足で体育座りをして配達の車がくるエンジン音をひたすら待つ。徐々に窓の外が暗くなり、指定の時刻を過ぎてもまだ来ない。これはどうやらおかしいぞと思い、PCを立ち上げて注文メールを確認してみたら、送り先を実家にしていた。届くはずがない。もうすっかり夜で、身体は冷え切っている。

この休日はようやく体調も上向いてきて、珍しくふたりで、庭の畑で働いた。彼女に指定された領域を掘り起こし、頑丈に根を張った草と、隠れた石を取り除く。虫も土も苦手な農学博士とはいえ、冬になればぼくが最も苦手な生き物もどこかへ行ってしまうので、怖さも和らぐ。とはいえ、生き物がまったく居なくなるはずもなく、耕すたびにコガネムシの幼虫が掘り出される。畑仕事的には害虫なのだろうが、それはそれ、これはこれ。よそはよそ、うちはうちでしょ! と思いつつ、彼女に渡してもらった空の鉢に、発掘された幼虫どもを土と一緒に放り込んでいく。安楽な住処を追われた虫たちは慌てて再び鉢のなかの土に潜り込んでいく。放っておけばいつまでも幼虫を探し、小石を探し、草の根を断ち切って土を耕している。それはそれで、至福の時間だ。

本来であれば野菜を植え、やがて収穫するのが目的だ。だけれど、これだけわんさか幼虫が掘り起こされると、何やらこれこそが収穫だ! みたいな気持ちになってくる。幼虫をある程度捕獲すると、彼女が庭の隅に作った専用の場所に放り込む。そこは土も柔らかく、以前に彼女が放り込んだ連中がぬくぬくと巨大化しているのを、彼女が見せてくれる。とんでもなく巨大化していて、これ、やっぱり収穫なのかな、と思う。その後、本来の目的であった大根の種を蒔き、水をやった。

あと、少し前に届いたXPlotterをようやく使ってみた。ハードの組み立て精度はいまひとつなところもあったけれど、十分に遊べる。提供されているPainterという専用ソフトは、β版だけあってまだまだ使えるといえるレベルではない。でも、コードがあって、コードの通りに動かせるのなら、それで十分だ。いまは自分の論文や行動記録を適当な変換ロジックでG-codeにするプログラムを作ろうと思っている。Plotterのアームが騒々しく動くさまをずっと眺めていると、心が限りなく落ち着いていく。その間は何も作業をしないで、プログレスバーがじみじみと伸びていくのを無心に追っている。

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カーテンを閉め、立ち上がったついでに、以前買ったムーミン印のブルーベリーコーヒーを淹れる。途轍もなくまずく、冷凍庫に封印されていたものだ。まあ、美味しいまずいは好みの問題だろう。ぼくには合わなかったけれど、常に自罰的傾向が強いぼくにとって、まずいコーヒーを飲むというのもまた、何やら心安らぐ時間ではある。一滴一滴コーヒーが抽出され、ブルーベリーとコーヒーの混じった異様な香りが立ち込めるなか、ひたすらぼんやり水滴が描く波紋を眺めている。

極めて単純なFIFOのスタック構造。簡単にオーバーフローする。それでもぼくが精神的に安定したまま暮らしているのは、溢れたのなら溢れろ糞が、と思い極めているからだ。誰も、できること以上のことはできない。できること以上のことをできないからといって壊れる何かがあるのなら、それは壊れるべくして壊れたものだ。人間関係さえも。それはそれでかまわない。ぼくは変われないけれど、その代り、無理な要求によってぼく自身が壊れることだけはない。無能な、屑野郎だけれど、それだけは誰かに対して保証できる。それはきっと、自分で思っているよりも凄いことだと、最近思うようになった。

彼女から、そろそろ駅につきそうだよとメールが届く。駅まで迎えに行くついでに買い物でもしようかと、財布をジーンズのポケットに突っ込む。身体中が冷え切っていて指も動かず、暖房を入れていなかったことに、ふと気づく。

