パライソ感

年末年始は大掃除と親族への義理ですべて終わりました。墓参りでは、例によって親族の名前を覚えられず、直前に暗記したのですがやはり間違えました。しかしまあ、親戚にひとりくらいは、私のような社会不適応者がいても、それはそれで彼らの人生の味わいが深まるのかもしれません。会うたびに「クラウドリーフくんって結局何をしているんだっけ」と訊かれるのも、それはそれで、味わいのある人生なのかもしれません。

そんなことを言っているうちに、明日から早速講義と仕事です。講義のレジュメはまだ何も作っていないし、仕事は年末に終わらなかったクレーム対応から始まります。良いことが何もなくて困ってしまいますが、しかし良いことがある人生など、わしもつれていってくだせ、のパライソでもあるまいし、考えてみればそれはそれで気色の悪いものです。そんなこんなで、極少ない自由時間は、カメラを弄って遊んでいました。

暮れには武甲山へ行ってきました。健脚揃いだったので、あっという間に登って下りて、あとは温泉に漬かっていただけですが、それでも、限界まで汗を流して、そのまま凍えるような風の吹く山頂でしゃりしゃり凍りかけたTシャツのままおにぎりを食べるのは、それだけでパライソ感がありました。わしもつれていってくだせ!




きょうは少しだけ父の仏前を片づけました。と言っても、いまだに仏壇はなく、線香立ても乳鉢を使っています。けれど、発掘作業のように灰の中から燃え残りの線香を掘り出し、残った灰を均等に均していくのは、皿洗いと同じくらいに心の平安を感じることができる時間です。パライソ。

あとはα700に父の持っていたレンズを装着したりしていました。古いだけあってレンズは重いし、私が発見したときには既にコーティングが黴で喰われてしまっていたので曇っています。それでも、それで撮れる画は、意外に穏やかで、悪くありません。此岸から眺める彼岸。パライソ。

旅行にレンズを何本か持っていても、結局マクロ(SP AF60mm F/2 DI II MACRO)をつけっぱなしで、あとはRX100になってしまいます。だけれど、次に相棒とどこか温泉にでも行くことがあれば、そのときには、父のFD 24mm f2.8を装着していこうかなどと思っています。