キル・キリイ・キル

学会サイトを更新しなければならないし、オンラインジャーナルを作らなければならないし、四日後が締め切りの論文をまだ一切書いていないし、明日の講義の準備もしていない。仕事は仕事で不具合の原因調査がまだ終わっていない。挙句に何だか面倒くさいメールが届いて、如何にして相手を傷つけず断ろうかと頭を悩ましているうちに頭痛が始まった。知恵もないのに知恵熱。これは脳が糖分を欲しているのだと思い、梅ジュースを作ったときに余った氷砂糖をばりぼり食べていた。

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昨日は研究会があり、いま一緒に研究をしているメンバーが互いの論文草稿に対して意見を言い合った。ぼくにとってはいま唯一本気でやっている研究で、だから、これを乗り切るとだいぶ気分が楽になる。もちろん、全然ダメだねということになるとそれはもうほんとうに全然ダメなので、相当に緊張する会合になる。逆に、多少なりとも評価してもらえるものを書けると、まだ自分も哲学をやっているのだなと思える。

当然、そのためには信頼でいる研究仲間であり、互いに認め合えるだけの原稿を持ち寄らなければならない。そういうことができる研究仲間を持てたのは、とても幸いなことだ。とはいえ、ぼくの場合、草稿の段階でかなり完成稿に近くなってしまっているし、だからもう、今回の論文は最終工程に乗せてしまい、次のテーマをもにゃもにゃと練っていかなければならない。頭の中で、混沌として、けれどずっしりとした質感を持って在るものを、少しずつ言葉を使って輪郭を描いていく。しんどくて、でもいちばん楽しい。

そんな訳で、きょうは部屋の掃除をした。ぼくはきれい好きな方だけれど、ここしばらくは異常な仕事量と私生活の方のどたばたが続いていて、ひどい状態だった。だから、時間をとって部屋の掃除をするのは、とても楽しいし、ほっとする。そうして、次の論文用に本の並びを構成し直すこともまた、とても楽しい。それは自分の頭の構造をチューニングし直すのに似ている。

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今回は講義がとてもつらく、ちょっと、学生たちにも申し訳なかったと思う。無論、意識的に手を抜くわけではないけれど、講義は、こちらの状態が隠そうと思っても如実に出てしまう。次の年度になったら、思い切りスタイルを変えてやってみようと思っている。どのみちこれで食べていくつもりもないので、非常勤の職を失ったところでどうということはない。というと真面目な研究者には怒られるけれど、少しくらい性格が破綻している講師がいた方が、大学なんてものは面白い。

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会合のとき、研究仲間に、最近出た辞典を手渡した。辞典なんてものは、それ自体は面白くもおかしくもない。特にぼく程度の能力しかない人間が書いた項目など、創造性の欠片もないものだ。でもまあ、手元に置いておけば多少は役に立つかもしれない。ともかく、遠くから来ていたもうひとりには、かさばるので郵送で送ることにした。きょうは掃除をしながら、Amazonの段ボールをばらして、ゆうパックで送るための箱に作り直した。本がぴったり入る箱を作ることができ、独りでにやにやする。こういう手を使う作業はとても楽しい。考えてみれば、文句を言いながらも、けっこう楽しいことばかりしている気がしてきた。まあいいか。

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形而下的なことを言えば、どうも、あまりぱっとしない生活だ。それでも、頭の中に何かが在って、言語化してくれろ、言語化してくれろ、と、いつでもぼくをせっついてくる。自分のペースでしか応えることはできないけれど、ここ数年、ようやく、それがナニモノなのか、少し見えてきたように思う。

言語化できないものを言語化すること、それによって本当に言語化できないものを手探りしていくこと、霧の中に一歩、いま踏み込み始めているのを感じている。