ある一瞬の、ある一点の

今週から始まる講義で使う資料が足りず、ひさしぶりに彼女と東京で落ち合い、本屋に行ったのです。彼女はフィールドワーカーなので、研究のデータは海外の熱帯雨林なり日本の森林なりに出向いて集めなければなりません。ぼくはまがりなりにも思想系で研究をしているので、基本的には論文や書籍が彼女でいうところのデータのようなものにあたります。いまは便利な世の中なので、論文も書籍もネットでも手に入れることができます。無論、図書館もありますし、時間があればこの日のように本屋さんに行っても良い。いわばそこが、ぼくにとってのフィールドです。本屋でフィールドワーク。研究者としては安直に過ぎますが、それでも、大げさに言えば、現代日本社会においてぼくらの研究している分野がどのように捉えられているか、資本主義というフィルターを通して、けっこう面白く見えてきたりもするのです。そうそう、OZONの丸善では「共生」フェアなるものをやっていました。共生って、何でしょうね。しばらくそのフェアをやっている本棚の前で茫然自失としていました。

それから数日後、大学の院生部屋にこもってレジュメを作っていました。最近は頭痛がいよいよ酷く、薬を飲み続けです。それでも、資料をひっくり返しつつ講義の構想を思い浮かべるのは、とても楽しいことです。勉強するというのは、とても楽しいことです。ぼくはそれに気づくのに、長い長い時間を必要としました。でも、それはそれで、きっと昔のままのぼくでは見えなかったものも見えるようになったと思っているので、別段、後悔することはありません。

暗くなる前に大学を出て、ちょっと遠出です。二年ほど前に彼女と自転車で散歩をしていたときにふと見つけた、鶏肉の専門店に行こうと思ったのです。専門店といっても、住宅街の細い路地に面した小さなお店。でも、そこでぼくらは鳥のから揚げを買い、大通りに面したベンチに座り、ふたりでむしゃむしゃと食べていました。ぼくを支え、ぼくを形づくる大切な記憶のひとつ。

二十年近くの昔、人形劇の部活で遅くまで残り、真暗な帰り道、コンビニで肉まんを買ってふたりで食べながら帰った冬の夜。そんなささやかなことこそがずっと記憶に残ります。いつまでもくっきりと輝き、ぼくの生を照らし続けてくれます。

ともかく、その鶏肉屋さんに行こうと思ったのです。頭痛が酷いので、きょうは自転車ではなく歩きです。彼女はいないので、足下を這う蟻んこなどを眺めつつ、ぼんやり歩いていきます。時折、散歩中の犬と出会うと挨拶をしたりして、飼い主さんに不気味がられたりもします。何だか、妙に幸せです。

ようやく着いた鶏肉屋さんは、けれども、閉店していました。数年前に彼女と行った際、既にだいぶお年寄りのご主人が営業していたので、もしかしたらもう、お店をたたむことにしたのかもしれません。寂しいことですが、所詮はただ通り過ぎるだけの人間であるぼくには、それに対して何かコメントする権利がないのもまた、確かでしょう。結局、そこからさらに歩いて、駅前で彼女と落ち合い、いつもどおりのスーパーでいつもどおりの買い物をして帰りました。けれども、いろいろなことすべてをひっくるめて、何だか良い一日だったなあと思ったのです。

良い一日。美しいものを見ました。寂しいものも見ました。寂しさのなかには美しさがあります。美しさのなかにもまた、寂しさがあります。良い、ということは、恐らく、とても厳しいものなのだと、ぼくは思います。

頭痛が酷くて、起きていられないとき、畳の上で転がり、頭を打ちつけ、殴りつけ、涎を垂らし、涙を流しつつ、けれどもふとそのぼやけた視界の向こうに、畳の目が見えます。その畳の目が、途轍もなく美しく見えるのです。それは、その美しさはきっと、その瞬間、その一点に集中するからこそ顕わになる美しさです。

それは、F値を開放したときの、レンズの向うに見える光景です。ある一瞬の、ある一点に集中したぼくらの視線。

東京で会ったとき、彼女が、ハリネズミをぼくにくれました。ぼくは彼女に、小さな小さなお話を渡しました。

すべての一瞬一瞬をかけがえのないものとして、記憶していたい。苦痛も恐怖も後悔もすべてひっくるめて、きっとそこに、人生の美しさが顕れてくるのだと、ぼくは思っています。

All existence you’ve never dreamed

羽
60mm、F3.2、1/125秒、ISO200、AWB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

顔
60mm、F2.8、1/160秒、ISO200、AWB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

葉‐硝子
60mm、F2.2、1/125秒、ISO200、AWB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

なぜそんなありきたりの日常をわざわざブログに書くのさ

プリンタを買いました。モノクロレーザー。いままではプリントアウトするものがあれば、わざわざそれだけのために四谷にでも出てFedExへ行くか、あるいは大学へ行っていたのですが、最近は学会の雑務その他でプリントアウトする必要が増えてきたのと、あとは論文などの執筆量も若干増えてきているので、思い切って買ってしまったのです。場所は取るけれど、やっぱり便利ですね。夜中に論文を改稿して明け方プリントアウト。翌朝出勤途中と昼休み、帰宅時に読み直し。帰宅後改稿して明け方プリントアウト、翌朝出勤。そういったサイクルで無駄なく動けているように思います。クラウドリーフさん、いったいいつ寝ているのでしょうか。無論仕事tyげほんごほん!

