最近、A.ガワンデ著『死すべき定め―死にゆく人に何ができるか』(原井宏明訳、みすず書房、2016)を読みました。これが素晴らしかった。中でも、第5章「よりよい生活」で紹介されている、1990年代、NYのとあるナーシング・ホームにおけるビル・トーマスの試みの紹介がとても良いのです。トーマスは彼が務めることになったナーシング・ホームの入居者たちが、何故これほどまでに絶望的な余生を送っているのか、素朴にも疑問に感じました。そしてそれを改善していこうという精神力とアイデア、そこに人を巻き込んでいく人間的魅力において、トーマスは非常に優れていました。彼が試みたことは、ホームに生命(動物)を持ち込むことでした。しかしそこには当然、衛生上の問題などのために、多くの規制がありました。そこで、何とかしてたくさんの動物を持ち込もうとするトーマスと所長のロバート・ハルバートとがやりとりをするのですが、それが何ともユーモラスなのです。
ニューヨーク州のナーシング・ホームに対する規制は、一匹の犬と一匹の猫だけを許可している。ハルバートはトーマスに、過去に二、三回犬を入れようとしたが、不首尾に終わったことを説明した。動物の性格が悪かったり、動物にきちんとした世話をするのが難しかったりした。しかし、ハルバートはもう一度試す気はあると話した。
それでトーマスは言った、「じゃ、犬二匹で試してみましょう」。
ハルバートは「規則では認められていません」。
トーマスは「まあ、それで申請を書いてみましょうよ」。
ハルバートもまた度量のある人間だったのでしょう。ここで彼はナーシング・ホームにおける衛生と安全性という、これはこれで極めて重要な目的との間で葛藤します。しかしそれでも、ハルバートはトーマスの心に影響されていきます。ハルバートはトーマスとのやりとりをガワンデに語ります。
私はこう考えはじめていたんだ、「あなた方ほどには私はこれに関わることはないのだけれど、とにかく二匹の犬を持ち込むことにしよう」。
トーマスは「じゃあ、猫はどうしましょう?」と言った。
私は「猫をどうしましょう?」と返して、「とにかく二匹の犬をもちこむと申請書に書くべきです」と答えた。
トーマス「犬好きじゃない人もいるから。猫好きの人とか」
私「つまり犬と猫の両方が要るとおっしゃる?」
トーマス「とりあえず、それを書き残しましょう、議論のテーマとして」
私「オーケー、猫も加えて書きます」
「ノー、ノー、ノー。うちの施設は二階建てです。二階のそれぞれに二匹ずつの猫でどうでしょう?」
私「州保健部には、犬二匹、猫四匹と提案しようと思いますが?」
トーマス「イエス、そう書いてください」
私「了解です。そんなふうに書きましょう。話がちょっと広がりすぎた気もしますね。空を飛ぼうとかいう話じゃないはずです」
トーマス「一ついいですか。鳥はどうなんでしょう?」
規制は明確だと私は答えた、「ナーシング・ホームでは鳥は認められていません」。
トーマス「しかし、鳥はどう?」
「鳥はどうですかね?」と私。
結局、ナーシング・ホームのスタッフはトーマスの主張に同意して申請書を書き上げ、これが補助金申請を通ってしまいます。このあとの騒動、そしてそれがナーシング・ホームに与えた影響については、ぜひ実際に読んでみてください。
また別の試みを行っている、あるホームにおける話も印象的で、特に、そこに入居しているマックオーバーという高齢の女性の話には胸を打たれます(ここはバンド・デシネの名作『皺』のラストシーンを思い出させます)。彼女は「加齢に伴う網膜変性のためほぼ失明していた」のですが、それでも著者に対してこのように言います。
「また会うときには、あなたが誰だかわからないでしょうね。あなたは灰色に見えるわ」。マックオーバーは私に話してくれた。「だけど微笑んでいるわね。それは見える」
基本的に、この本で語られるのは、人は如何にして人間としての尊厳を持ったまま死ぬことができるのか(生きることができるのか)ということです。著者のガワンデは外科医なのですが、外科医らしい客観的、科学的な視線を保ちつつも、暖かさの溢れる文章で、死にゆく様々な人びとを描いていきます。そして、そこではひとりの人間としての自立が重要であることを示します。
ぼく個人は、人間の自立、ということに対して、それほど重きを置いてはいません。むしろ死ぬ最後の瞬間まで自立した個人であることを強要されるのであるとすれば、それはそれで相当に異常で厳しいものではないかな、と思ったりもします。だから、ガワンデが自らの父を看取ったあと、その遺骨をガンジス河に流すシーンは非常に考えさせられる、また感動的なシーンでもあります。
