プンクトゥム

先週でようやく講義が終わりました。いちおう毎週レジュメを作成し、気がつけばA4で200枚超。内容は大学1、2年生向けですが、量だけでいえば博論よりも書いたことになります。前半は仕事のピークが重なり、後半はお手伝いや業務で読まなければならない論文が相当数あったので、振り返ってみればよく乗り切ったものだという気もします。まあ実際のところは、まだ終わったという実感がわかないのですが。ともかく、これでベースはできたので、来年は今回よりももう少しだけ楽しい講義になるようにしたいと思っています。

まだこれから忙しくなる作業も残ってはいるのですが、少しずつ、自分の論文も進めています。先日の発表は、ぼくとしては初めての試みだったのですが、写真論をやりました。講義の際にとある研究者の映画論を扱ったのですが、面白いと思う反面、納得のいかないところもあったのです。そうして、その日の講義が終わった後ふと書店により、気がつけばバルトの『明るい部屋 ― 写真についての覚書』、そしてソンタグの『他者への苦痛のまなざし』を手に取っていました。これ、どちらもとても面白い本ですので、お勧めです。

何かもやもやしたものがあるとき、自分でも分からないままに手を伸ばすと、そのもやもやにかたちを与えてやることができるような本にであえる。そういった直感があるかぎりは、ぼくもまだ、いまの生き方を変えることはできないように思います。

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発表では、特に近現代におけるメディアの進展というものが他者との関係性を抽象的で空虚なものにしていくといったような、いわばありきたりな批判に対する反論をしました。まだまだ荒い議論ですが、いいたいことは描きだせました。ちょっと最後のところを抜き出してみましょう。

メディアは、まさに目を逸らしようもないものとして存在する他者を我々の眼前に映しだす。そうして、それだけでしかない。しかしそれこそが、他の誰でもないこの私の固有性を照らしだすのである。私は私である限りにおいて、私を私たらしめた他者に対して責任があるし、またそこにしか私を私たらしめる実感はない。
電子的なメディアの上を無数に流動する消費されるものとしての他者たち。だがそれは幻想に過ぎない。メディアの向こうにいる他者は、この私が本来そうである――そして同時にかつてそうであったことなど一度もない「私」へと私を立ち返らせるひとつの無力な契機に過ぎない。しかしそれは、私と他者を責任の名において結ぶ、確かな強度を持った奇跡でもあるのだ。

ぼくの発表というのは、良いのか悪いのかはわかりませんが、まあだいたいいつもこんな感じです。研究室のひとたちはみな正統派というか、まっとうな感じでレジュメを作ってまっとうな感じで発表をするので、自分の発表のときにふと我に返ったりすると恥ずかしいのですが、でも良いのです。親戚にひとりくらいいる困った伯父さんぼくの伯父さんみたいなものです。それに、ぼくなりのかたちでですが、ほんとうの意味で力を持った言葉を書きたいし、発したいと願っている以上、どうしてもこういうやりかたでしか発表ができないのだから、もうそれはしかたのないことです。

けれども、実は今回はじめてソンタグを読んだのですが、やはり凄いですね。とてもとても、足下にも及ばないのを実感します。

これは地獄だと言うことは、もちろん、人々をその地獄から救い出し、地獄の業火を和らげる方法を示すことではない。それでもなお[…]悪の存在に絶えず驚き、人間が他の人間にたいして陰惨な残虐行為をどこまで犯しかねないかという証拠を前にするたびに、幻滅を感じる(あるいは信じようとしない)人間は、道徳的・心理的に成人とは言えない。(p.114)

ちょっと省略の位置があれですが、興味のある方はぜひ手にとってお読みください。バトラーにしろソンタグにしろ、あるいはバディウやリンギスでも良いですが、虚仮脅しでも自己陶酔でもない、凄まじいまでの気迫をこめた言葉を書けるというのがすばらしい。いつか自分もその地点にまで到達できればと願っています。

