記憶は頭の外に在って、だからどうしようもなく

合宿に行ってきました。自分の発表があるわけでもなく、仕事は仕事でなかなかに大変な状況なのですが、無理を言って平日にお休みをお願いして全日参加です。場所は伊東。ネットで調べたところ、スーパービュー踊り子号というものがあるらしく、生まれてはじめてグリーン車なるものに乗ることにしました。このひと月ふた月、論文その他にだいぶがんばった気がしています。そのうちの一本は、自分でも(無論まだまだとはいえ)現時点で書きたいことをある程度書けたので、ある程度は満足しています。仕事と論文とその他もろもろで、さすがに頑健さと気合と根性と粘着気質な怒りの塊であるクラウドリーフさんも、少々お疲れ気味です。我ながら嫌な性格ですが、とにかく、ちょっとグリーン車などに乗って気分転換とか思ったわけです。プチブル。

出発日の朝、行きがけに地元の郵便局に寄り、まずはその日の消印有効という投稿論文をぎりぎりで提出しました。そのまま横浜に出て、いよいよスーパービューです。ななんと二階建ての電車。これもまたはじめてでワクワク。クワクワとアヒルのように鳴きつつ電車に乗り込みます。座席は窓際海側一人掛け。さすがにグリーン車だけあって、ゆったり座ることが可能です。行きがけに読もうと思っていた論文をリュックから取り出していると、何と呼ぶのか分りませんが、乗務員のひとがやってきて、「コーヒー飲むか、紅茶飲むか、オレンジジュースもあるぞ」とお勧めしてくれます。ぼくは飲めもしないのにお願いしてしまいます。見栄を張って「コーヒーを。ブラックで」などと。倒置法。

ところでいま、すでに合宿は終わり、自宅でこのブログを書いているのですが、さっきまで頭痛で倒れていました。身体というのは面白いもので、無理を超えると強制的に電源が落とされる。

それはともかくグリーン車です。最初はゆったりした座席で、無駄に贅沢して、なんてのん気に思っていたのですが、やはりやめた方が良かったとつくづく後悔をしました。こういう言い方をすると嫌がられるというのはよく分っているのですが、基本、ぼくは自分をクソ野郎だと思っています。実際、ぼく以上に性格の捻じ曲がった人間をぼくは知りませんし、目的のためなら手段を選ばないその非道徳性にも、我ながら怖気をふるいます。たまたま真面目そうな見た目と雰囲気を持って生まれてしまったため、たいていの場合ぼくの腐り加減に気づかれないということにもまた気が滅入ります。

「死にたくなる」とかいう表現は、ほんとうに嫌いです。生きている限りにおいて、ぼくらは全力で生きなければならない。ただ生きるだけであったとしても、真剣に呼吸し、歩き、腕を広げてくるりと回る。それだけでも、一生懸命、まさに命を懸けて生きることは可能です。それでも、他人に丁寧な口調で接せられると、「死にたくなる」のです。それは憂鬱になるなどといった言葉では表現しきれない何かです。ちょっと、病的かもしれません。普通のことかもしれません。分らないけれど、でも、乗務員のひとに「何かお飲み物は」などと言われた瞬間、確かにぼくは死にたくなります。ぼくは、そんな人間ではない。ひとを平気で見捨て一切の後悔をしない、小器用なだけの才能と誠実そうな見た目と、そんなものでひとを騙して、ここまで生きてきました。「何かお飲み物は」という呼びかけは、自分のクソさ加減に対する告発として、ぼくに突きつけられます。ちょと何をいっているのか良く分らないですね。まあでも、「死にたくなる」はそのままで、「生きなくてはならない」ということでもあるはずです。どのみち、生きることは、少なくともその一部は、死者に対する義務としてぼくらに課せられたものだと、ぼくは思います。

淹れてもらったコーヒーを「にがーい」などと思いつつちびちびと飲みながら、他人の論文に目を通します。けれどもやはり、あまり興味のない論文を読むのは苦痛です。今朝方出してきた自分の論文のコピーをひっぱりだして、やっぱりこの結語が素晴らしいよね、などと独りでにやにやしながら眺めたりします。

そうして、少し眼が疲れ、ふと窓の外を見やると、見覚えのある光景が目に映りました。低い山に囲まれ海に面した、こういっては何ですが少々うら寂しいような小さな街。駅前のお土産物屋さんの並びを見て、すぐに思い出しました。湯河原です。子供のころ、夏になるとぼくらの家族は、母方の祖母と一緒に(船員だった父は居ないことが多かったのですが)数日間ここで逗留したものです。毎年毎年。いまは立派に腐ったぼくがグリーン車の窓から眺めるだけですが、そのころは湯河原に行くのが楽しみで、その道中すら楽しみで、鈍行の電車のなかで食べる冷凍みかんのおいしさときたら、他に比類すべき何ものもないほどでした。子どもだったぼくは湯河原の街を走り回り、だから、いま高架の上を走りながら見下ろす街の道々は、そのまま、ぼくの記憶となって立ち現われてきます。風景が、二重写しになります。子供だったぼくが街のそこかしこに居るのが、はっきりと見えています。

伊東につくころには、もう、へとへとです。あまりにへとへとなので、合宿のあと、ちょっとした魔法で彼女を召還しました。もちろん、召還するということは、召還されるということでもあります。お互いを召還し合い、そのまま遊びに行ったり、あるいは帰宅したりする研究室のひとたちとは別れ、ぼくは伊東に残りました。その晩、台風の影響で、雨が強く降っています。宿の窓を、雨が強く叩いています。個人的に雨の音は耐え難いのですが、彼女がいるので、大丈夫です。節電のせいか、宿には常夜灯もありません。だけれども、どんなに真暗であっても、となりにその存在を感じます。

翌日の帰りもまた、こんどは踊り子号ですが、グリーン車です。クラウドリーフさん、こう見えてそんなにやわではありません。がらがらの車内、ゆったりと伸ばせる足。平気でグリーン車に乗り込んで、「死にたくなるなんて莫迦みたーい」と嘯きつつ、ふんふんとのん気にはなうたなんぞを唸っています。グリーン車には、人っ子一人乗っていません。だから背もたれだって倒してしまったりもするのです。ちなみに、電車にせよ飛行機にせよ人生初、背もたれを倒しました。信じてもらえないかもしれませんが、彼は普段、そのくらい慎み深く遠慮深い人間なのです。

結局、グリーン車には最後まで誰も乗ってきませんでした。子供のころ、湯河原に行く鈍行列車は、もっともっと混雑していて、もっともっと楽しそうな喧騒に満ちていたように思います。嘘か本当かは分りませんが、所詮、頭の中にあることの真偽など、問うだけ無駄だというものです。それは永遠に真であり、かつまた、つねに偽でもあるのですから。

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まだ論文の翻訳や学会発表などはありますが、今年締め切りの自分の論文は一段落しました。後期の講義資料を作ったりもしなければなりませんが、またしばらく、二週間に一度くらい物語を書いていこうと思います。

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