親がどれだけ努力しても、オハイオの小さな町で子どもをまともなヒンズー教徒に育てるのは難しい。神が人の運命を決めるという思想を私は信じる気にはならないし、これからやることで死後の世界にいる父に何か特別なことをできるとも思わない。ガンジス川は世界の大宗教の一つにとっての聖なる場所かもしれないが、医師である私にとっては、世界でもっとも汚染された川の一つとして注意すべき場所である。火葬が不完全なままに投棄された遺体がその原因の一つである。そうしたことを知りながら、私は川の水を一口飲まなければいけなかった。ネットでバクテリアの数を調べておいて、事前に抗生物質を服用しておいたのだった(それだけしてもジアルジア感染症を起こした。寄生虫の可能性を見落としていた)。
だが、そのとき私は自分の役割を果たせることに感動し、深く感謝もしていた。一つには、父がそう望んだからであり、母と妹も同じだったからだ。そしてそれ以上に、骨壺と灰白色の粉になった遺灰の中に父がいると感じることはなかったのだが、悠久の昔から人々が同じ儀式を営んできたこの場所にいることで私たちを越えた何か大きなものと父を繋ぐことができたように私は感じた。[中略]
限界に直面したとき父がしたことの一つは、それを幻想抜きに見ることだった。状況によってはどうしようもなくなるときはあったが、限界を実際よりもよいと偽ることは決してなかった。人生は短く、世界の中で一人が占めるスペースは狭いことを父は常にわかっていた。しかし、同時に父は自分を歴史の繋がりの中の一つの輪と見ていた。あらゆるものをのみ込む川の上に浮かんでいると、悠久の時間を越えて無数の世代が手を繋いでいるような感覚が私をとらえ、離さなかった。父は家族をここに連れてくることで、父も何千年にわたる歴史の一部であることを私たちにもわかるようにしてくれたのだった――私たち自身もその一部だ。
これは、とても良く分かります。神を持たないぼくでさえ、このような感覚をどこかで共有しているからこそ、身近な人びとの死に対して、それでもなおそこに悲しみだけではない何かを抱くことができます。ぼくらは最後の最後まで自立を強要され得るような超人ではない。
だけれども、さらに同時に、こうも思うのです。人間のリアルな生において真の意味での自立を貫徹することなど不可能だと研究上の立場としては思いつつ、同時に、自立への狂気にも似た妄執に駆り立てられたまま死んでいく人びとの、その個人個人でありつつも人類という種でもある何者かが抱えた悲しみと愚かさは、つまるところ個人の自立も国家や民族への帰属も不可能だと考えるぼくのような人間もまた同じように抱えているものと何も変わらないのだ、と。
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先週の休日は、いま自分のメインの研究の場である研究会に参加するために、西日本へ行ってきました。そこで研究仲間と会い、今期の研究誌に掲載する論文について互いに話し合いました。そこでぼくは、来期の論文について、死と音について書こうと思っているんだ、と言いました。一緒に研究をしてきた仲間とはいえ、それだけで本意が通じるかどうかと言えばそれは分かりませんし、どのみち、それはぼく自身にとってもまだまだ直感的にしか見えていないものです。
とはいえ、やはり直感的にですが、死と音というテーマは、書くべきものであるという確信があります。そんなこんなで、いま、この二つに関連した書籍を集め始めているところです。というよりも恐らく、こんな研究をしているぼくをあくまで単なる焦点として、それらのものが集合し、ぼくという器においてそのようなテーマを書こうとしているのだと思います。
その次の休日には、浜名湖に行っていました。これはまた別の集まりです。会場となったところで、犬を飼っていました。雨がずっと降っていたので、ぼくは少し濡れたその犬と並んで座り、空いている時間にはぼんやり湖を眺めていました。耳が聴こえないというその犬は、時折ぼくの背中側に回り込んでは、ぼくのシャツを鼻で捲りあげ、背中をぺろぺろと舐めます。雨は強くなったり、弱くなったりを繰り返します。庭では小さな茶色いカエルが、時折思い出したようにぴょんと跳ね、どこかへ少しずつ向かっています。雨が降ってきたね、と、ぼくは犬に、鼻息で伝えます。彼は濡れた鼻をぼくの頬に押しつけ、唇を舐め、再び雨に目を向けます。
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今回で、このブログに移行してからの総記事数が200になりました。遅いような、早いような。いや遅いですね。昔の記事を少し読み直してみると、ぼくという人間が驚くほど変わっていないことが分かります。と同時に、置かれている状況は悪化する一方であることも分かります。単にそれは、年を取った、というだけのことかもしれません。いずれにせよ、誰もが、書けるものを書くしかありません。ここからまたゆっくり書いていこうと思います。