ともあれ、これでしばらく講義はありません。また少し、ブログの更新頻度をあげられたら、いいなあ。

疾走

ある一瞬のために生きろというのは、ある一瞬のために死ねということだ。生も死も所詮は人間の作った言葉に過ぎず、それは本当は等価だ。そして恐ろしいことに、ぼくらはそのような一瞬を無数に持っている。無数に。

ぼくには相棒以外に仲間はいないし、別段、欲しいと思ったこともない。もし一人でも仲間を得たのであれば、それは途轍もない幸運だ。幸運というのは、いうまでもなく幸福ではない。それもまた恐怖のひとつのかたちだ。在ることと無いことの狭間を、支えるものもないままにぼくら全力で疾走する。そうして最後にどこかへ落ちていく。

もし救いを語る哲学というのがあれば、ぼくはそんなものを唾棄するし、そもそもそれは哲学ではないだろう。希望、人間性、善、正義、倫理。しかし絶望というのもまたひとつの救いの在り方だ。虚無というのも、きっとそうだろう。けれども、そうではない。やはり希望はあるし、絶望も虚無もある。それらすべてをひっくるめて世界はどうしようもなく在って、ぼくらは自分の世界線の上を支えもなしに疾走する。ストロボのように走るぼくらのフォームが一瞬一瞬浮びあがり、焼き付けられ、永遠に残る。暗室につりさげられた無数のネガ。それを誰かが世界の外から眺めている。だけれども、それはぼく自身の眼だ。

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最近、言葉を話すのがひどく億劫だ。別に、疲れているわけではない。ぼくはいつでも絶好調だし、絶好調以外ではいられないことに疲れることさえできない。絶好調とはつまり、存在している、ということだ。ぼくは存在している。どうしようもなく、存在している。

スイッチを想像して、指で軽く弾く。気味が悪いくらい器用だよねと言われてきたぼくのなかにある無数の会話パターンの一つが自動的に選ばれ、必要とされる反応を返してくれる。あまりにも絶好調すぎて、存在しているものがはるか後方に過ぎ去っていく。

あたりまえのことだけれど、自分の家のなかであれば、目を瞑ったままでほぼあらゆることができる。いつもとは異なることをするのでなければ、一度も目を開けることなく一日を過ごすこともできるだろう。目を瞑ったままインスタントコーヒーを淹れ、自室に戻り、一口啜る。蹲り、呼吸を止め、疾走するイメージに集中する。限りなく加速する。

だけれども、ただまっすぐ立っていることができない。両足を踏みしめても、あっという間に平衡感覚を失い、よろけてしまう。それがやけに可笑しい。

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精神の風が粘土の上を吹いてこそ、初めて人間は創られる、とサン・テグジュペリは言った。そうだろう。ぼくもそう思う。だけれども、ではその風はどこから吹いてくるのか。それはきっと、ぼくらが疾走するからだ。ぼくらは疾走するからこそ風を受けぼくらになる。ぼくらはぼくらになったからこそ疾走して風を受ける。走り続け風を受け続けることによりぼくらは粘土から削りだされぼくらになり、走り続け風を受け続けることによりぼくらは削り取られ砂に還る。すべては両義で、同義だ。

頭痛が止まらない。ぼくは冬が好きだ。風が強く吹き、穴だらけのセーターから容赦なく冷気が侵入してくる。頭がどうかしそうなほどに身体が凍え、震えが止まらない。腐ったように熱を持つ脳が凍り、その瞬間、自分の魂が全方向に向かって疾走を始める。