ここまで書いて思ったのですが、これ、本当にどうでもいい話ですね。以前誰かに言われたのですが、まあそのひとはブログに対して批判的なひとで、自分の日常生活なんてインターネットで公開して何の意味があるの? という極めてヴィヴィッドな問いかけをされました。ヴィヴィッドとか格好良いから使ってみましたけど別に格好良くないですね。そのときぼくが何といってブログ的なものを弁護したのかもう忘れてしまいましたが、案外弁護なんてしなかったかもしれません。そうそう、ブログで日常生活を書くなんて意味わかんなーい、みたいに。

だけれど日常生活を書いてしまうのです。最近はなかなかに勤勉な日々を過ごしています。仕事はあいかわらずですが、それ以外の時間は論文を書いているか、論文を読んでいるか。飽きると筋力トレーニングに励んでいます。食事も節制して、ほとんど禅僧のような生活です。禅僧の生活なんて知りませんけれど。

冷却ファン
60mm、F2.5、1/30秒、ISO160、WB:オート、クリエイティブスタイル:Adobe RGB

クリップ
60mm、F2.5、1/30秒、ISO160、WB:オート、クリエイティブスタイル:Adobe RGB

下の写真のクリップは、先日ひさしぶりに相棒と少し散歩をしたときに、彼女に連れられて入った文具店で購入したものです。最近はなかなかそういった時間もとれないので、……などという言い方はあまり好きではない。とれないのならとれば良いので、だからとるのです。嘘も不義理も平気です。睡眠時間だっていくらでも削れます。まだまだ、いろいろ余裕です。最近、眼鏡が妙にずれると思っていたら、顔がやつれて少しだけ細くなってしまっていたからでした。細く、といえば聞こえは良いですが、何のことはない、朝方、薬を飲む前の自分の顔を洗面所でぼんやり眺めると、これはもう薬中のチンピラ以外の何ものでもない。

けれども、楽しいことばかりです。今回の論文は書いていてほんとうに楽しいし、9月からはいよいよ講義も始まります。女子大で教えるなんて、女性恐怖症のぼくには不可能犯罪、いや犯罪はいらないですね、不可能ですが、心の平穏を守るために被っていくお面の準備もばっちりです。やはり犯罪ですね。

なぜそんなありきたりの日常をわざわざブログに書くのさ、と昔あるひとに訊かれましたが、答えは簡単。ありきたりは、ありきたりではないからです。きょうも一日、良く生きました。それは途轍もなく大したことで、途方もない喜びです。誰もが知っているように、ぼくもまた、ありきたりではなかった日々を知っています。だから、ありきたりの日常を書くということは、それ自体で、ありきたりではないものをぼくらに強要してくる世界に対する、ぼくらの勝利の記録なのです。

今朝、数ヶ月ぶりにコーヒーを飲みました。

ごくありふれた日々の生活。

そんな、感じです。

弘前旅行

弘前に行ってきました。思いがけずねぷたまつりを見ることもでき、ひさしぶりに、仕事と研究から解放された数日間を過ごすことができたように思います。というのは嘘で、ぼくはお祭りの熱狂というのがどうも苦手でして、でもいまの研究テーマは原初的な共同性とは何かを問うことであって、ではこの群集のなかで独りであると感じるのはなぜかとか、そもそもここに現われているのは本当に共同性なのかとか、結局、いつでも頭のどこかでがりがりがりがり、「なぜ」の歯車が回り続けています。

とはいえ、旅行らしい写真はあまり撮れなかったにせよ、バッテリーが切れるまで写真を撮り、ほんの少し、気持ちに余裕が戻ってきたのを感じます。

ねぷた
30mm、F2.0、1/50秒、ISO400、WB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

日本基督教団弘前教会
30mm、F2.2、1/60秒、ISO200、WB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

蓮
60mm、F3.5、1/400秒、ISO200、WB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

天空と鳥
30mm、F11、1/640秒、ISO200、WB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

鴎
60mm、F11、1/500秒、ISO200、WB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

弘前、良いところでした。また来年、訪れようと思っています。

The sky in NY


SONY α700(DSLR-A700) + シグマ 30mm F1.4 EX DC, F1.4, 1/15秒, ISO200, WB:オート, CS:AdobeRGB

7年ぶりのアメリカ。以前に訪れたミネソタとは異なり、街全体が良くも悪くも尖っていた。いろいろなものを見たけれど、すべてが抽象的に渦を巻くひとつの印象に塗りこめられ、いまはそのひとつひとつを取りだすことはできない。それでも、幾つか記憶に残っているものを書いてみよう。肥満で膝を痛め杖をつく人びと。地下鉄のホームでギターを弾きつつ歌っていた少女。若いアーティストが集う街区のカフェテリアでは、男の店員が壜のキャップを手で空け、得意そうに笑っていた。おとなしすぎる犬たち。事故を起こしかけた歩行者と車の運転者が喧嘩をし、大通りの向こうからも人が野次を飛ばし見物する。巨大な鉄の塊でバリケードが組まれたウォールストリート近くの街路。タクシーの運転手はつねに、ヘッドセット越しに歌うように何かを連絡していた。Bellevue Hospital Center。アパートメント屋上のペントハウスから眺めたNYの夜景。ニイハオ、と挨拶をしてきたブロードウェイの呼び込み。
JFKに向かう地下鉄を乗換駅で降りたとき、若い黒人の車掌が身を乗りだし、ぼくにずっと手を振ってくれていた。ぼくも、手を振りかえした。