ロシアの地を踏む

1989年11月、というと、何を想像するだろうか。ぼくは当時高校生になったばかりで、いまとなってはほとんどのことが薄やみの彼方に消えてしまったが、それでも幾つかの事柄と、そのときにぼくが感じたことだけはいまだにはっきりと心に残っている。1989年11月、それはもちろん、ベルリンの壁が崩壊した時だ。ぼくは資本主義が素晴らしいとも、共産主義が人類の理想だとも思わない。そんなものは所詮、人間が作り出した下らないイデオロギーに過ぎない。それでも、あのとき、東西を分断していた壁が壊され、人々が出会い、抱き合い、歓喜し歌を歌い合っていた光景は、ブラウン管越しに見ているぼくにもリアルに伝わってきた。無論、そんな希望が長続きするはずもなく、東西統合の熱気が冷めたあと、様々な問題が噴出した。そして1990年には湾岸戦争が始まり、1991年ソビエト連邦が崩壊。翌年、ぼくは大学に入った。

時が過ぎて、2000年の12月、ぼくは相棒とともに、ロシアの地を踏んでいた。と言っても、ユーラシア大陸へ行った訳ではない。麻布台にあるロシア大使館に行ったということ。相棒がどこからか、ロシア大使館でロシアの若手芸術家による絵画展をやると聞いてきたのだ。大使館の周辺には警官が何人も警備に立っており、扉も建物も異様なまでに堅牢で他者を拒絶する雰囲気に満ち、重苦しい。それでも、ぼくらのような一般市民が、絵画を観にその中へ入るなど、ほんの数年前には想像すらできないことだった。いや本当はそういったイベントが開かれていたのかもしれない。ぼくらが知らなかっただけかもしれない。それでも、普通に生活をしていてそういった情報に触れることができるようになったのは、やはり時代の変化だと言って良いだろう。

ぼくらは二人で、大使館の中をうろうろした。もちろんルートは決められているし、要所要所には明らかに文官とは思えない雰囲気を発散させている男たちが立っている。そして肝心の絵は、こういっては何だけれど、少なくともぼくらの魂をふるわすようなものではない。先入観かもしれないが、やがて来るべき資本主義社会に対する熱気と言うか、非常に俗っぽいものが感じられた。あるいはどこかで見たような画風。

けれども、ぼくらにはそれを否定する権利はない。腐敗は自由との引き換えで、それは決してぼくらが非難できるものではない。その自由に対するある種純朴なまでの信仰、期待、切望。ぼくらはその向こうにあるものが虚ろで空しいものだと知っているけれど、だからこそ、彼らの純粋な思いを否定できない。

結局、ここまで書いてきて何が言いたかったのか、自分でも実は良く分からない。それでも、ぼくらが子供だった頃には想像もつかないほど、世界は変わった。ぼくは、ほんの一瞬、世界が希望に満ちたときのことを忘れない。その後世界は悪くなった。それでも、ぼくが感じたあの希望は、決して嘘ではない。そしてぼくは、確かにロシアの地を踏んだ。ぼくらが入ることなど想像もできなかったところに行き、そこでぼくらと変わらない人間の欲望を見た。それは救いのない話ではあるけれど、ぼくらが同じであることは唯一の希望でもある。

ぼくらが子供の頃、冷戦というのは確かに存在して、けれどもそれは壊れて、そしてまた訳の分からない壁が無数に造られた。けれど一瞬垣間見えたその向こうに、ぼくらと同じ、どうしようもない人間の姿が見えた。世界は複雑に見えるけれど、でも、その一枚向こうには、案外シンプルな希望がある。

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