いつか疾走する自分を追い抜き、世界の外から自分を眺める自分を眺めている。

これは再生ボタンですか? いいえ、この部屋にベッドはありません。

いつも書いていることだけれど、ぼくはある特定の日に意味を持たせて何らかの区切りにするような考え方が嫌いだ。そういう外的な要因によって人間の在りようが変わるなどというのは虫唾が走る。ものすごい勢いで走り回って、出会い頭にぶつかって恋が芽生えたりする。成人式とか、最たるものですね。莫迦じゃないかしらと思う。だいたい、ああいった体制側の作ったシステムに乗る若者っていうのがひどく不気味だ。人間はみな非‐体制であるはずなのに、反‐体制ですらない。などと書きながら、でもこれもやっぱり極端な意見で、べつにきみに押しつけるつもりはない。成人式に出てひさしぶりに友人に会ってやあ、なんていうことにも、あるいは会いたい友人はいないけれど母が遺してくれた振袖に初めて袖を通して話す相手もないままけれど誇らしげに式に参加するということにも、そこにはそれぞれの物語があり得るし、実際あるのだとも思う。ただ、ぼくは成人式と言った瞬間、そういった個々のかけがえのない物語がのっぺりとした何かに塗り潰されてしまう気がするし、むしろ塗り潰されるものであるからこそ参加するひとたちがいるということも経験的に感じている。同じように、年末年始というのも別段それほど意味があることだとは思えない。繰りかえすけれど、そこには個別の、固有の物語は生じ得る。さまざまな苦労や苦痛を乗り越え、何も解決はしていないけれど、とりあえず生き残ってやれやれ、などと言いつつ炬燵で年越し蕎麦を食べる。それはそれで美しい光景だろう。けれどももしそこに美しさが生まれたのであれば、それは1月1日0時0分0秒という外的な形式によって生まれたものなのではない。そうではなく、そのある一瞬に永遠と無限を見いだした誰かさんの心のなかからこそ生みだされたものだ。ぼくらの前には、つねに代替不能な一瞬が永遠に連なっている。1月1日0時0分0秒だから特別だと思うのは、2011年7月23日13時51分27秒が持っていた絶対的な唯一性に対する責任と覚悟の放棄であるとしかぼくには思えない。今年も、けっきょくクリスマスがいつか分らないままで終わった。これで神学士だというのだから我ながら驚いてしまう。けれどもともかく、ぼくはある特定の意味づけをされた日の意味を理解することができないし、だから覚えることもできない。まあ、ぼくが真剣に話すと、たいていの場合はおかしいひとだと思われるだけなので、きみもそう思ってくれてまったくかまわない。

同じように(ところで、何が同じなのだろうか)、「思想」などと呼ばれるものをしていると、東西の云々みたいな話がでてくるが、それも虫唾が走る。走り回って転げまわってじゃれついて興奮のあまり引っくり返っておなかをみせて撫でろ撫でろと要求してきたり、もう可愛いといったらない。ともかく、西洋的な何かとかそれに対する東洋的な何かとか、何を言っているのかまったく意味が分らない。ポストコロニアリズムが自らに投げかけた批判というのがこれだけ簡単に忘れ去られてしまう状況というのが恐ろしい。在るのはただある一人の人間の思想であって、そこに聴くべき何かがあるのなら聴けば良い。西洋の、というのが愚かしいことであるのと同じように、それを批判するために東洋の、というのを持ちだすことにも意味があるわけではない。一神教に対する多神教の寛容さ、などという極端な排他主義、イデオロギーでしかない多神教の乱用などにはあまりの倣岸さに目が眩み、お父さん、まるで万華鏡を覗いているみたいだよキラキラしているよなどといって実はそれは街が燃えている火なのだ。いやもちろん、そこに誰かがリアリティを感じるというのであれば、そこから語れば良いのだし、それを批判するつもりはない。ぼくにとっては、それはそのひと独自のリアルな語りとして聴こえるだろう。ただ、「東洋」などといったものがあるとは、ぼくは本当には思っていない。それは実在ではなく所与にすぎない。