二十三億年越しのセルフィッシュ

いつものように仕事帰りに彼女にメールをして、帰り道にあるスーパーで買い物があるかどうかを訊ねます。葱があれば葱を、とお返事が届き、任務を帯びたぼくは駅近くのスーパーの地下一階の食料品売り場へと降りていきます。しかしその時間にもはや葱はなく、しかたなく柿を買って帰ることにしました。ぼくは柿が好きなのです。

翌日は講義の日で、仕事へ行く彼女を見送り、少しだけ家事の真似事をしてからのんびり大学へ行きます。こんな悠長なことをしていられるほど仕事の状況が良い訳ではなく、そんなことをいえばそもそも研究などしている場合でさえないのですが、生まれついての屑人間。大学へ行きがてら、スーパーなんぞに寄り道までも平気でしてしまいます。昨晩の借りを返すべく、きょうは売っているうちに葱を買うのです。油断した葱共がごろりごろいと積み重なっている。やおらそのうちの一組をつかみ取り、人間様の知恵を舐めるなよ、とネギの売り場前で高笑いしつつ意気やうやうです。けれども、やけに太い葱がしかも二本組みで売っていて、これはどう考えてもオーバーキルではないでしょうか。

ところで、彼は驚くほど常識がありません。常識人ぶっていますが、それはものすごく疲れるので、時折突然手を抜きます。まだ暖かかったころには、彼女の弟がくれた、彼の手書きの絵が描かれたTシャツを着て、そのまま講義をしていました。彼の周囲には真面目なひとが多いので、だいたい皆、きちんとスーツを着て講義をします。えらいなあ、と他人事のようにぼんやり感じつつ、しかしスーツを着るとライフが減る特殊体質の持ち主なので、仕方がありません。

きょうはしかし、Tシャツどころではなく(さすがに寒いからもっと着込んでいます)、長葱二本を持ったまま大学に着いてしまいました。葱二本を巻いていたテープは解け、両手に一本ずつ葱をつかんだ彼は、まるで宮本武蔵のようです。え、これ、抱えたまま教室に行くの? と自分でも疑問に感じますが、しかしその心の澄み渡ること夜半の湖の如しです。「剣禅一如!」それは新陰流か。けれども、堂々と教室に入っていけば、学生さんたちはこれこそがこの国古来の正装なのだと騙されることでしょう。「ドウドウ!」そう叫びながら教室に入ります。学生さんたちは皆、ぼくをゴミを見るような目つきで見てきます。階段教室でそもそも彼らの視点が上から来るので、ぼくはますます教室の隅に溜まった埃になったような気持ちになります。「アニハカランヤ!」夏の終わりの蝉のように、そのまま絶命します。

これでもけっこう、ぼくは教える、ということに対して真剣ですし、誇りをもってやっています。ぼくとしては、教える、よりも、伝える、だと思っていますが。ともかく、いろいろな人たちが、いろいろな考え方から、いろいろなスタイルで講義をすることでしょう。それぞれがその信念に基づいてやっている限り、ぼくはそれで良いと思います。共通するスタイルなど必要ないし、もし「教える」ということがあり得るとするのなら、そこにルールもマニュアルもあるはずがありません。けれども、信念もなしに教壇に立つ誰かが居るとすれば、それは誰にとっても、とても不幸なことです。

二十歳を目前にして、当時のぼくは、既にかなりの落ちこぼれ大学生でした。自分がうっかり入ってしまった、やけにエリートくさい連中ばかりのその大学を嫌悪していましたし、講義についていけない学生を、それこそゴミのように扱う教授連中のことも憎悪していました。それでも、中には風変りな非常勤講師も幾人かは居て、そのひとたちの独自のスタイルをぼくは再現できないけれど、ぼくがあの大学でまともに取得した単位というのは、恐らくその辺りのものだけではなかったかなと思います。そうして、記憶に残っているのは、そういう講義の方なのです。

自分のスタイルは自分のスタイルで、演じることが好きなぼくでも、教壇上で、本当の意味では演じることなどできません。立ってしまえばそこにあるのは長葱二本、ごまかしようのない、普段の自分のスタイルがあるのみです。ただそれだけで勝負をしなくてはなりません。

