ちょっと頭がどうかしているような

研究仲間の講義を聴きに行きました。私の講義日とは異なるため、普段はそのようなことはできないのですが、今回、たまたま自分の講義が休校日にあたったため、その日は出社し、代わりに取った休日にのこのこ大学へ行きました。もう良い年をした不審者が教室の前方に座っている。その大学は比較的単一化された大学なので、けっこう私の存在は異物感があります。けれどもその講義をする研究仲間が私にちらっと挨拶を送ってくれるので、ああ、何か講師の知り合いのひとなのね、と、一時的な滞留許可証が教室の雰囲気から発行されます。

最近、何だか調子が出ず、この大学での講義にも熱意を持てません。たかだか五十名だか六十名程度の受講生であれば、コミュ障たるこの私でも一瞬の横目で眺めて覚えるくらいはできましたが、今年は、そもそも学生の顔を見ることさえもできない状態です。こんなことではいけないのですが、こういうときに頭で考えてもうまくはいかないので、直感に従って行動することにしました。研究仲間の講義を聴きに行く、というのがその一つです。理由は自分でも分かりませんが、でも、正しい方向だという確信だけはある。何かをリセットしなければなりません。

そういった訳で、のこのこ、まるで学生であるかのように、数年ぶりにひとの講義を受けてきました。ひとつ目の講義は芸術にかかわる講義。独特のスタイルで講義をしていて、勉強にもなり、楽しくもあり、これはなかなか人気があるのではないかしらと思い、後頭部に眼を出してこっそり見てみると、やはり幾人かの学生たちが極めて強い関心を露わにしつつ聴講している。うっ、妬ましい! と思いつつ、学生さんたちの頭にテレパシーで念仏を送り込みます(授業妨害)。講義の最後にはコメントシートが配られ、その日のテーマについて書くように言われます。私も一生懸命に書きますが、いかんせん、自分の名前以外の字を書くなど数年ぶりのことです。この男嘘ばかり言う。ともかくあまり字を書かないのはほんとうなので、その汚さ、読み難さたるや、蓑虫の行楽、竹林の宴の一咳が如しという感じです。でも、最後にかわいいクマの絵を描いてきたので、きっと彼も許してくれることでしょう。クマの絵には吹き出しがあり、「字が汚くて読めないね!」と言っています。謎の宣言。講義が終わるとちょうどお昼なので、一緒に近くの料理店に行き、食事をしました。

それからしばらく時間を潰し、次は別の仲間がやっている倫理学の講義です。これはこれで面白かった。講義の途中で挟まれる彼の冗談に反応するのが私だけだったのが、それ全体でひとつの冗談のようで、後になってふたりでまた笑いました。彼とは同人誌と研究会を一緒にやっており、気を遣わずに言葉を使える相手なので、講義の終わった後、延々六時間くらいふたりで飲んで過ごしました。彼は翌日、遠くの大学の講義が一限からあり、私は私で翌日の講義のレジュメをまったく何も作っていない状態です。それでも延々、同人誌のことや詩のことを話していました。

自宅に帰りつけば、もう零時です。軽く食事をして、三時くらいまで起きて面白くもないレジュメを書きあげそのまま机に凭れて眠りにつき何やらおかしな夢を見て目が覚め冷水のシャワーを浴びてもまだぼんやりしたままラッシュに揉まれ大学へ行き講義をします。研究仲間の講義を聴いたからといってすぐに自分の気持ちが上向きになるわけもありません。相変わらず今期の教室は視界ゼロで得意のマシンガントークをいくら撃ち込んでもその闇が晴れることはありません。それでも、自分の研究テーマをこっそり紛れ込ませたりして喋っている彼らの姿を見ることで、私もまた、自分のスタイルを取り戻していかないとなと、少し思えるようにはなったかもしれません。

昔は、もっと滅茶苦茶な講義をしていたように思います。そんなふうにまたなれば、良いね。