線を引いてしまえば、いろいろなことが分りやすくなる。でもたぶん、そんなことには何の意味もない。

もうずっと昔の話。卒論で文化変容について書いた。アクセルロッドとか。そうして、プログラムを組んでシミュレーションをした。いま考えれば幼い限りだが、いまやっていることも幼い限りなので恥じてもしかたがない。院試で卒論の話をするとたいていその大学の教授陣に受けて笑われていたから、ともかく可笑しいものではあったのだろう。それでいい。ただ、いまでも自分なりにおもしろく思うことがある。ぼくは文化というものを混沌とし続けるその過程のなかにしか存在しないものだと思っている。ありふれた考え方だ。そのシミュレータでは抽象化された文化的特性を色で表現するのだけれど、だからぼくは当初、時間の経過とともにその色の分布はより混乱を極めた百花繚乱的なものになっていくと予想していた。しかし実際にそのシミュレーションを走らせると、最終的にその小さな虚構の世界における文化の状態は砂嵐のような像に行き着くのだ、何度走らせても必ず。それは、ぱっとみるとどうしようもなく単調で一様なものだ。さまざまな色がわきたつようにモニターから溢れだすことを期待していたぼくは酷く気落ちした。けれどもしばらくして気づいたのだけれど、砂嵐というのは決して単調なものではない。現実にはそうではないにしても、原理的には一瞬現われた状態は二度と現われない。恐ろしいまでの一回性がどこまでも続いていく。その取り返しのつかない一回性こそがこの世界の本質なのだとぼくは感じた。子どもじみた妄想ではあるけれど、その直感はいまでも正しいと思っている。

ぼくらはこの世界にさまざまな線を引くことで、社会を形作っていく。そしてそうでなければ、ぼくらは生きていけない。だけれども、世界はそもそも、どうしようもなくそれそのものとして在るものだ。この「私」が存在するのは、絶対的な唯一性を持ったある一瞬における世界の総体を、それ自体として引き受けるときで、またそのときのみなのだ。ぼくらは線を引くことによってしかこの世界を理解することができないのかもしれない。けれどもそれは所与のなかでしか在り得ないことに対する諦めとして考えるべきではない。線を引く、ということが可能なのは、ぼくらがある一瞬一瞬にうねり続ける原初の混沌を感じとり、手で触れているということの証左なのだと、ぼくは思っている。

世界は存在する。そうして、だから「私」も存在する。それは宙ぶらりんで在り続けることに対する恐怖を引き受けるということだ。信仰であれ科学であれ思想であれ、その宙ぶらりんであることへの恐怖が出発点にないのであれば、ぼくはそれを侮蔑する。

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愛だの寂しさだの触れるだの、ほんとうは途轍もない恐ろしさを持った言葉を、けっきょくのところ自己愛の発露としてしか理解していないような言葉を書き連ねて歌詞とやらにして「ロック」だなどとのたまっている連中をみるとほんとうに反吐がでる。この「ほんとう」は宮沢賢治的な意味で理解してもらいたいのだけれど、ほんとうに、反吐がでる。女子大の講義でも「反吐がでるよね」とか言っているので来年の講義はないかもしれないけれどもそれはともかく反吐がでる。来年の生活さえどうなっているか見当もつかないけれども、ともかく、思想とやらをやっているのである以上、ぼくはロックで在り続けたい。

心からそう願っている。

いつかの記憶を写真にしてきみに送るよ

あれはもう一週間ほど前だろうか、ひさしぶりに熱帯植物園に行ってきた。ひさしく会っていないひとと駅前で待ち合わせる。ぼくはひとの顔を覚えるのが極端に苦手なので、大丈夫だろうかと内心不安だったけれど、大丈夫だった。あるひとりの人間が持つ雰囲気というものは、なかなか、記憶からは消えないものだ。というよりも、そういう人間としか、きっとひとは再会できないのだと思う。植物園に向かう道は車通りが激しく、耳の悪いぼくは、後を歩く彼女たちが何を話しているのか、ほとんど分らない。けれども、騒音や空気の寒さや、大通りの反対側に広がるがらんとした空間すべてを含めて、どこか心地よく暖かな空気で満たされていた。