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長葱を二本も買ったと彼女に知られたら、きっと怒られます。証拠隠滅のため、大学から帰ってきたら米を炊き、長葱一本を丸々刻んで納豆に混ぜ、独りでぼそぼそ、お昼ご飯を食べました。食べ終えてから学生さんたちのコメントシートを、お茶を飲みながら確認します。意外に講義に対して好意的なコメントが多く、もっと俺を糞みたいに憎んで軽蔑してくれよと、性根の歪んだ彼は、亡者のように呻きながら床を転げまわっています。

パンクズヴォヤージュ

彼女とふたりで買い物に行き、夕食の魚を選ぶ。この魚、何だか笑っているみたいだね、と彼女がいう。そのとおりで、口の端を少し歪めた魚は、死んでいるのに楽し気に笑っている。ずっと以前にも書いたけれど、ひとつの悪を為したからといって、そのほかの悪を為して良い、ということには決してならない。ぼくらの日常は極論でできているわけではない。出来損ないの宮沢賢治のようだが、いつか自然に、敢えて奪う必要のない命を奪わずに済むようにして、そのままどこかへ出発できれば良いな、と思う。

一年に一度か二度、ひどい風邪を引いてしまう。いまがちょうどその時期で、けれども、講義の資料を作らなければならないので、咳が出て眠れないのも、悪いことばかりではない。隣で彼女が眠っているので、モニタの明るさを最低にまで落とし、ぽちぽちとキーボードを打つ。午前3時くらいになり、さすがに眠らなければならないと思って毛布に包まる。まだ少し寒く、唸ると、眠ったままの彼女が手を伸ばしてくれる。

まだ暖かかった先週、偶々時間ができ、彼女とふたりで近所の――といっても歩いて20分弱はかかるけれど――納豆屋に行き、そこで売っているアイスを買って、溶ける前に少し離れたところにある公園で食べた。まだまだ蚊は元気で、ぼくらはふたりとも、ずいぶんと刺され、痒い痒いねといいながら家に帰った。

また別の日、新宿のとある広場で彼女と休んでいたとき、ぼくらの下に、片足を怪我した(もう傷は癒えていたけれど)ハトがひょこひょこやってきた。ハトに餌をやってはいけない、ということはぼくも知っているが、手元から食べていたパンの欠片がぽろりと零れる。他の元気なハトも一目散に寄ってくるけれど、彼らの隙をついて、足の悪いハトの目の前に、またパンの欠片がぽろりと零れる。最近、手に力が入らない。警備のひとがやってきたので、素知らぬふりをしてやりすごす。手の中には、まだパンの欠片が3つ、残っている。時機を待とう、とぼくは天空に向かって語りかけるが、ハトたちは皆、しばらくうろついた後、こいつはもうダメだという目つきでどこかに行ってしまう。手の中で固まったパン屑の塊は、自分で食べてしまう。彼女の足下には、まだ雀たちがまとわりついていた。

ぼくのプログラムの師と、何年かぶりに合い、お酒を飲んできた。新宿東口。ぼくがもっとも苦手な場所のひとつで、案の定、音もよく聴こえないし、空気が汚れ過ぎて喉も傷めた。だけれど、師との会話は面白く懐かしかった。ぼくらは献辞について話をした。やっぱり献辞っていいよね、と。献辞は、本を開いたときから始まる旅を終え戻っていく、その終着点を表している。そして同時に、その旅に出たまま帰ってこない誰かさんの場合は、後に残した誰かさんたちへの最後のメッセージでもある。

良い献辞を書きたいよね、といって、ぼくらは別れた。家に帰り、ぼくは彼女に、ぼくが本を書いたら、その献辞はきみに捧げるよ、という。リアリストの彼女は、きっとほんとうにその本ができるまで、リアクションを見せることはないだろう。だけれども、いずれにせよ、帰ってくるのかそのままどこかへ行ってしまうのかにかかわらず、道しるべは、そこにある限りそこにあり続ける。