地下水脈355000年

すべての、自分が書く言葉を統一していくこと。しかもそれが自然に為されること。そんなことを考えながら、真夜中に次号の同人誌に載せるつもりの物語を書いている。でもそうではなくて、それは、いまぼくらが作っている研究誌の論文なのかもしれない。

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あれは何日前だっただろうか、YMOのM-16を彼女と聴いていて、ふたりで、あ、これ以心電信だね、と頷きあった。ずっと昔、まだ僕らが大学生だった頃、彼女と彼女の友人の女の子と僕の三人で、あれは中野の映画館だっただろうか、何故かプロパガンダを再上映していて、それを観に行った。すごく混んでいて、当時からいまに至るまで軽い女性恐怖症のぼくは、彼女の友人は無論、彼女からも少し離れて、最後尾の手すりに凭れながらスクリーンに映された若いころの三人を眺めていた。

M-16は、何かYMOの雑誌を買ったときに、おまけとしてついていたミニディスクに入っていた。それを買ったのも、たぶん大学のときだろう。人形劇で一緒だった子が、その雑誌の最後の方(だったと思う)に載っていたとりみきのマンガを読み、そこに登場するお父さんを見て、「これ、何だかクラウドリーフくんに似ているね」と言っていたのを覚えている。そのお父さんはとりみきのマンガによく出てくる感じで、小太りで和服を着ている。もっとも、記憶が漠然としているので、ぜんぜん違うかもしれない。ともかく、当時のぼくは、彼女のその感想を聞いて似てねえよ! と内心で抗議していたが、何しろ女性恐怖症だったので、むにゃむにゃ! と曖昧に答えた。でも、この年になってみると、いや無論外見ということではないのだけれど、何となくその子の言っていたことがちょっと分かるような気もしてきている。そのときの真意をその子に確認することは、来世にでもならない限りはもう不可能だ。だけれども、それでも、たかだかこの世界の物理的な断絶などを超えて、コミュニケーションは可能だ。

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少し前、とある研究会に出てきた。そのときのレジュメに書いたひとつの単語に、研究会のひとりのメンバーから猛烈な批判を受けた。彼はいま同人誌を一緒にやっている男で、というよりも彼に誘われてその同人誌に参加したのだけれど、何しろ非常に優れた詩を書く人間でもある。だから、僕もそういったときにはがっと反論してしまうけれど、後になって思えば、彼が言っていたこと、何が彼の逆鱗に触れたのかについては、なるほどと納得するところが大きい。というよりも、表面的には互いにぐわぐわと言い合っているときでさえ、根っこのところでは彼の指摘のまっとうさを理解している。いや、理解ではない、信頼している。だから、そういったときの激情や批判の応酬はとても楽しい。相手を茫洋と覆った無駄な言葉や礼儀の靄を殺すつもりで放った拳で削り取っていくその先に、確固とした魂のかたちが現れてくる。それを何年もかけてやっていく。相手がそのときまでそこにいようがいまいが、それとは無関係にぼくらにはそれができる。

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信念があるか、途轍もなく嫌なやつか、狂信者か、聖人かあるいは根本的に腐りきった人間か、そうでもない限り、「自由で開かれたコミュニケーション」など不可能だ。そんなものはあり得ない。ぼくは腐りきった糞野郎なので、真面目で立派な研究者仲間よりは、コミュニケーションというものについて多少は見通しが利く。そこではすべてが逆転している。その逆転が視えていない誰かに対して、ぼくは本音で語る言葉を持つことはできない。安易に「テロ」などという言葉を用いる連中をぼくは信用しないけれど、それでも、そういった言葉によって指示されるような何かしらの現象が増えていくなかで、なお改めて公共圏的言論空間の重要性を掲げる。それはそれで構わないし、場合によっては、そこにもやはり狂気にも似た理念への執着がある。そうであるのなら、ぼくはその言説に耳を傾ける。でも、そうでないのなら、民主主義などというのは、所詮は糞の戯言でしかない。そうしてその戯言は、他者に対する徹底した暴力性を伴う戯言でもある。その偽善性が問題なのではなく(どのみちぼくらはみな偽善者なのだ)、自分の浮かべるその偽善面に気づかない阿呆さ加減が問題なのでもなく(どのみちぼくらはみな愚鈍なのだ)、その全体にある悲しみを己自身で読み取ることのできない人類全体の歴史の、虚構としての方向性こそが問題なのだと、ぼくは思う。

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どこに行っても、声の大きい人間の発する言葉ばかりだ。毎年、毎月、毎日、毎秒、それは大きくなっていく。それがほんとうに疲れる。美しいという言葉さえ腐ってしまったこの時代にも、もしまだ美しい言葉というものがあるのなら、あるいはもし我々を繋ぎ得るような言葉が存在し得るのであれば、それはむしろ、聴き取ることのできない言葉だろう。

彼女は炭酸水が好きだ。何が良いのか分からないけれど、小さなグラスに炭酸水を注ぎ、それを飲む。そこから聴こえてくる幽かで素早い、別の宇宙からの信号のような音に耳を傾けながら、真夜中に、小さな、小さな物語を書いていく。