ある関係性を三年以上維持することが、ぼくにはできない。それは人間として何らかの欠陥なのかもしれないし、単にそういう性格だというだけのことかもしれない。それでも残る関係というものは確かにあって、そういった人たちに共通するものは何かと考えてみると、その人たちもまた、どこかに定着できない人びとなのではないかと思う。違うかもしれないけれど。定着できるというのは幸せなことなのかもしれない。人間として必要なことなのかもしれない。だけれども、それが正義であるとか善であるとか、あるいはそうでなければならない何かだ、といわれると、ぼくはどうも、逃げだしたくなる。

ぼくたちの幾人かは、何かによってどこかへ流されていく。幾人かは最初から川底の石にしっかりと根を張っていたり、水を吸って沈んだり、あるいは淀みに入り込んでぐるぐるまわっていたりする。何が良いとか悪いとかではない。天動説と地動説のどちらを選ぶか問い詰め、敵と味方の線引きをしたいわけでもない。川の表面を流されていく幾葉かの落ち葉が、あるときしばらく隣りあって流れていき、離れ、またある日偶然、再会したりする。

まだ届くけれど受け取る誰かさんのいなくなったメールアドレスを、いまだにぼくはアドレスブックに残している。消せない、というわけでもない。消そうと思えば簡単だ。最低なことをひとつ告白すれば、ぼくは届いた手紙の大半を捨てる。物に囚われるのは、本当に恐ろしい。

もう受け取る誰かさんのいないメールアドレスを取っておくのは、別段、感傷からではない。ぼくにはそもそも、感傷などという高級な感情はない。単に、どこかで、いまでもまだこのメールが相手に届くのではないかと自然に感じているからだ。

受け取る誰かさんがまだいることが分っているメールアドレスが何かを届けてくれるとは思えないこともあるし、受け取る誰かさんがもういないことが分っているメールアドレスが何かを届けてくれると思えることもある。

おかしな話だ。おかしな、というのは、頭がどうかしている、ということでもあるし、可笑しくて暖かい気持ちになる、ということでもある。

植物園に行った日、めずらしく、一日穏やかな気持ちで過ごしていた。別れ際、彼女たちが握手をするのを眺めていた。出会うときの握手より、別れるときの握手のほうが暖かさを感じるのは何故だろうか。

落ち葉が流れていき、ある瞬間、偶然か必然か、そんな人間の作った概念など飛び越えて、ぼくらは誰かに出会う。誰かに出合ったという記憶は、あとになって振り返ってみると、何故かいつも静止画で、音もなく、別れの瞬間を刻んでいる。

ノックをしてくれ、その空に。

ひさしぶりに夜の新宿を歩いた。学会の仕事を終えたあと、何となく同僚と先生を新宿駅まで見送り、自分が乗る駅まで歩いて戻る。どこまで歩くかは決めていない。目立たない容姿、目立たない雰囲気。目立たないというのは簡単で、要は慾を消してしまえばいい。人びとの発する慾はノイズとなって空気中に発せられ、溢れるそのノイズの影に身を隠してしまえば、誰とも衝突せず、誰にも目を向けられないで済む。慾のない人間など、ここでは存在しないのと同じことだからだ。雑踏のなかを言葉でない言葉の切れ端が無数に飛び交う。ラジオのダイヤルをぐるぐるまわしているかのように何かが浮かび上がり、すぐにノイズの海に消えていく。

新宿から四谷に進路をとる。昔、よく歩いた道だ。ぼくの働いていた会社は御苑のすぐ近くにあり、仕事が終わると、数駅離れたところまで歩いて相棒を迎えに行った。彼女と落ち合い、途中で食事をし、どうということのない会話を交わしながら新宿へと散歩をする。駅につくと彼女を見送り、ぼくはまた、いまふたりで歩いた道を戻る。御苑前で丸の内線に乗ることもあったし、四谷三丁目まで歩くこともあったし、あるいはさらにその向う、四谷を越えて半蔵門まで行くこともあった。べつに、たいした距離というわけでもない。幾度となく通ってきた道だから、あらゆるところに、彼女と歩いたときの記憶が残されている。その記憶と対話をしながら歩く。

