本を読まないということは、そのひとが孤独ではないという証拠である。

タイトルは太宰治『人間失格/グッド・バイ』(岩波文庫)から。

そんなこんなで、noteを始めました。いま出版文化の置かれている状況が非常に悪化していて、できる範囲でやれることをやろうと思ったのです。ですので、noteの方では原則的に出版支援用のリンクと、この本良いよねとぼく自身がお勧めできる本の紹介文に限定して投稿しています。もしよろしければ覗いてみてください。

https://bit.ly/2W7Tqf7

多様性というのは、そしてその維持は、人間にとってはほんとうに難しいことです。ぼくらは多くの場合自分にとって価値があるかどうか、役に立つかどうかで判断してしまって、その背後にある、それらを支えているネットワーク全体には目が向きません。だけれども何かが終わったあとに残されたものが目に見える範囲では変わらないように思えても、結局それは普段から声が大きかったりしたものが図太く残ったからそのように見えるだけで、現実には手遅れなくらいにモノカルチャー化してしまっている。それでも人間は生きていけはするのでしょうが、ぼくは嫌だな、ということです。

あとは、それとはまったく関係なしに、人生もそろそろかたちが見えてきたし、少しくらいは石の下から這い出さないとな、ということもあります。

最近は(というよりも、あまり理解されないのですが昔からずっと)民主主義に関心を持っており、次の研究テーマはもっと直接的に民主主義について、その原理について考えたいなというのと、あとはメディアアートについてもまとめたいので、そういった系統の本の紹介が多くなるかもしれません。それ自体ぼくというフィルターを通して偏ったものですし、出版文化の多様性とか言っているくせにどうなの? と言われればその通りです。しかしまあ、本の紹介って他にもたくさんあるので大丈夫です。それにぼくはやっぱり偏屈なので、ぼくにとっては紙の無駄にしか思えない醜い思想に基づいた本の紹介のために俺の人生一秒だって無駄にしたくないなということがあるので、それはそれで仕方がありません。どのみち、そういう醜い思想に基づいた本って、これからますますのさばるものでしょうから。

いま文化全体が弱っているし、少なくともぼく自身民間で食べてきた人間なので、芸術というのはそういう俗世の状況とは関係なしに、真に美しいものは残るんだよとか、そういう主張には同意できないし、好きではありません(そういう考えが間違っているとは思いませんが)。必死に足掻いて、お金の勘定をして、ある点では社会に迎合して、そうやって必死に生き残るなかで、いま生きている人間にとって意味のある美が、コミュニケーションが生まれるのだと、ぼくは思います。