御苑まで行ってしまえば、もう人はだいぶ減る。右手には暗い御苑。土曜日のこの時間は帰宅する会社員もあまりいない。会社のビルの下まで来て、上を見上げれば、もう電気は消えている。昔、ぼくがまだ会社員だったころ、大晦日も会社にいることが幾度かあった。窓からみる新宿の高層ビル群は、きれいではあったけれど、それはきれいだからこそ汚いものでもあった。汚いからこそ美しいものでもあった。

いかなる意味においても、昔を懐かしむということに対して、ぼくは反吐がでる思いしか抱かない。ぼくの過去が悲惨なものであったということではない。言葉どおりの意味で、過去が幸福に満ちたものであったにせよ苦しみしかなかったにせよ、懐かしむ、ということそれ自体に対する嫌悪感。

過去は懐かしく思うようなものではない。ただ単に、いつまでも、どうしようもく在り続けるものだ。懐かしむ、ということには、距離をとれるという前提がある。距離など、とれるはずもない。それはつねにそこに在る。生きていけば生きていくほど、ぼくらは数え切れないほどの過去を抱え込んでいく。それは静かで澄んだ化石のようなもので、けれどいつでもぼくに何かを語りかけている。人ごみのなかで感じる、彼ら/彼女らの発する慾のノイズとはまったく異なる、絶えることのない透明な対話。

なぜ、失ったもののことばかり考えるのか、といわれた。そういうつもりでもないのだけれど、反論はしなかった。失うということは得ることでもあり、得るということは失うということでもある。ぼくらは、二元化しなければものごとを理解できないと思い込まされているけれど、そんなはずはない。ぼくはぼくとしてここに在るのだし、世界も、歴史もまた、それそのものとしてそこにある。ただ、それだけのことだ。

傍らを、若い男女が通り過ぎていく。一時ノイズが高まり、またすぐに止む。

地元の駅で降り、暗い住宅街を歩いていく。時折、暗がりのなかにひとが立ち、空を見上げている。思いだす、今晩は月蝕だった。若い女の子が、きっと自宅の塀なのだろう、背中をぴったりと寄せ目を空に向けているけれど、ぼくが通り過ぎるまで少しばかり身を固くしているのが分る。ぼくはひっそりと苦笑する。中年の男がふたり、向かい合った家の前に立ち、けれど互いに声を交わすでもなく空を見上げている。ぽつぽつと、そういった人びとがいる。ノイズは聴こえない。

家に降りていく階段のうえで、しばらくぼんやりと空を見上げる。暗闇のなかで、自分が完全に消えるのを待つ。消えることは在ることで、在ることは消えることでもある。

ぼくは、そんなふうに思っている。

こう見えてぼくは長生きをする男だ、もちろんクーリングオフだってできる

ほんのしばらく、相棒が動物の世話をすることになった。その生き物はどんぐりや杉の実を食べるかもしれないというので、数日のあいだ、ぼくもどんぐりを探しながら道を歩いていた。ひさしぶりに大学へ寄るとき、途中の道沿いの家で、庭師のお爺さんが剪定をしていた。ぼくはこれはちょうどよいと思い、杉の葉を幾束かもらうことにした。「すみません、ここにある杉の葉、少し分けていただいてもよろしいですか?」「松の葉だな」といわれ、はい、とにこにこしながら貰ったものの、自分の呆け具合に少々不安になった。確かにこれは松の葉で、杉の葉ではない。そもそもぼくは、杉の実がほしかったのではないのか。それがどうして松の葉っぱを抱えて歩いているのか。大学につき、構内で定年退職した老先生にばったりお会いする。「こんにちは!」元気に挨拶するのがぼくの良いところ。老先生は松の葉っぱを振り回しながら歩いているぼくをみて「はっはっは」と笑いながら挨拶を返してくれた。相棒の研究室に寄り、葉っぱを渡す。杉の実が松の葉に変わったところで、いまさら驚くような彼女ではない。まあ入れたら遊び道具にするかも、とフォローしてくれたので、とりあえず渡しておく。その生き物は夜行性なので、ぼくがいるあいだずっと眠っていた。それも先週の話で、彼(彼女?)は無事に怪我も手術してもらい、もと居た山へ相棒によって返されていった。

あるいはこんなこと。こうみえてぼくはかなりのええ格好しいだ。女子大へ行くとき、いつも同じ服ではまずいと思い(無論ちゃんと洗濯はしている。服など持っていないだけだ。自慢にもならないが)、仕事帰りに、乗換駅にできたユニクロなるものに寄り、カーディガンというか何というか、とにかくそんなものを買った。癖毛にちゃんとブラシを通し、洗いたてのワイシャツにほこほこしたカーディガンを羽織ると、あら不思議、驚くほどひとあたりの良さそうなお兄さんのできあがり。と思ってえへんえへんと彼女のところへ行くと、「それ新しく買ったの?」と訊いてくる。「そうそう、ユニクロってところに行って買ったの!」と勇んで報告。いくらかというので3,000円くらいだったと答えると「どうみてもその値段には思えない」という。そうだろうそうだろう、ぼくのように格好良いと、着ている服も何倍にも映えるのであろう、などとは思わない。「1,000円くらいに見える?」と訊けば、「500円くらい」と言われた。言い訳をすれば、ぼくは肩幅だけはあるのだけれど極端になで肩なので、たいていの服はすぐに格好悪く型崩れしてしまい、まるで着古して伸びてしまったようにみえるのだ。説得力のない公式見解。

講義のとき、めずらしく疲れきってしまっていて、思わず座ってしまった。もちろん、しゃがんだということではなく、教壇の椅子に、ちゃんと格好をつけて。少し早めに講義を終わらせてもらって、講師室で休憩。一息入れて大学へ戻り、幾つかの作業をこなす。研究仲間と少し飲んで、家に戻ってから幾冊かの本を読む。

どうということのない日常。けれども、充実した日常。

もう限界のような気もするし、まだまだいくらでもアクセルを踏めるような気もする。ぼくは、言葉で自分を鎧うことに関しては天才的な技能を持っている。天才「的」であって天才ではないところが悲しい話ではあるけれど、所詮は器用さだけが取り得の人間だ。ともかく、ぼくは言葉で自分を鎧う。イメージとしては、何枚もの鉄の板で自分の魂を幾重にも縛りつける。ぎりぎりと締めつける。ぼく自身はたいして強いわけでも頭が良いわけでもないけれど、そうして自己暗示にかけることによって、たいていのことには耐えられるようになる。縛りつけすぎて歪んでしまった鉄の壁のむこうに、いまでもぼくがいるのかどうかは、すでにずっと以前から分らなくなっている。どのみち、それは大した問題ではない。ぼくと呼ばれる何ものかが存在して、そうして、確かに存在している。それ以上の何かに必要は感じていない。必要なのは存在することであって、存在するものではない。

彼女とどんぐりを探していた日の昼、道端にいもむしが転がっていた。ぼくは目が悪いけれど、そういったものは目に留まる。ほらほら、と彼女に教えると、彼女はさっと掬って草叢の奥へそれを放す。同じ日の夜、彼女の家に歩いて行く途中、暗闇の中にうずくまるがまがえるがいる。夜目は利かないけれど何故だかぼくにはそれが見える。彼女にほらほら、と教えると、彼女はさっと掬って草叢の奥へそれを放す。

どうということのない日常。アクセルを踏み続けるけれど、穏やかな日々。天才というものは、驚くべきことだけれど、確かに存在する。だけれども、ある瞬間、何の才能も持たない凡人がその天才に並び立つ。さらにその一歩先へと踏みだす。ぼくはその瞬間があることを知っている。